忘却の川へ流れ去る諸々をしばしこの岸辺に繋ぎとめて..日記についての日記、もしくは不在の人への手紙。
2005/4/29
『孤独の発明』はポール・オースターにとって出世作となったニューヨーク三部作の第一作目『City of Glass』が出版される3年前の1982年に発表された。この作品は、作家自身が語る父の思い出の記「見えない人間の肖像」と内面的独白で語られる作家A自身の過去と現在の記「記憶の書」の2編により構成されている。
「見えない人間の肖像」
父親の死に直面する私、結局私は父親に受け入れられることはなかったと思う。よそよそしく自分の殻に閉じこもる父親、少年時代の父との不幸なコミュニケーションの繰り返し、私は結局彼に理解されなかった。そもそも彼は私の気持ちを知ろうともしなかったのだ。それは、私のせいではなく、人に極端に無関心な、自分の子供に対してさえ無関心な父親の資質によるものだったが、たとえそうだとしても、父親が亡くなった今、私は深い喪失感と孤独を抱える。一体私の父親とは、その存在とは何だったのかと自問する。私は父の遺留品を整理するうちに一枚の写真を見つける。それは、父のまだ幼い頃にとられた家族の古い写真である。しかしそれはどこか不自然な写真だった...
その写真の謎が明らかにされていく過程で、一家の秘密が露にされる。しかしそのことが父親の人間形成に影響を与えたというようなことが語られるわけではない。それはあくまでも過去の事実に過ぎないのだ。そして私は、父にまつわる最良の逸話や記憶を想起しようとするだろう。それは、父と息子の絆の取り戻しでもある。たとえ一方通行ではあっても私個人として必要な事柄なのだ。それを書き記すことで、私は父の死に決着をつけ、父という存在(不在)を乗り越えていくことが出来るだろう。「私はこの物語をずっと前に書き始めたのだ。父が亡くなるずっと前に...ひとたびこの物語が終わりに達しても、それは依然みずからを語りつづけるだろう。言葉が使いつくされてしまったあともなお。」
「記憶の書」
先の一編では、作家の私は父を思い続けていた。この一編で作家Aが思い続けるのは息子のことである。Aは結婚生活に挫折し離婚、息子と離れて暮らしている。父を思うことと息子を思うことが、かっては息子であり現在は父である作家の内部で奇妙に響きあう。
「彼は自分の息子を見て、その顔の中に自分自身を見る。息子もまた彼を見て自分が自分自身の父親になるのを見出す。そんなとき息子の目に何が映っているのか、彼は想像してみる。不思議なことに、彼はひどく心を動かされる。息子の姿に感動するというだけではないし、自分は今自分の父親の内部に立っているのだという感慨に襲われるというだけでもない。息子の中に自分自身の消え去った過去が見えること。それが彼の心を動かすのだ。」
父と息子に挟まれている彼、その存在の不可思議な揺れ動き、世代から世代へ受け継がれるもの、その各々のつながりや結びつきは不幸で限定されたものかもしれない。しかしその有限性には無限の可能性が秘められているのだ。書き続けるうちに様々な偶然(coincidence)が彼のまわりに蓄積されるだろう。それには意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。しかし意味があるとすれば、この書くことそのものであるだろう。記憶が書くことを促すならば、書いているのは彼ではなく彼の中の記憶である。幼年期の私、私が忘れていた私が書くのだ。
だからこそ彼はこの小さな部屋で書き続けるだろう...記憶を記述し、物語を読み続ける...少年時代、パリの生活、アンネ・フランクの部屋、ピノキオと鯨の腹、ヘルダーリンの塔、シェラザードの閨、ポンジュの記憶の部屋、フェルメールの部屋、ゴッホの部屋...そのどれもが限定された時空間だが、それは今も彼とつながり、世界とつながっているのだ。だから、彼が書いているこの場所がどこにもつながっていないなどとどうしていえるだろうか。
彼は、彼と父、彼と息子のつながりを梃子として世界とつながり始める。彼が書き続ける部屋、それは多くの別の場所や時間が畳み込まれた空間となり、一つの世界を形づくるだろう。アムステルダムの街の構造とのアナロジー、自分の中のバベルの塔、ライプニッツのモナド。
彼は、また新たな紙を取り出し、言葉を書きつける。そして、さあ、思い出せ、魂の襞から。
