2004/9/11
「彼らの」出来事を「私たちの」出来事として記憶する
新たな記憶の回路を創り出すこと。
岡真理,「私たちは何者の視点で世界を見るのか」,2001
1990年代の初頭。
初めて訪れたNYCで見たワールド・トレード・センターは、ただただ高く、
ビルの真下に立って見上げれば、
今にもこちらに倒れてきそうな錯覚を覚えるほど、それはただただ高かった。
21世紀の初頭、それはまるで幽霊のように消え失せた。
スカイラインは、それぞれ自立した ランドマーク(標)となるようデザインされた摩天楼の(計画なき連鎖の)アマルガムである。中には現実にランドマークである塔もわずかにあるが、多くの塔は、特に最も背の高い塔は「機能的な」空間となり、ほとんど偶然にランドマークとなってしまった。その意思決定のベースには、融資の結果や厚顔無恥や芸術があるが、玄人には到底承服しがたいものがある。ワールド・トレード・センターの背の高い直截な塔が、街のスケールを変更し、それまでの配慮を蔑み、取るに足らないもののように思わせてしまう前は、ニューヨークはよいところだと私は思っていた。
チャールズ・W・ムーア,『記憶に残る場所』,1994
グラウンド・ゼロ以前、
ワールド・トレード・センターは良くも悪くもマンハッタンのランドマークだった。
グラウンド・ゼロ以降、それは黙示録的な世界のランドマーク(墓標)であり続けるだろう。
多様性、他者への寛容、法の下の平等。アメリカの大都市で唯一、ニューヨークは単なる場所以上、人々の集合以上の何かだ。それは一つの理念でもあるのだ。
「民主主義」。それがアメリカの根底にある信条なのだ。個人の尊厳を信じ、たいがいの文化・宗教の違いを認めあう。その根本原理は、ニューヨークの街頭において日々実現している。
ジョージ・ブシッシュに投票したニューヨーク市民はごく少数派であり、大半はブッシュのやることを疑念の眼で見ている。彼はどう見ても、私たちにとって十分民主的でない。ブッシュとその側近たちは、現在アメリカが抱えているさまざまな問題に関し、開かれた議論を進んで行ってきたとはいえない。イラク攻撃は近いといった報道が盛んに流れているいま、懸念を抱くニューヨーカーはどんどん増えている。グラウンド・ゼロから見ると、地球規模の惨事への準備が着々進んでいるように思えるのだ。
雑誌の表紙に「アメリカはニューヨークから出て行け」とあった。この数週間、ニューヨークが合衆国から脱退して独立都市国家になるといった可能性を、何人もの友人が熱く真剣に語るのを私は耳にしている。
ポール・オースター,「ニューヨーク USA 民主主義」,2002.9.11,朝日新聞、
後に「NYC=USA」という表題で『True Stories』,2004,新潮社に所収。
このオースターの「ニューヨークの合衆国からの独立」に言及したテクストを読んだとき、私の頭の中にすぐに浮かんだのは「沖縄の日本からの独立」という言葉だった。ニューヨークと沖縄は見えない回路でつながっているのだろうか。

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