中学に入って驚いたのは、こっちの人が誰も挨拶をしないことだった。
私の地元では、道で会う大人全員に挨拶をし、また返してもらえるのが当然だった。少し失望したが、今では当たり前の事だ。寧ろ、あの頃人の多い小都会にあってひたむきに挨拶をしていた俺が馬鹿だったのだと気付いた。今ではちゃんと、挨拶を返してくれるのは警察官と塾講師だけだと心得ている。
高校に入って驚いたのは、先輩方がいつまでもざわざわしていた事だ。だが、今ではちゃんと、楽しんで聞くものなのだと心得ている。
こうやって、失望は当然の事に変わり自分を流していく。後で考えると、周りに合わせないのは損だったとすら感じられる。だが、ここで私が強調したいのは、自分の芯なるものを崩してはいけないという事だ。好きなだけ周りに合わせて、好きなだけ楽しんでも、譲れない何かを持っていたい。つまり、失望した記憶を失ってはいけない。同時に、失望させた記憶を失ってもいけない。自分が今、相手にどれだけのことをしてもらっているのか(何をしてやったかなどは、さして問題視されない)理解し、役に立とうという意楽を失うべきではない。陰険な企みなど、絶対にするべきではない。奸悪な思考回路は滅すべきである。真っ直ぐで柔軟な自分を持つ事こそ、正しく生きていく上で重用なのであろう。
…ってね、要は自分が神様なんじゃないよ、って話。
で、なんでこんなのを書いたかっていうと、意楽っていう言葉と陰険っていう言葉を使いたかったからなんですね。
単語は使わなきゃ覚えられないですね…
まったく、頭悪くなったな俺も…

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