すべては充実し、どの物質もつながりあっている。しかもこのような充実体の中では、どの運動もみな距離に応じて、遠く隔たった物体に何がしかの影響を与える。したがって、任意の物体Aは、それに接している物体Bから影響を受け、物体Bに起こるすべての出来事を、ある程度まで感知するだけでなく、自分が直接触れている物体Bを通じて、別の点でBに接している物体Cの中に起こる出来事まで感ずることが出来るのだ。その結果、このようなつながりは、どんなに遠いところへもおよぼされることになる。というわけで、どの物体も、宇宙の中で起こるすべての出来事を感知するから、仮に何でも見える人がいるとすると、その人の目には、各物体の中のあらゆるところで今現に起こっている事柄だけではなく、今まで起こったこと、これから起こるであろうことまで読みとることができるということになる。時間的、空間的に遠く離れているものを、現在のなかに認めることができるということだ......しかし魂が、自分自身のうちに読みとることができるのは、そこに直接に表現されているものに限られている。魂は自分の襞を一挙に開いてみるわけにはゆかない。その襞には、際限がないからだ。

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2005/4/28
先日、久しぶりに図書館に行き、午前の空いた時間をつぶす。その図書館には、広いフロアの書庫の周りに六人掛けの閲覧デスクと一人掛けの研究用のデスクが並べられている。以前からそうだったのかどうか知らないが、研究用のデスクにはコンセントが床に取り付けられていて、パソコンを持ち込んでの作業も可能だ。便利になったものだ。おおっぴらには出来ないだろうが、今の学生ならハンディスキャナとかデジカメとかも一緒に持ち込んで、この図書館で一季節こもれば、文献研究ならば論文の一つすぐにできてしまいそうである。比較的ゆったりとして人も少なく静かな室内は結構快適だった。
何気なく、村上春樹周辺の棚を眺めていたら、三浦雅士の『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』が目についたので棚から取り出してパラパラとめくる。そこで、三浦雅士が、例えば『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と『最後の物たちの国で』を引き合いに出して、しきりと村上春樹とポール・オースターがとても似ていると書いているところにひっかかりを感じてしまう。そりゃあ、共通点をあげようと思えばいくつかあげることはできるだろうが、全然ちがうだろうが、と思うのだ。村上春樹はアメリカ文学志向だがオースターはどちらかといえばヨーロッパ志向である、といったこと以上に、言葉に対する感覚、書くことに対する姿勢が全く違うのではないだろうか。うまく説明できないけど。それと、オースターにはどこかしら生まれついてのものを持っているようなところがある。「星」みたいなものを感じさせる人なのだ。彼のマジックにかかると突飛なストーリーもそれでOKという気分になってくる。まあ、いいじゃないかと、ここは小説家にまかせて物語にこの身を委ねていこうじゃないかと思えてくるのだ。個人的にはそこが村上春樹とは大きな違いなのである。
オースターはエッセイも面白い。その中味も小説に負けず劣らずストーリィー・テリングだ。これまで『孤独の発明』、『空腹の技法』、『トゥルー・ストーリーズ』の3冊が出ていると思うが、そのなかでは何と言っても『孤独の発明』だろう。ということで、9年ぶりに新潮文庫版を本棚から取り出して(最近はこんなことばかり)読んでいるところなのだけど、やっぱり面白いのでした。
この世界のことをしばらく忘れていたけど、僕は、ほんとうはこんなふうに書きたくてこのWEB日記を始めたのではなかっただろうか、と今さらながら思い出したような気分になっているのです。
(翻訳という)行為の不思議さは、何度考えてもAに感銘を与える。
あらゆる書物は孤独の象徴だ。
部屋の中には一人しかいない。だがそこには二人いるのだ。そこにいて、同時にそこにいないもう一人の男。Aは自分を、その男の幽霊ともいうべき存在として思い描く。男の書いた書物は、いまAが翻訳している書物と同じであり、と同時に同じでない。したがって、とAは自分自身に言う。一人でいると同時に一人でいないということも可能なのだ、と。
Ref.「記憶の書」 ポール・オースター

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2005/4/24
