「移動水族館」の楽しい看板は、私と同期のジェーンの手作り。
机の上にあるのは、サメの歯やクジラひげなどで、子供たちに触ってもらう。
水族館ガイドのボランティアは、
先に述べた不純な動機で応募したのですが、自由に観覧されているお客さんに話しかけるのが、どうしても苦手でした。
でも、いかに動機が不純とはいえ、ボランティアたるものお役に立ちたい、喜んでもらえてなんぼのものです。
いちおう毎週ボランティアガイドをやっていたので、貢献時間だけは順調に増えていき、”シニアガイド(決して年くってると言う意味ではありません!ある貢献時間に達するともらえます)”の称号をいただき、本来なら嬉しいはずが、私の場合、ますます、心苦しくなりました。
ある日、「移動水族館(traveling tidepool)のボラ募集」というお知らせを見つけました。シニア水族館ガイドが対象です。
囲われたところで、お客さん相手に話すのなら大丈夫。
さっそく応募してみました。
移動水族館のボランティアは、エディスという、かなり精力的に水族館内外でボランティアをしている(水族館でも古参)女性が中心となってやっていいました。
透明なバケツに、比較的過酷な環境に耐えられる潮だまりの生物たち(ヒトデや巻き貝)を入れ、ハーバード大学の付属子供病院に持っていって、子供たちに見たり触ったりしてもらうというものです。
病気でも子供は子供、病院生活は退屈です。
巻き貝を手のひらにのせると、すごく嬉しそう。
付き添いのお母さんまで喜んでくれます。
これはかなり楽しめました。
エディスに「私が撮ったクジラの写真持ってこようかな」と言うと、「それはいい!」と言うことになって、分厚いアルバムも持参することになりました。
(こうやっていつも、どこにでも得意分野を持ち込もうとする、悪いクセ)
エディスは、当時もうだいぶ高齢で、体もそう強くはなかったのですが、いつも他人のことを気にかけるばかり、自分のことはおくびにもだしませんでした。
水族館ガイドの講習も一緒に受け移動水族館のボラも同時期に始めたジェーンと、時々、「エディスは大丈夫かしら」と話していました。
何しろ、自分のことは話さない人だったので、私たちで憶測・心配するしかありません。
エディスとは、帰国後もしばらく、クリスマスカードや新聞の切り抜きを送ってくれたりのやりとりをしてましたが、ある時、返事が来ず、しばらく経って娘さんからカードが来ました。
「あなたの手紙が、母の親しい人用の手紙箱に入っていたのを見つけたので、お知らせしようと思いました」
エディスは、なくなったのでした。
彼女は、ちょっときついかな、と思わせるような、確固たるところのある女性でしたが、本当は、気遣いが細やかで、自分よりまず他人を心配し、毅然とした態度が素敵な女性でした。
でも最期まで、自分のことは話さなかった・・・。