2014/4/4

気になるニュースのその後  コラム
 

閉店間際のスーパーで、半額セールの九十九里産ハマグリを買ってきた。
もちろん、まだ元気に活きている。

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やはり、旬の地物はいいですね。
「蛤の酒蒸し」、美味しゅうございました♪


ところで、先日消費者庁が、メニュー・料理等の食品表示に関するガイドラインを公表した。
http://www.caa.go.jp/representation/pdf/140328premiums_0.pdf
http://www.caa.go.jp/representation/pdf/140328premiums_4.pdf

管理人が特に関心を持ったのは、以前当ブログでもコメントした「サケ弁当」の表示に関する消費者庁の見解。
結論としては、ニジマス弁当を「サケ弁当」と表示することも可としている。
その理由は、私の理解したところによれば、料理の名称として一般に確立しており、実際に使われている食材が必ずしも「サケ」でないことが既に周知の事実であって、消費者の選択にも特段の影響を及ぼさないからだという。

かかる結論については特に異論はない。
しかし、「サケ弁当」が許容される理由が上記のとおりであるならば、バナメイエビを使った「芝エビのチリソース」も同様にこれらの要件に合致し、許容する余地があったのではないかと、やはり思ってしまう。
バナメイエビの事案を行政処分した理由が、シバエビよりも安価なバナメイエビを使用して消費者を優良誤認させたことにあるのであれば、ドナルドソントラウトを使った「サケ」料理だって事情は同じであろう。
現に、消費者庁がパブコメに付した当初ガイドライン案では、サケ弁当の表示も不適当としていた。
やはりこれらは同種の事案と考えるべきだったのではないか。
マスコミの過剰報道に煽られて拙速に処分を行ってしまったという面もあるかもしれないが、そうであればなおのこと、処分を受けた業者が気の毒に思えてくるのである。


ちなみに、冒頭の画像の「蛤の酒蒸し」は、正しくは「チョウセンハマグリの酒蒸し」である。
謹んでお詫びのうえ訂正させていただき、再発防止に努めたいと思います。

おや、こんなところに「わかさぎのフライ」が・・・・・

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2014/3/12

3.11の記憶  コラム
 

自分自身のために、
あの日起きたことを思い出し、忘れないために、
これを記す。



<2011年3月11日>

その時、私は都内のビルの20階の会議室にいた。

ドスンという大きな揺れを感じて、会議の参加者は全員、テーブルの下に潜り込んだ。
揺れは次第に大きくなり、長い周期で建物が大きく振れた。
私はテーブルの脚を掴んで必死に踏ん張りながら、このまま建物が折れてしまうのではないかと本気で恐怖した。

どのくらいの時間が経っただろうか。
ようやく揺れが収まり、私は自分の職場に戻った。
職場では全員、備品のヘルメットを被り、テレビのニュースに見入っていた。
天井板が一部落下していたが怪我人はおらず、幸い外出中の者もいなかった。
大きな余震がきたときには、全員また机の下に潜った。

家族への連絡はなかなかとれなかった。
携帯がつながらず、私は気が気ではなかった。

そして、テレビに津波のニュースが流れた。
それが現実の事とはにわかに信じられなかった。
皆、言葉もなく、ただ茫然とテレビの画面に見入っていた。

ようやく自宅にいる家族と連絡が取れたのは、夕方になってからだった。
家族にけがはなく、家財の物理的な被害もなかった。
私は取り敢えず一安心した。
後で聞いた話だが、子供は西の空に大きな火柱が上がるのを見たという。
丁度その頃、市原のコンビナートで爆発事故が発生していた。

電車も地下鉄も動いていなかったが、建物の外の通りには、長い長い車の列ができていた。
渋滞して、ほとんど流れていない。
そして歩道には、歩いて帰宅する大勢の人達があふれていた。

わが職場でも、家の近い者は順次歩いて帰宅を始めた。
私を含む長距離通勤者は居残った。
総武線も京葉線も外房線も完全に止まっていて、動き始める様子は全くなかった。
これだけの地震である。当然だろう。

私は泊まり込む覚悟を決めて、外のコンビニで飲み物や食料、雑誌などを買い込み、事務所に残っていた部下に配った。
携帯のバッテリーが心許なかったので、乾電池式の充電器も買った。
これは後々かなり役にたった。

その夜は、とても長く感じた。
テレビのニュースが伝える被災地の惨状。
次々と画面に映し出される信じられない映像。

しかし、これは現実だ。
実際に、今起きていることなのだ。

建物の管理会社は、帰宅困難者の受け入れを始めた。
館内の食堂が深夜の炊き出しを行い、館内に残っている者へ無料で配布してくれた。
私も、まだ暖かいおにぎりを二個貰った。
美味しくて、とても嬉しかった。


<2011年3月12日>

やがて朝になり、鉄道が順次運転を再開した。
私も、総武線が運転を再開するという情報を知って、東京駅へ向かった。
都内で一夜を明かした大勢の帰宅困難者で溢れる電車に乗り、ようやく千葉駅に着いた頃には、既に昼近くなっていた。