自分の書いたものを読むのは不可能なことだ。
わたしはベッドの中で闇に取り囲まれながら夢想する。手紙を書くことだ。手紙を書く相手は、実はわたし自身の生まれかわりである男で、書くのはもちろんわたし自身なのだけれど、もし、生まれかわりの男に手紙を書くのだとすれば、わたしは一度死んでいなければならないわけで、そうでなければ、生まれかわりというものが存在するはずがないのにもかかわらず、手紙を男にあてて書くのはわたしでなければいけないのだから、わたしは死ぬわけにはいけないのだ。わたしが死んでしまったら、男は手紙を受け取ることができないし、書くもののいない手紙は存在することがないだろう。ところが、わたしが死なないで手紙を書いたとすれば、手紙は存在するかもしれないけれど、それを読む相手は不在で、もちろん返事も来ないし、相手が存在しないのなら、手紙を書く理由はなくなってしまうかもしれないのだ。
……わたしにとっての夢の本といえば、この不可能な不在の彼との手紙のやりとりであって、不在の彼が、実はわたし自身であるという、わたしにとっての逆説なんかでない真実にしか、わたしの夢と書くことへの願望はないのである。
……彼は、おそらく、わたしの小説を読むだろう。しかし、決して彼はそれを読むことはあるまい。
そして、わたしの夢の本も、決して存在することはないだろう。なぜなら、夢の本の意味するのは、真の意味での書く理由の欠如であり、わたしの書けなさのすべてなのだから。夢の本は、海だけでおおわれた惑星のように、岸辺のない海のように、ただ巨大な球形の空虚な海として、不在であり、そして存在する。 ref.「夢から海へ」 金井美恵子
それにしても、不思議な文章だ。日ごろこの作家が話すことに、自分の小説を「作者としてではなく、読者として読むことを夢見る」ということがあるのだが、ここに込められた願望というものは、わたしが書いたものをわたしのものではなくあたかも他人が書いた文章であるかのように読みたい、もしくはわたしが書いたものを、わたしが書いたということを忘却し、全くの他人として読みたい、そうすることで、読むことの快楽を全うしたいということなのだ。わたしの読みたいものは限りなくわたしの書きたいものに近づいていくだろう。そのような幸福な一致を夢見るという、小説家としてまことにナルシスティックな心情でもあるのだが、しかしそのためには書き手と読み手が一致しつつ分裂しなければならないということがアポリアとなる。とうてい、それは無理な話なのだ。
しかし...わたしの中に同居している書き手と読み手とが限りなく遠ざかっている場合には、それは可能なのではないだろうか。時間的あるいは空間的な隔たりによって、書き手のとしてのわたしから発せられたテクストが読み手としてのわたしに到達したときに、そのテクストがあたかもわたしのものではないような、あるような、そんな不確かなものに変容してしまっているということが。そのとき、わたしはまるでデジャ・ヴのような不思議な気持ちになるだろう。
そして...そんなことはたしかにあるに違いないだろう。それがどうしたってわたしが書いた文章ではあるはずないのに、それはわたしが書いたに違いないものである、そうとしか考えられない、ということが。そんな白日夢のような、偶然の一致ともいうべきことがらが決して少なくはないということ。
……わたしにとっての夢の日記といえば、この不可能な不在の相手との手紙のやりとりであって、不在の相手が、実は別のわたしであるという、パラドックスのような真実のなかにしか、わたしの夢と書くことへの願望はないのである。
……わたしは、おそらく、あなたの日記を読むだろう。しかし、決してわたしはそれを読むことはあるまい。
そして、わたしの夢の日記も、決して存在することはないだろう。なぜなら、夢の日記のあるところ、真の意味で、書くわたしの欠如とあなたの不在がそのすべてであろうから。夢の日記は、海だけでおおわれた惑星のように、岸辺のない海のように、ただ巨大な球形の空虚な海として、存在し、そして存在しない。
夢の日記で書くことは、書かないことであり、書けることは書けないことなのだ...

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2005/4/20
〈合一〉することのない他者同志が〈共に在る〉こと、
ひととひと、あなたとわたし、言葉と言葉、日記と日記...
