(第6次空襲)
来襲機数:75機
撃墜機数:16機(内不確実10機)
14:45
電測真方位100°80`に飛行機の大編隊を探知
右40°60`に戦爆雷連合約40機の編隊を発見。爾後2隊に分離せり。
同時に左130°40`に同様25機の編隊を発見。
更に左145°35`に「F6F」約10機の編隊を発見。
敵機は本艦のみを攻撃するものの如態勢を整へて迂回し本艦全周より包囲襲撃す。
15:21
敵機来襲。甚大なる被害を受く。
明瞭なるもの魚雷命中11本、直撃爆弾10個、至近弾6個にして水柱林立爆弾砲煙全艦を包み敵情判然たらざる所あり。命中せざりし魚雷爆弾多数ありしものと認む。
(1)防空指揮所右舷に命中セル爆弾は第一艦橋にて炸裂。
防空指揮所右舷を吹き飛ばし第一艦橋及作戦室を大破。
第一艦橋小火災。備付「ドラム」缶の防火用水にて直に消火す。
防空指揮所に於いて艦長海軍少将猪口敏平右肩部重傷。高射長海軍少佐廣瀬榮助、測的長兼先任艦長附海軍大尉山田武男戦死。
第一艦橋に於いて航海長海軍大佐假屋實、航海士海軍少尉福田靖、通信士海軍少尉奥田聡、電測士海軍少尉水谷芳男、戦闘記録員(庶務主任)海軍主計少尉中村和夫、飛行科分隊長海軍少尉寺本武敏、掌航海長海軍兵曹長吉田忠長戦死。
作戦室に於いて摩耶副長海軍中佐永井貞三、摩耶医務科分隊士海軍軍医大尉薄場有戦死。
本爆弾による戦傷者数左の通(※原文 下記の通り)
防空指揮所及付近
戦死者 準仕官以上 2 下士官兵11 計13
負傷者 準仕官以上 1 下士官兵10 計11
第一艦橋甲板
戦死者 準仕官以上 7 下士官兵32 計39
負傷者 準仕官以上 0 下士官兵 8 計 8
作戦室甲板
戦死者 準仕官以上(摩耶)2 下士官兵3 計 5
負傷者 準仕官以上 0 下士官兵2 計 2
計
戦死者 準仕官以上11 下士官兵46 計57
負傷者 準仕官以上 1 下士官兵20 計21
(2)左舷105番ビーム(3)左舷115番ビーム(4)左舷120番ビームに殆ど同時に命中せる爆弾は上甲板にて炸裂、単装2,4番機銃、特設2番連装機銃、通信指揮室、第一受信室及電話室を破壊。第4、第8缶室に火炎侵入。
暗号士海軍少尉稲葉稀一、同海軍少尉河西正雄、掌通信長海軍少尉下田善造戦死。
次いで(5)(6)右舷115番ビーム艦長昇降口付近に爆弾2個命中、単装1,3番機銃、特設1番連装機銃破壊、第7缶室入り口前壁圧壊、同室入り口扉は圧着せられ開閉不能、火災なし。
(7)127番ビーム中央高射員待機所に命中せる爆弾は同署を飛散し旗甲板以下前檣楼後面大破火災なし。
(8)左舷62番ビームに命中せる爆弾は上甲板第5兵員室にて炸裂中甲板病室及その付近を大破火災なし。
(9)1番主砲搭天蓋上、68番ビームに250`爆弾命中。天蓋甲鈑径約10a深さ約2aを削り去り、砲室内に直接取付けある電燈全部落下暗黒なりたるのみにて其の他には何等被害なし。
(10)右舷75番ビームに命中せる爆弾は士官室にて炸裂、仕官室、司令部庶務室を大破し、最上甲板舷側より内方約2bの線70番ビームより95番ビームまで縦亀裂を生じ、最大亀裂の所は人員の出入可能の程度なり。
至近爆弾6個 内訳右舷130番ビームより140番ビームの間に4個、左舷130番ビームより140番ビームの間に2個。