しかし、外房線は依然動く気配がない。
奥さんにメールすると、車で迎えに行くから京成線でちはら台まで出ろという。
私は奥さんの言う通りにした。

駅に着いてしばらく待っていると、奥さんの運転する車がやってきた。
奥さんいわく、千葉駅周辺の道路は、帰宅者を迎えに行く車で大渋滞しているらしい。
なるほど。
私は奥さんの機転に感心した。

車の中には、ここに来るまでに買ってきたというミネラルウォーターが何本も積んであった。
営業しているパン屋さんがあったので、いつもより多めに買い込んで、わが家に帰った。

親族の安否は既に確認されていた。
ご近所にも、特に被害はなかった。

テレビでは、どのチャンネルも震災のニュースを流し続けていた。
津波の映像が、繰り返し繰り返し画面に映し出された。

そして、福島第一原発一号機の水素爆発が起こった。
騒然とするニュース番組のスタジオ。
何が起きたのか、すぐにはわからなかった。
私は、テレビの画面を通じて、ただじっと事の成り行きを見守るしかなかった。

私には、差し当たり悩ましい問題が一つあった。
月曜日、大阪で大事な仕事があり、日曜日に移動する予定でいたのである。

インターネットでJRのホームページを確認したところ、新幹線の運転を見合わせるという情報はなかった。
外房線も、本数は少ないながらも、運転を再開していた。
家の事は大丈夫だと奥さんが言ってくれたので、私は出張の準備をして、床に就いた。


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2014/3/12

3.11の記憶(2)  コラム
 

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<2011年3月13日>

徐行運転の外房線と総武線を乗り継いで、私は東京駅へ到着した。
昨日は、あれほど多くの人で溢れかえっていた駅も、今朝は閑散としていた。
パン屋さんでは、若い女性の店員さんが、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれた。
私は、サンドイッチと飲み物を買って、「のぞみ」に乗り込んだ。

東京を離れ、西へ向かう新幹線の窓から見える見慣れた景色は、これまでと何も変わらなかった。
ただ、車内の掲示板に流れるニュースのテロップだけが、震災と原発事故の情報を延々と流し続けていた。

大阪に到着し、現地事務所のスタッフと翌日の打ち合わせを済ませ、大阪駅近くのビジネスホテルにチェックインした。

奥さんにメールを入れたところ、乾電池が欲しいのだけれど、どこの店に行っても売り切れで買えないという。
私は、大阪駅前の大きなヨドバシカメラに行って、大量の乾電池を買い込んだ。
大阪には、山ほど乾電池があった。
そして、ホテルの部屋でもう一度翌日の準備をした後、夕食をとるために梅田の街にくり出した。

大阪の街は、いつもと全く変わりはなかった。
色とりどりのネオンが煌々と灯り、通りには若いカップル達が楽しそうに歩いていた。
人気のラーメン店はお客さんで溢れ、居酒屋の前では学生のグループが盛り上がっている。
東京が失ってしまった「平凡な日常」が、ここ大阪にはあった。
私は、この街に、何か頼もしさのようなものを感じた。

街頭では、ギターで弾き語りをする若者の横で、数人の若者が被災者支援の募金活動を行っていた。
私は、「ありがとう」と言って募金箱に100円を入れた。
そして、行きつけのラーメン屋さんでお気に入りのチャーシュー麺を食べ、たこ焼きを1パック買ってホテルに戻った。


<2011年3月14日>

大阪での仕事は、とどこおりなく終わった。
しかし、東日本の状況は急激に悪化していた。

福島第一原発の3号機が1号機に続き水素爆発を起こし、原発稼働停止による電力需給のひっ迫で、東京電力が計画停電を開始した。
私は、昨日買い込んだ乾電池で大阪へ来る時の倍くらいに重くなった荷物を抱え、東京行きの新幹線に乗り込んだ。

携帯でJRの運行状況を確認すると、計画停電の影響で外房線が止まっている。
今日も家に帰るのは無理かもしれない。
奥さんにその旨メールを入れたところ、すぐにネットで空部屋のあるビジネスホテルを見つけてくれた。
とりあえず2件押さえたというので、職場に近い方を選んで確定してもらった。

東京駅に到着し、私は疲れた体を引きずって何とかホテルまで辿り着き、そのままベッドに倒れこんで眠りについた。


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2014/3/12

3.11の記憶(3)  コラム
 

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<2011年3月15日>

ホテルを出て、職場へ向かう前に、私はコンビニに立ち寄った。
何か朝食を買いたかったのだが、棚はガラガラで、パン類もおにぎりもなかった。
仕方なく、ビスケットと飲み物を買って、職場に入った。

こんな状況でも、いつも通りに仕事はある。
いや、むしろいつも通りに仕事をしなければならない。
たとえひとつひとつは小さな歯車でも、一度に欠けてしまうと社会全体が機能しなくなる。
みんなそう思って働いていたと思う。
私も、自分のやるべきことをやった。