そのようなあらゆる出会いと境界を問うこと、
そこでの〈分割〉のコミュニケーションを問うこと、それが、
生きること−思考することの中でつねに問われているものである。
つながりということについて考えます。
たとえば、この場所について。
ブログというものとの関わりからいえば、
私自身、ここがいわゆるブログだという意識はありません。
あくまでもWEB日記の場所にすぎません。
それでは、ここはブログとどう違うのでしょうか。
「情報速度の遅さ」
「人気のない静けさ」
「長尺なテクスト構成」
「匿名性」
「無為のネットワーク」
この場所の、上にあげたような性格はどれも、
現行のブログのあるべき性格とは、正反対のものでしょう。
トラックバックもコメントもない、誰も訪れることのないブログ。
それでもカウンターが回っていくのは、Ghostの訪れによるものでしょうか。
もちろん自分自身もGhostに他ならないのですが。
ブログとしては全く機能していないのです。
それでも、結構満足している自分がいます。
ここが、「無為のネットワーク」の場所であることに。
つながりということについて考えます。
リンクやトラックバックといった事柄など、どうでもよいことです。
そんなことをしなくても、つながろうと思えばつながれるのです。
あなたは書きます。わたしは読みます。わたしは書きます。
あなたは読みます。そして、あなたは書くでしょう。わたしは読むでしょう。
そして、わたしは、また、書きはじめる...
そういったことが繰り返されることでしょう。
その連鎖(つながり)が「無為のネットワーク」に他なりません。
ブログの仕掛けなど必要ないのです。
わたしたちは未完の本のようなものです。
わたし(あなた)の本の綴じ糸が綻んで、
そのなかの一頁が木の葉(leaf)のように、風に吹かれて
たまたまあなた(わたし)のもとに届いたのです。
そして、あなたとわたしとの間に1本の糸がつながったのです。
いつ切れるとも知れない1本の糸、蜘蛛の糸が...
しかし、無為であるかぎり、それは切れることはないのです。
また、必要以上にWebに絡みとられなくともよいのです。
密やかで儚げなこのつながりの感覚こそがすべてなのではないでしょうか。
現存在たち、それは主体ではなく、
それら自身が分割によって構成される、
というよりむしろ配置され空間化されるものであり、
他者たち...なのである。
そしてその主体はといえば、それは分割のうちに、
分割の脱自のうちに沈み落ちていく――
「合一し」ないそのことによって「通い合い」ながら。
_______________ ref. 『無為の共同体』 ジャン=リュック・ナンシー

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2005/4/13
春、桜の季節がもう過ぎようとしています。
花が、毎年、同じように開いては散って、
あれから、4度目の季節が過ぎようとしていますが、
あなたの生活にも変化があったことでしょう。
わたしはというと、
さて、何が変わったというのでしょうか。
何も変わりはしないのです。
数多の思考や感情が芽吹き、
やがて、開いては散っての繰り返し、
ただ、それだけなのです。
春は花咲く 木かやも目立つ 立たぬ名も立つ 立てらりょか
春になればぞ うぐいす鳥も 山を見たてて 身をふける
春の霞は 見るまいものよ 見れば目の毒 見ぬがよい
B.G.M. 「椎葉の春節〜桜」 perform by ZABADAK

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2005/4/7
雑誌「ユリイカ」の最新号の特集が「ブログ作法」ということで、早速目を通してみた。ほとんどが「はてな」近辺の人々による執筆もので、対談と昨今の有名ブログ・レビューに紙面の多くが割かれている。私自身がブログ初心者だからか、対談なんかはその量のわりには読みどころがなくぴんとこない。「はてな」というブログがそれほどエポック・メイキングなブログだったのかさえ認識不足でよくわからない。とにかくそこには人文・科学系の人たちがたくさん集まっているようで、なにやら活気があるようだ。ここでの日記を始める際、他のいくつかのブログ・サービスも試しに使ってみたりした。その中に「はてな」もあったのだが、どうも雰囲気が気に入らなかったので、そこは初日の投稿を放り込んだまま放置している。
さて、「詩と批評」のユリイカとして、ブログに関する深い論考や鋭い批評が載せられているのかというと、それらは10編ほどあるものの、どれもあまり読みごたえがない。そのなかでやはり傑出していたのは、最近映画批評本も出した人気ブック・デザイナー、鈴木一誌による「遮光された部屋」だ。
