2004/9/5
新型iPod 20Gを購入して半月あまり、もうすっかり身について手放せない愛器となってしまった感がある。すでに手持ちのCDやMP3データからインポートした音楽データが2000曲近く、アルバム枚数でいえば200枚強で容量のおよそ半分ほどを消化してしまった。当初はiPod miniでも十分じゃないかと思っていたが、20GBでも足りないくらいだ。しかし、40GBになると本体が多少ぶ厚くなるので今のようにポケットに入れて持ち運ぶのは難しい。
このiPodをはじめとする大容量HDD携帯プレーヤーに関しては、これはちょっと革命的な代物ではないだろうかと私は思う。ちょうど80年代のウォークマンに次ぐエポックメーキングなものではないか。当時爆発的にヒットしたウォークマンについては、『ウォークマンの修辞学』なる書物で細川周平がその社会的な様態を意味論的に分析・考察しても見せたのだが、彼はこのiPodについては何を思うだろうか。
わたしがつくづく感じるのは、再生音楽はまさに電子データだということだ。音楽がデータであることは録音・再生におけるデジタル技術の発達や家電のデジタル化も相俟ってすでに自明のことだったが、これまで個々の音楽消費の局面ではCDやMDといったメディアの介在が大きかった。しかしiPodの宣伝文句の一つに“good bye MD”とあるように、この機器がMDというメディアを過去のものとすることは確実であろうし、CDも今後の動静は非常に不透明である。CCCDなどという反動的な障壁がこのまま蔓延していくことは、かえってCD自体の短命化を招くことになりかねないと思う。今後は単位あたりのデータ容量=音質の格差によりMP3等の携帯音楽とSACDやDVD等比較的高品質な宅内音楽とに枝分かれしていくのではないだろうか。その点でCDはもはや中途半端なメディアとなりつつあるのかもしれない。
確かにMP3などの圧縮データは本来の音楽ではないし、データの圧縮と一定帯域のリダクションによって音質が低下していることは確かだろう。しかし生の音楽に比べれば(比べるべきものでもないが)所詮は再生音楽、CDと五十歩百歩なのだ。それよりも携行可能な音楽であるために物質としてもデータとしても手軽であることが重要である。
それに加えて大容量のハードディスクである。ウォークマンの場合は限られた音楽ソフトを屋外に持ち出せたのに対して、iPodの場合は手持ちの音楽ソフトの全ライブラリーをそっくり持ち出せることになる。つまり自分の家のリスニングルームを戸外に持ち出すようなものだ。言いかえればデータベースを常時携行できるということであり、場所と時間を選ばずこれという音楽トラックにアクセスできるのだ。性格としては家電というよりモバイルPCに近いものがある。それ自体は自立型の機器ではなく母艦としてのPCとデータ交換ソフトiTunesに依存しているという点を差し置いてもなかなかの代物と思う。
iTunesもPCを通じてネットとつながり、さらに大きな音楽のデータベースに繋がっている。今後はCDといったメディアを介さずともデータとしてダイレクトにソフトが流通していくことになるだろうし、著作権ガードがあるとしても、エンドユーザー同士のダイレクトなデータの交換・流通は今後加速していくのではないだろうか。

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