この日も、外房線はまともに走らなかった。
私は、帰宅を諦めて、ビジネスホテルに連泊することにした。

コンビニで新しいワイシャツと下着、靴下を買って、狭いシングルルームにチェックインした。
朝から乾き物しか口にしていなかったので、何か温かいものを食べたくなり、外へ出た。

政府の節電の呼びかけによって、街のネオンや店の看板の明かりはほとんど消えている。
飲み屋さんの建ち並ぶいつもは賑やかな通りにも、ほとんど人が歩いていない。
しばらく歩き回り、営業している「なか卯」を見つけて中に入った。
ごく普通の親子丼が、しみじみと温かく、美味しかった。

ホテルの部屋に戻ってテレビをつけた。
画面から流れてくるのは、原発事故のニュースと計画停電情報。
そしてACジャパンの「ありがとうさぎ」と仁科母娘。
テレビを観るのも、次第に苦痛になってきた。


<2011年3月16日>

3月11日以降、まだ一晩しか家に帰っていない。
私は、精神的にかなり参ってきた。
メールで連絡をとってはいるが、早く家族の顔を見たい。
みんな元気だろうか。

この日も、夕方までいつも通りに仕事をした。
部下達も、誰も欠けることなく、きっちり仕事をしてくれた。

そして、何とか家に帰る方法がないかと調べていたところ、東京駅前から外房方面に向かう高速バスが運行再開することを知った。
さらに、JRによれば、翌朝の通勤時間帯には外房線も走るらしい。

よし、家に帰るぞ。
私は嬉々としてバス停に向かった。

しかし、私の希望はすぐに失望に変わった。
バス停の前には、いまだかつて見たこともないような長蛇の列。
いったい、何台待てば乗ることができるのだろうか。

それでも、私は覚悟を決めて待った。
家族の顔を見たい一心で、寒風の中、バスが来るのを待った。

途中、テレビ局のカメラが取材に来て、不覚にも行列に並んでいるところを撮られてしまった。
さらに、外国メディアと思われる記者が数組、取材をしていた。
今更こんな帰宅難民の様子を取材したって仕方がないだろうに、と毒づいてやりたくなった。

二時間近く待っただろうか。
数台目のバスに、ようやく乗ることができた。
大阪で買った乾電池の入った重いカバンを抱えて、私はようやくわが家に帰り着いた。

家のドアを開けた私を、奥さんと子供たちが迎えてくれた。
わが家では、節電対策のために、家族全員が一部屋に集まり、他の部屋の電気を消して生活していた。
停電に備えて懐中電灯をテーブルの上に集めていたので、私はそこに釣り用のヘッドランプを3つ加えた。
懐中電灯よりも、両手が使えるヘッドランプの方が遥かに役に立つ。

エアコンも炬燵も使えないので、家の中なのにフリースを重ね着して食事をした。
奥さんは、電気炊飯器を使わず、手鍋とガスでご飯を炊いていた。
電子レンジも封印。冷めないうちに全員そろって食卓を囲んだ。
「おこげ」のできたご飯が美味しかった。
コーヒーも、やかんで沸かしたお湯で淹れた。

食後は、家族からここ数日間に起きたことを聞き、そして私自身が体験したことを話した。
高層ビルの怖さ。そして、交通インフラや食品流通など都市機能の脆さ。
たまたま観ていたテレビのニュース番組に、バス停で行列する私の姿が映った映像が流れ、子供たちは爆笑していた。

その日は夜遅くまで、家族と色々な話をした。
家族の元気な顔を見て、私も元気が出てきた。
明日からまた頑張ろう。


その後のことは、折に触れてこのブログの中で書いてきた通りである。
あれから3年を経て、今、私は再び平凡な日常を過ごしている。
年度末で仕事は忙しいが、それは些末な事。
昨日の延長線上にあった今日。
予測できた今日。
しかし、今日と変わらない明日が来るとは、誰も保証できない。



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2014/2/21

気になるニュース  コラム
 

グルメサイト「食べログ」に掲載された店が、情報の削除を求めて運営会社を訴えたという。
  ↓
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140220/dms1402201212013-n1.htm

言論の自由、表現の自由は尊重されなければならない。
しかし、その一方で、情報当事者が自らに関する情報をコントロールする権利も、同様に尊重されてしかるべきである。

言うまでもないことだが、言論・表現の自由は無制限に容認されるものではない。
情報当事者の利益と相反し、かつ情報当事者にとって受忍し難い不利益がある場合には、公益の観点から言論・表現の自由を保護することが相当と認められる特段の事情のない限り、情報当事者の利益の保護が優先されるべきである。
ヨーロッパでは、「忘れられる権利」の議論もなされているらしい。

この手の紛争が生じたときにしばしばメディア側が持ち出す「言論・表現の自由」というお題目は、ときに空虚で見苦しい。
商業主義で興味本位の情報発信に、情報当事者の利益を害してまで保護するに値する公益があると果たして言えるのだろうか。
単に自己の利益を守ろうとしているだけではないのか。
ブログを通じてささやかながら情報を発信している者として、しっかり襟を正さなければならないと思った次第である。

  


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