当時、日本ではまだ、銀行のATMかクレジットカードくらいしか、カードの利用はなかった。
だから、水族館のエドジャートン研究室からMGH
(マサチューセッツ総合病院)の研究室に転職したコリーンの紹介で、そこの実験魚の世話をすることになり、入所用のカードを作ったとき、「私もアメリカ人になりつつあるなあ」とつぶやいたのを、コリーンはひどく面白がっていた。
その日本にさえあった銀行のATMカードを、ニューイングランド水族館の職員の中には、もってない人間が結構いた。
銀行やカードが信用できないというものらしい。
そんな、ちょっと世俗離れしている人間の住む水族館だったが、最近のセミ鯨研究室から送られてくるニューズレターを見ると、近代化の波(ちょっと大げさ)は否応なく押し寄せているようだ。
あのころは、セミ鯨の調査は紙と鉛筆とカメラがすべてだった。
船に乗って沖に出るときには、写真を撮る研究者が「フィルムの何枚目〜何枚目に○○中の△△にいる(あるいは○○番の)鯨撮影」というと、記録係がそれを記録、と言うふうに、観察の過程がそのまま記録される仕組みだった。
今は、船の上で必要なのは、紙と鉛筆ではなくPC、もちろん、入力した情報はオンラインで、協同研究者に即通じる。
午前中一杯費やしていた共同研究者との連絡だって、空いた時間にメールでやりとりできるようになった(と思う、見てないので)。
さらに、ネットやブログで、広く、一般の人にも活動を知ってもらえる。
私の中では、いまだ調査のイメージは、船では紙と鉛筆、研究室ではネガを照らすライトテーブルに拡大鏡なのだが、きっと今訪ねると浦島太郎、自分がいたころは産業革命前、みたいに感じるのだろうな、と思う。
でも、セミ鯨のカロシティーの在処を拡大鏡でチェックし、他の写真と照合して一致させる、職人技のような効率の悪い仕事は、捨てがたい魅力だ。
オンラインで、「メスで、どこそこに傷があって、尻尾はこんな風で」と検索をかけると該当する鯨が出てくるような、超スピーディーな研究は、ちょっと味気ない気もするけど、もちろん、お気楽な外部の人間だから言えることだ。