おそらく、その文章からは鈴木一誌がブログについてあまり詳しくないことが伺えるのだが、そこはデザイナーでもあり文章家でもある彼のこと、ブログに向ける新鮮な眼差しと研ぎ澄まされた感覚でもって、ブログが表象しているものを皮を剥ぐように記述していく。たまたま訪れたブログサイトで旧知の映画が紹介されていることを話のとっかかりとして、そのブログの語り口についてまずフェノメノロジカルな記述を重ねながら、その語りが納められているブログというフレーム(それは文字通り画面としてのフレームであり、ブログであることで規定されているかに思える思考のフレーム、いま・ここの時間のフレームでもある)に関して思考は、なめらかに、しかしところどころでクリティカルな迂回をたどりながら展開されていくのである。
とくに、ブログの書き手とそこに書かれたものとの間の微妙なズレ・切断について思いを巡らせながら、ブログの批評性を語りつつ、それがまたひとつの文芸批評論となっているところは、他の評者の論考に較べて数段啓蒙的であることはたしかだ。
ちなみに、鈴木一誌が訪れた「遮光された部屋」は、今も存在するようである。印刷された文章の記述をたどって検索すれば、即座に眼の前に浮かび上がるだろう。そしてすかさず、トラバることができるというのもブログならではである。果たして、その行為にいったいどのような批評性があるのかと問われても、何とも答えようはないのだけど。
「文章体験」とは、「読むこと」から「書くこと」までの距離を含むと理解しておくならば、「書くこと」にとって、「読むこと」は過ぎ去った今としてあることになる。簡単に言えば、小説を読みながら文芸批評は書けないし、映画を見ながら暗闇で同時的に筆記はできない。そして、作品やことがらの受容は、過ぎ去った体験としてあるはずなのだが、心肝のおののきや振動がいまなお嚥下しきれぬもの、忘れえぬこととして眼前しているからこそ「疲れる経験」でありながらも、書かれなければならないのだ。

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2005/4/5
E虚構とリアルの再統合、物語の神話化にむかって(〜現在)
『アンダーグラウンド』で綿密なリサーチを重ね、ノンフィクションの方法を学んだ村上春樹は、再び、物語のほうへ回帰するだろう。彼にとってはもう、ほとんど怖いものなしである。身体も鍛えている。あとはこれまでの手法をフルに活用して、体力とイメージの続く限り、より周到に大きな物語をつくりこんでいくばかりだ。しかし、彼が周到に物語をつくるといっても、それは何も完璧な物語をつくるということではない。何故なら彼の目指す場所は非常にほの暗い曖昧な場所であるようだから。
事実は小説より奇なりという言い方があるが、村上春樹はそれを認めない。事実とフィクションはその作用の仕方が全く違うので、事実は事実、フィクションはフィクションとして両者の間に優劣はつけられないのだという。村上春樹にとって事実とフィクションは「永遠の補完関係にある」(text1)、またそれらは、歳月を経ることによりだんだん近接してくるものではないかともいう(『心臓を貫かれて』訳者あとがき)。そのような事実ともフィクションともつかぬものを何と呼べばよいのか、それは小説や物語を通り越して「神話」と呼ぶしかないものとなるだろう。
「神話」は「歴史」でもあり、人々の集合的記憶、無意識の別名でもあるだろう。それは井戸の底のようなものだ。そこには有象無象の様々なものが封印されている。「謎」の場所だ。村上春樹は物語を編みながら、常にそのような場所を目指す。だから、その物語には、必ず「世界の終わり」や「地底(アンダーグラウンド)」や「森」が内包されているだろう。そしてたくさんの「記憶」や「病い」、「悪」や「歪み」を物語の主人公に託し、井戸の底に沈めるのである。それは当然、死の世界である。「僕は小説を書いていて、普段は思わないですけれども、死者の力を非常によく感じることがあるんです。小説を書くというのは、黄泉の国へ行くという感覚に非常に近い感じがするのです(text1)。」
物語を編むことは深く深く井戸を掘ることであり、主人公にとってはその井戸に入っていくことが宿命だから、ときには井戸から出て来られなくなることもあるだろうけど、無事に井戸を抜けてくることができれば、世界は新しい光に満ちていることだろう。その通過儀礼のプロセスを読者も疑似体験するのだ。そこは、主人公の心と読者の心と、そして多分作者の心が出会うことのできる場所だから、何かを共有し、交換し、互いに癒されるのである。
「お互いが記憶を持ち寄ってくるわけですよね。で、その二つの記憶は異なっていたとしても、あるいは相反していたとしても、強くインタラクティブなものであれば、互いに作用しあうことによって、そこにメタフォリカルな真実が生まれることになります。事実というチャンネルを回避するわけです。そういう意味において、極端な言い方をすれば、事実を回避することによってつながるわけですよ、魂と魂が。」(text3)
