パトラッシューーーー!!!
小説:ヤマアラシの見た光C
ここの所、井出は日野をモデルにして、絵を描いていた。何の為なのかは全く分からないが、毎日違う体勢をとらせては、鉛筆を紙の上に走らせていた。日野は、自分の姿が紙上に写されていくのに少々恥を感じた。自分の内側まで見透かされるようで、急に教室を飛び出したくなるようなこともしばしばあった。
井出は絵を描きながら、落語家のようによく喋った。そして時には、自分の何かしらに対する意見のようなものを、延々と日野に語った。
「――だからさ、俺は思うんだけど、男が理論的にものを考えるってのは、昔の本性が隠れてるからだと思うんだよ。野生の動物を捕まえるにしても、大きな猪を狩るのと子兎を狩るのじゃどっちが合理的か考えざるを得ないだろ。だって、なるべく長生きすることが動物の本能としてあるわけだから。猪を捕まえるリスクと子兎の肉の量、どっちを取れば自分自身と家族の命を長く持たせられるか。男はそうやって昔から物事を考えてきた。言語が生まれてコミュニケーションが始まれば、尚更だね。協力戦には合理的な策略が不可欠だから、自然に理論立てていく能力が付く。万物斉同なんて、随分と贅沢な思想だと思わないかい? その点女は、狩りに出る必要が無かった。子育てにそこまで合理的な思考回路の組み立ては要らないから、寧ろ必要なのは直感力って事になる。どんなに理論を組んで考えても分からない選択を、感覚と経験で捉える力。つまりは、記憶を活用する力ってこった。だから、男は女の体の作りを見て、子供が産みやすい体型の女を選ぶようにできてるけど、女は男を選ぶ時、記憶をたどってその男がどれだけ信頼できる人間かという事を基準にして考えるんだよ」
「ふーん、なるほど、考えてもみれば確かにそうかもね」
日野の返事はいつもこの類だった。別に話を聞いていないわけではないし、理解できないこともないが、日野には井出のような人間が、女だの男だのと口に出して嬉しそうに話しているのは、何となく不愉快だった。それに、絵のモデルになるよう頼まれて残ってやっている日野にとって、井出が気持ち良さそうに話しているのは不遜なように感じられた。なんだこいつは、気持ちわりいな。つべこべ言ってねえで早く俺を帰らせろよ、馬鹿が。最近、日野は自分の井出に対する侮蔑感が、理性に比肩するようになってきているのを感じていたが、貶した直後には今まで押されていた理性が覆いかぶさり、井出だって良い所はあるんだよな、と半ば強引に考えていた。
だが、今日の井出は男女の差異に関する自分の考えを述べるだけでは終わらなかった。絵筆を水に浸けながら、例の薄笑いを漏らし、言った。
「なあ、この教室の他の奴等、1人残らず救いようの無い馬鹿だと思わないか?」
突然の問いに、日野は呆気に取られ、何も言い返すことができなかった。

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