7月 28日 (土) 曇り
「六さん 今年こそは遊びに来て下さいね。 一度お店見に来て下さいよ〜」
「あ〜 そうだな〜 今年は何とか行けそうだよ。 ところで店は何年になるんだい?」
「3月で丸6年過ぎました。」
「そんなになるのか! 俺は3年持ったら良い方だなって思ってたけどな」
「ひど〜〜い 六さん! でもホント 六さんには感謝してます。 だって最初はどこかのテナントを借りてその内装のアドバイスでもお願いしようと相談したんですよ。 それが店舗そのものの設計をしていただけるなんて! 六さんに相談してなかったらお店が建てられるなんて思ってもなかったし、まして設計までお願いできるなんて考えてもなかったんですよ。 夢のようです。」
「・・・夢のよう? そう言えばずっと前だけどお前達が夢に出て来たんだよ。 そりゃ〜 凄い剣幕でさ〜
『こんなもん建てやがって〜!!! こんなんじゃ〜客が来ないよ!!! どうしてくれるんだ!!!!』 ってね。 夢で良かったけど。 そうか、気に入ってくれてるのか。 そりゃ良かったよ。 安心したよ。」
「へ〜? 六さんでもそんな夢見るんですか? 意外ですね〜」
六さん。 高松六郎。 一級建築士。 東京在住。 北海道の生まれ。 昔、彼がまだ設計事務所で働いていた時、フランス、イギリスを始め各国の日本大使館を手掛けたりしていたらしい。 それから後に独立して先輩と二人で立ち上げた“住まい塾”。 施主と一緒に良い住まいを考えると言う理想の組織。 彼のプロフィールを知れば、
「あ〜 凄い人なんだな〜 良いな〜 こんな人に仕事頼める人は・・・」
全く私達には縁がないと思っていた。
彼と知り合ったのは今から15年位前。 真理子が喫茶店の勉強をさせてもらおうと今はなき神楽坂の“パウワウ”でアルバイトを始めた事がきっかけだった。
「素敵な喫茶店ね〜 こんなとこでアルバイトできたらな〜」
望みは運良く叶えられた。
店内はふんだんに木が使われ重厚感がありとても落ち着いていた。 床には赤レンガが敷き詰められ壁と天井は濃い目の茶色にオイルスティンが施されていた。 アンティックな照明が上質な大人の空間を演出。 BGMはない。 お客達の会話が良い感じのBGMになっていた。
2階もまた素敵だ。 先の一階と違ってギャラリー風だ。 床は米松のフローリング。 壁はアイボリーの塗り壁、ドイツの素材の“デュッセル”。 時々作品展をやったりもしていた。
六さんの設計、憧れの喫茶店だった。
私達が近い将来喫茶店をやりたいと言う事は“パウワウ”のマスターも知っていた。
「真理ちゃん達、店やるんなら六ちゃんに相談してみなよ。 いろいろ聞いてみたら良いよ。」
六さんはいつものように黒いスーツを着て煙たそうにタバコを燻らし低い声で、
「こんな感じはどうだい? そっちは木が手に入りやすいだろうから意外に安く建てられるんじゃないか? 」
パウワウの二階で真理子と二人で相談に乗ってもらった時にはすでに店舗建築の雰囲気になっていて、六さんが“サ、サッ”と書いた店のデザインにどんどん引き込まれて行ったのを今でも思い出す。
“六さんにお願いしよう。”
二人の夢は六さんに委ねられた。
2000年、10月、建築が始まった。 完成まで毎月のように室戸まで現場の様子を見に来てくれた。
2001年、3月初め、落成。 大工さん、左官さん、電気屋さん、板金屋さん、そして六さん、みんなで飲んだ。 夢だった店ができた。それも戸建て、しかも六さんの設計。 酒に酔えないほどの嬉しさでいっぱいだった。
「六さん、今年こそは店に来て下さいね。 絶対ですよ!」
毎年のように言い続けていた。 そしてやっと、
「ああ〜 何とか今年は行けそうだよ。 夏ぐらいかな〜 釣竿持って行くか〜 ようし!」
真理子がこの春に東京に帰った時、六さんと会えてそんな話をしたらしい。
オープンして六年が過ぎ建物自体も味が出て来た。 六さんも楽しみにしてくれてるみたいだった。
天気が優れない先日の夕方、携帯が真理子を呼んだ。 パウワウのマスターからだった。
「六ちゃんが・・・・ 倒れた。 意識はない。 こん睡状態・・・ あと2〜3日らしい」
「・・・まっ、まさか! こないだ、今年こそはって言ってたのに・・・」
真理子の顔が強張る。
六さんは道で行き倒れ状態で運び込まれた。 その時すでに意識はなかったようだ。
“肺ガン”
末期だったのだろう。 家族を持たない彼は誰にもそのことを告げずに過ごしていたのではないか。 男にはそういう所がある。 少しばかり分かるような気がする。
数日後再びマスターからの電話。 奇跡を祈ったがマスターの声は低く濁った。
一度六さんに何とか店を続けている姿を見て欲しかった。 あなたが私達の店を手掛けてくれたお陰でここまでやって来れた事それをつくづく感じる日々。 感謝を重ねてもまだまだ足りない。 せめて一言お礼を言わせて欲しかった。
「六さん、ほんとに、本当にありがとう。 あなたに出会えて私達は幸せです。 店をあなたにお願いして本当に良かった。 毎日感謝しています。 今でも時々お客さんに聞かれるんですよ。
『良い建物ですね。 どなたの設計?』
とても嬉しい。 そんな店を建てられて誇りに思います。 考えてみればそんな店のお陰で随分得をしていると思います。 お客さんがゆったり時間を過ごされたり楽しくおしゃべりされたり、あなたが良い空間を作ってくれたお陰です。
もう仕事に追われることもたばこの吸い過ぎも気にしなくても良い。 のんびりと好きな釣り糸でも垂れていて下さい。
お疲れ様でした。
さようなら 六さん。 私達は心よりあなたに感謝してます。」
きっと雲の上から下界の私達を見下ろし
「3年持てば良い方だと思ってたのにしぶとく頑張ってるじゃないか。 たいしたもんだ。 よしよし! ま〜 のんびりやれば良いよ。」
そう言ってくれている気がする。

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