しかし、井戸の底を覗き込む各々の眼差しの先でゆらゆら揺れている水面に何が映し出されているというのだろうか。虚ろな幼い魂がそこに彷徨いこんだとしたら、いつまでもその幻影に見入るばかりでそこから出て来られなくなるんじゃないだろうか。次々と「謎」をかけられる鏡の国のアリスのように。「そこにいたる正しいパッセージさえうまく見つけ出せれば、それがいろんな言語に置き換えられても、やはり同じように人の心をつかまえるもんだと思っているんです」(text3)。ここに、村上春樹の神話が成立する。あなたはもう、村上春樹の虜である。
とまあ、最期はなにやら怪しげな調子となってしまったが、村上春樹の小説は、作家自身のメディア体質(霊媒体質ではなさそうだが)により、共感できる読者にとっては「鏡」のようなものといえるのではないか。読もうと思えばそこにはその折々にいろいろなものが読めるだろう。「謎」や「わからなさ」さえもそこでは共感の装置として働くだろう。なぜならそれは眼差しを欲望する装置に他ならないのだから。その意味で、村上春樹の文学は、悩みを持ち、自問自答する青少年にとっての文学であるといえようか。青春の一時期、このような文学の森に彷徨うのもある種の「通過儀礼」として、思ったほど悪いことではないのかもしれない。そこをターゲットとして書かれたということでも、『海辺のカフカ』は機に敏な作品であり、青少年への語りかけとしてそれは十分機能したのであろう。
しかし、振り返れば、『風の歌を聴け』から遥か遠くに来たものだ。私自身にとって、村上春樹という人は最初から空虚な存在である。何も本人に中味がないといっているのではない。小説家としてはもちろん傑出した人だと思う。でも、いくら小説を読もうが、対談やエッセイを読もうが、私に映る村上春樹の像は何やら虚ろなままである。かといって、その輪郭を明らかにしたいとは思わない。これは、小説に関しても同じことで、謎が多いからといってそれを強いて解釈しようとも思わない。村上春樹という人に関しても、その小説に関しても、そこに語られている以上のものはないだろうからである。私の村上春樹の読み方は、今回は言葉数が多くなったが、実はエンターテインメントとしての読み方以上のものではない。ただ、『海辺のカフカ』をエンターテインメントとして読んだときに、その読み方ではおさまらない過剰さと欠落(欠損?)があるように感じ、そこでついつい言葉を費やしてしまったというわけだ。裏返せば、それが今も村上春樹が純文学作家として位置づけられている所以なのかもしれない。

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2005/4/4
C歴史の発見・他者との邂逅(〜1996年)
村上春樹にとって、新たなる自分の文学に向けての暗中模索の時期。『ノルウェイの森』の出版前後から海外渡航が頻繁になる。平たく言えば、新たな題材を求めて外の世界に飛び出していった時期であり、90年代に入ってからはアメリカでの定住生活も経験する。海外生活での異文化=他者との邂逅は、自分の中の「作家性」や「小説という行為」といったものから、日本の「文化」や「歴史」、「社会」に至るまで内外・大小の事象についての省察を促したことだろう。その間、平行して書かれたのが『ねじまき鳥』である。『ねじまき鳥』にはノモンハン事件という歴史的事実が小説の中心に据えられている。自分の小説の物語化・長尺化には成功した、近代文学の体裁でも書いてみたら売れた、それでも何か足りないものがある、ストーリーテリングの面白さだけでは満足できない、じゃどうしよう、ならば歴史や社会などの大きな物語へのコミットメントだ、ということのようである。そのようにして編み出した大作の『ねじまき鳥』は複雑な構成と題材、語られた事物の謎の多さ、ということで問題作とされている、らしい。本人もこの作品に関しては奇妙なことを述べている。
「僕が『ねじまき鳥クロニクル』に関して感ずるのは、何がどういう意味を持っているのかということが、自分でも全くわからないということなのです。これまで書いてきたどの小説にもましてわからない。」
「今回ばかりは、自分でも何がなんだかよくわからないのです。たとえば、どうしてこういう行動が出てくるのか、それがどういう意味を持っているのかということが、書いている本人にもわからない。それは僕にとっては大きいことだったし、それだけに、エネルギーを使わざるを得なかったということだと思うのです。」(text1)