(1)左舷40番ビーム(2)左舷60番ビーム(3)左舷75番ビームに魚雷各1本命中。4号ビルジポンプ室瞬時に満水。
(4)右舷80番ビーム(5)右舷105番ビームに魚雷各1本命中。右舷外板被害を拡大せる外装甲鈑内部には特に異常なし。
(1)(2)(3)(4)(5)の魚雷被害に依り艦首著しく沈下し水柱檣楼及最上甲板上に落下す。
(6)左舷125番ビームに魚雷1本命中。八缶室側壁鋲弛緩し漏水すると共に付近に落下せる爆弾に依り八缶室に火焔熱気侵入。
(7)(8)(9)左舷140番ビームに魚雷3本命中す。第1魚雷にて装甲鈑を圧入(開きしものの如し)し次で命中する2魚雷は不爆の儘左舷25_機銃弾庫に2本ともその頭部を突入し浸水を拡大せり。同弾薬庫員は暗黒裡に応急照明を使用し之を目撃したるも浸水遮防不能の為、機知を働かし機銃揚弾薬筒より脱出せり。
(10)左舷145番ビ-ムに魚雷1本命中。第2次空襲の被害に依り第四機械室の側壁は膨出しありし所、本魚雷に依り側壁長さ約10破れ同室は約4分後満水尚第二機械室送水ポンプ下部小破孔を生じ浸水を始む。爾後2軸運転となる。
(11)左舷165番ビ-ムに魚雷1本命中三番主砲搭弾庫左舷壁貫通通風管破れ同室膝迄浸水したるも直に遮防。六番高角砲弾薬庫左舷中部側壁破れ同室及後部転輪羅針儀室浸水。左造水機室に漏水す。
以上、第6次空襲の被害に依り左へ約10°傾斜せるも取舵転舵中なりし為左舷傾斜左へ6°に止まり注排水に依り約4°尤傾斜を復元し得て残傾斜6°となり、「トリム」は前へ4bから一挙に8b以上となり艦首沈下して主砲搭左舷最上甲板の一部浸潜状態となれり。
第1艦橋の爆弾被害に依り艦長負傷戦闘指揮所を第2艦橋に移し、1次副長海軍大佐加藤憲吉指揮を執り、通信長海軍中佐三浦徳四郎をして操艦に当たらしむ。
爾後各部応急処置実施中、主舵取電源両舷となり取舵15°にてとまり応急処置に依り故障復旧約30分後直接操舵可能となれり、暫くして艦長第2艦橋に到り、副長より受け継ぎ直接戦闘指揮をとる。
先ず各部の被害状況を調査し挙艦一心全力を以て浸水遮防、傾斜復元に努む。此の頃傾斜及「トリム」漸次増加しつつありたるを以て最上甲板の重量物を極力右舷に移動せしめ左舷主錨を海中に投棄せしめたるも、依然として増加するを以て右舷後部居住区に注水せしむ。一方操舵効果を大ならしむる為艦尾左舷を駆逐艦にて曳航する準備をなさしむ。
これより先左舷後部に駆逐艦島風を横付し摩耶乗員(応急関係員を除く)及び聯合艦隊法務長法務大佐由比喜久雄、第2艦隊法務官法務大尉皆川一郎を移乗せしめたり。
19:15
傾斜は漸次増加し10°に及びたるを以て第3、第7、第11缶室注水を行はしめたるも其の効果は顕著ならず更に第3機械室に注水を命じたり。更に傾斜増加し10°に及尚増加するを認め総員退去用意を命じ御写真並に勅諭奉還の手段を構じ(艦急に沈没し奉還の途中艦と共に沈没し亡失す)軍艦旗を降下す。
19:30
傾斜約30°に至り総員退去、傾斜急激に増加し転覆し同時に連続爆発2回あり。
19:35
沈没
位置 東経123度32分 北緯13度7分 水深約800m
艦長は第2艦橋に於いて最後迄指揮を執り戦死(副長確認)