届くはずのないラブレターが未知の相手に届き、そこから双方の交換が始まることによって、埋もれていた別の記憶(手紙)が時空を越えて今に蘇る。岩井俊二の『ラヴレター』は、失われた時と不在の人を介してやりとりされる「手紙」を主題とする映画である。
主人公渡辺博子は雪山で遭難死した恋人藤井樹に宛てて手紙を書くが、その手紙は死んだ恋人と同姓同名の異性の幼馴染、もう一人の藤井樹に届くことになる。そうして始まった二人のやりとりは、決して出会うことのないもう一人の自分とのやりとりである。現に二人はそっくりで(映画では中山美穂が一人二役)もう少しで出会いそうになるが結局すれ違いに終わってしまう。そうした分裂とすれ違いがこの映画では「手紙」というものを介して幾重にも描かれるわけであるが、その手紙が本来は行く宛先のないものであり、そうであったがゆえの偶然が思わぬ関係性を招来する。手紙が内包するそのような本質の一部が露わにされているところに、この映画のある種の深さがある。
劇中の現在では、本来の相手は既に亡くなっていることから、ラブレターにのせた渡辺博子の気持ちが届くことは不可能である。しかしこの映画では、幾つかの偶然性を周到に配置することにより、間接的でありながらも死者からの返信が見事に描かれている。手紙をもらった藤井樹は死んだ藤井樹にまつわる過去の記憶を掘り起こす作業を行うが、最後の場面で、彼が中学校時代にもう一人の藤井樹に宛てたラブレターが現在の彼女のもとに届けられることになる。そのラブレターの形式もプルーストをネタに一つのポイントとなっているが、決して渡辺博子に届けられることのない彼の思いは、もう一人の渡辺博子(藤井樹)が受け取るのである。
死んだ藤井樹の彼岸からの視線は、映画を見る私たちが現在の渡辺博子と藤井樹を同じ二人と見る視線と重ねられて、かっての届かなかった思い・成就しなかった恋が時を越えて相手に伝わるところで物語は結ばれる。しかしその物語は失恋の物語に違いなく、恋人を亡くすことの失恋に対して、未完に終わったかっての恋という意味での失恋の物語が応答する。その応答は、渡辺博子に対する死んだ藤井樹の間接的な返信とも受け取れる。
渡辺博子と藤井樹が出会えなかったのは、二人がまたこれからもそれぞれの物語=歴史を引き受けながら、個々の生を背負って生きていかなくてはいけないという神(作者)の計らいによるものである。藤井樹は遅れて届けられた彼の思いを自分だけの心の中にしまい込み、決してそれを渡辺博子のもとへと届けることはなかった。そうして二人は過去の記憶(彼岸)に繋ぎとめられることなく新しい生に向うだろうことを示唆しつつ、物語は閉じられる。
© Shunji Iwai

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