本人がわからないほどだから、読者はそれにもましてわからないだろう。わたしも文庫化された後これを読んだがわからなかった。『ノルウェイの森』もわからなかったけどね。しかし、ここに村上文学に新たな仕掛けがもたらされた。読者の妄想をインキュベーションする「謎」が物語の装置としてプラグ・インされたのである。その「謎」は個人の内面心理にも訴えかけ、歴史や世界の大きな事柄とも通底しているかもしれないものである。この制作作業を村上春樹自身は井戸堀りに喩えている。井戸を深く掘ればやがて地下水が湧き出すように記憶の奥底から意味あり気な表象が立ち上がってくるだろう、今はその自分の中の声なき声を聴け、心の奥深く意識を潜らせよ、そうすればその回路は別の時空や大文字の歴史につながっていくかもしれないのだ。
この作品の「謎」のあり方は、喩えは古いが、デヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』や『エヴァンゲリオン』が有する「謎」と似ている。何らかの黙示録的な出来事が過去にあり、そこから生まれた「悪」は今も活動していて「わたし」に作用し続けている。次から次へと出来する事象、それらは「わたし」に過去の歴史とトラウマへのコミットメントを迫る。しかし、「わたし」自身は何故そのような舞台にたたねばならないのかわからない。
ここにきて、読み手はこの「謎」から様々な解釈を誘発される。そしてこの作品とどうにかして関係をとり結ぼうとする。多くの謎解き本が出版され、作品と読者との間の「想像の共同体」が成立するだろう。村上春樹を批判し、拒絶するものも実はそのなかにふくまれている。なぜなら、手紙は既にあなたやわたしやそれらの者の手元に届いているからだ。この段階において、村上春樹にとってもはや「追って来る相手は活殺自在」(by内田樹) なのである。
『心臓に貫かれて』については既に述べた。ここで確認すべきことは、村上春樹は、たった一人の人間の中に織り込まれた歴史の重層性を発見して驚くとともに、「他者」が内蔵する資源の豊かさを認識したということである。そこにどれほどの目を背けたくなるような悪や暴力性が内在していたとしても、抗しきれないある種の魅力がそこにはあったのだ。
Dコミットメント、リアルとの格闘(〜1998年)
1995年1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件があったとき、『ねじまき鳥』を書き上げた村上春樹はアメリカにいたが、日本にどうしても帰らなくてはならないと思ったそうである(text3)。そして6月に帰国、翌1996年の春から12ヶ月をかけて62人の被害者へのインタビューを敢行する。非常に素早い初動と粘り強い行動だ。『アンダーグラウンド』を私は読んでいないので、そこではどのようなことが語られていたのか、どのような対話のやりとりがあったのかはわからない。ここでは作家自らそれについて語っている内容から、その出来事を敷衍していくほかない。
まず、彼が注目したのは以下のようなことだった。被害者たちの事件そのものとのかかわりよりは、彼らがどのような人々であるのか、彼らはどこで生まれ、これまで何をして生きてきて、どのような経緯と理由でそこにいたのか。彼が知りたかったことは事件当時のドキュメントそのものではなく、事件に巻き込まれるに至ったそれまでの経緯、彼らの「個人的なヒストリー」、即ち彼らの人生そのものだったのである(text2)。
それは村上春樹の心にしみ入るものであった。彼ら被害者は、圧倒的に「普通の人々」だったのだが彼らの言葉(ヒストリー)には現実の生活に根ざした深みと奥行きがあり、小説家の意識に確実にコミットしてくる種類のものであった、と村上春樹はいう(text2)。このくだりで私は、柄谷行人の『日本近代文学の起源』を思い出した。村上春樹はこの時点で自身の文学の起源をある種転倒した形で発見したのではないだろうか。ゲイリー・ギルモアのような殺人犯ばかりではなく、ごく普通の人々においても、積み重ねられた歴史があるのだ。
一方で、その後の『約束された場所で underground 2』での加害者側であるオウムとの対話においては「信者(元信者)の語る個人的ヒストリー(物語)の多くは、たしかに通常ではない経験を含んではいたが、立ち上がり方が平板で奥行きに乏しく、その分心に訴えかけてくるものが希薄だった」と述べる。なぜなら、オウムのような閉鎖的な共同体においては「意識の言語化」が「意識の記号化」に結びつく傾向にあり、情報の記号化が簡単になされ、仲間内での同時的な共有が容易になるが、「しかしそのような記号化は長期的にみれば、確実に個人のナラティブ=ヒストリーのポテンシャルを落とし、その自立性を損なっていく」からだと説明する。そして、それが、小説家が信者らとの対話を通してかなり切実に感じたことだった。「それはとても危険なことなのだ」、と(text2)。この言葉は、誰に向けられた言葉なのだろうか。確かに、言葉を記号化して流通の単純化を図ることによって、情報交換は貧しくなるに違いない。混沌とした社会的事象をその方法で捉えるのは難しいだろう。そんな単純な意味以上に、私には、この言葉は作家自身に向けられた自戒の念のように聞こえるのである。
