忘却の川へ流れ去る諸々をしばしこの岸辺に繋ぎとめて..日記についての日記、もしくは不在の人への手紙。
2006/9/13
「Ghost in the Machine」
cyberscape
この前は、黒沢清の映画の幽霊的なものから『攻殻機動隊』のGhostへと話が及んだのだが、先日見た一編『タチコマの家出 映画監督の夢 ESCAPE FROM』(S.A.C.No12)では、生命維持装置のような箱におさまった映画監督の脳がでてきた。この脳の内部には持ち主である映画監督自身がつくりだした映画館が封印されているのだ。この脳に接続したものはみな、この監督の理想の映画が上映されている仮想の映画館へと誘われ、そのすばらしい作品に心奪われ、誰もがそこを離れられなくなるのだった。皆が皆、夢見心地で監督の夢を眺め続ける、夢のような光景。
その監督の夢に接続しかけたタチコマは、そこにタチコマにとってはいまだ未知のGhostの所在を垣間見ることになる。バトーの天然オイルを注入され、自我に目覚め始め、よりいっそうの知性の獲得を求めて外部の情報を自ら摂取しようとするタチコマ。Ghostにふれることで機械から存在者へ大きく踏み越えようとするタチコマ。しかしそれは未遂に終わる。それ以降、タチコマ内部の変容は草薙素子をある種の脅威へと追い立てるだろう。それはまるで、人の心を宿し始めた内田善美の「ネコ」のようだ。
さらに、第15話「機械たちの時間 MACINES DESIRANTES」ではタチコマが、とうとう自身の個性や意思を自覚し始める。この話のなかでのタチコマたちの会話が面白い。サイボーグと人間の差異だとか、精神が身体と切り離すことができるのかと真剣に議論するタチコマ。このようなタチコマの進化に危機感を感じた少佐がバトーを呼びつけて部屋のなかで相談する。その場面で、少佐の態度の変化に気づいたタチコマがそれを盗み聞きしようとするシーンがあり、それが『2001年』からの引用となっていてなかなか楽しい。ほかにも、クレタ島人のパラドックスでサイボーグを煙に巻いたりもしていて、それは『ブレードランナー』を思いださせるのだった。
そんなタチコマが、Ghostに思いを馳せる。アナログのバトーたちにとってGhostの源にあるのは神なんじゃないかと、それは、体系を体系たらしめるために要請される意味の不在を否定する要素なんだよね。でもって、デジタルな僕たちにとって、それは数字のゼロみたいなものなんじゃないかなー。ねえねえ、Ghostを持つってどんな気分?いいなあ人間は死ぬことができて...バトー、困惑
せめて、スクラップにされる前に「ミキちゃんに会いたい」と欲望するタチコマ(MACINES DESIRANTES?)、欲望する機械、内部に幽霊を宿す機械、もはや、それは人間そのもの。

0
投稿者: イネムリネコ
詳細ページ -
コメント(0)
トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