さらに、村上春樹は次のようなことも述べているのである。「日本と日本人というものについてもっと知りたかった」、「人の話をいっぱい聞くことによって自分がある意味で癒されたいという感覚がある」のだと。他人の語る物語に正面から関わってみたい、そしてそれらと自分の語る物語をクロスさせたい、そのような形で社会にコミットしていきたい(text1)、と。別の場所では、外なる混沌(悪)と我が内なる混沌(悪)は反映=鏡の関係にあるのだから、両者は呼応しているのであり、それを認めることで両者はうまく通信し始めるかもしれない、とも述べている(text2)。
しかし、これはよく考えればちょっと気持ちの悪い話ではないか。そういう形のコミットメントも確かにひとつの手法ではあろうが、まるで精神分析の現場のようなところで、相手と自分が相互転移のような関係のもとに理解しあい、癒されていくというのである。(text1)では村上春樹の「そんなことができるでしょうか」という問いかけに、対談者の河合隼雄が、それは相手によるし、場合によっては危険なことなのだと常識的に応えている。心理療法では治療者が患者に過度に感情移入すること(転移)は一般に避けるべき事柄だからだ。
ここでは、村上春樹が言う外の世界と我が内なる世界の関係は、村上春樹の作品とその読者の作品ともパラレルな関係であること、それらはメタフォリカルな関係を有するのではないかということを、示唆するのみにとどめておこう。『ねじまき鳥』の段階では、作家はコミットメントを迫られるばかりであった。しかし、ここでは作家は自ら外と関係をきり結び、現実にコミットしていった。作家は行動したのだ。とにかく、これらのノンフィクションによって、村上春樹は、現実に積極的にコミットしていく社会派作家の側面も有することになるだろう。
(以下、ようやくの、最終回へ)

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2005/4/3
さて、『海辺のカフカ』を読んだことから、最近の日記の更新情況からは考えられないほどの文章を村上春樹について費やすことになってしまった。そろそろこれでキリとしたい。ここで、村上春樹の小説のメタテーマなるものの素描を試みようと思う。手持ちの素材としては、これまで読んだ小説群と以下の3つのインタビューしかない。
(text1)『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』/1996/新潮文庫
(text2)共生を求める人々と、求めない人々と 映画「A2」を巡って
/KYODO NEWS on the Web/2002
/http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2002/aum/a2-1.html
(text3)『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』/2004/アルク
ここで、話の筋道をわかりやすくするために、私的仮設(仮説)「村上春樹クロニクル」を設定してみよう。村上春樹のデビュー作から『海辺のカフカ』まで、通時的に作品とそれが有すると思われるメタテーマをキーワードで表現してみるとざっと以下のようになるだろうか。
@デタッチメント、孤立と内向の時代(〜1980年)
1979年『風の歌を聴け』、1980年『1973年のピンボール』
A物語の成立、長尺化の時代(〜1985年)
1982年『羊を巡る冒険』、1985年『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
Bリアリズムのほうへ、私小説化の時代(〜1988年)
1987年『ノルウェイの森』
C歴史の発見・他者との邂逅(〜1996年)
1995年『ねじまき鳥クロニクル』、1996年『心臓を貫かれて』
Dコミットメント、リアルとの格闘(〜1998年)
1997年『アンダーグラウンド』、1998年『約束された場所で underground 2』
E虚構とリアルの再統合、物語の神話化にむかって(〜現在)
2002年『海辺のカフカ』、2004年『アフターダーク』
@デタッチメント、孤立と内向の時代(〜1980年)
作家自らが、この頃はデタッチメントの段階だったと述べている(text1)。既成の文壇的価値から離れ、個人の美的・文学的価値を作品の中で追求していた。余計なものはそぎ落として、自分にとって愛着のあるのもの・快感となる要素だけで作品を構成した。もともとこの作家のセンテンスは短いが、この頃はパラグラフも短くミニマルな調子で、語り手の意識を直截的に表出したアフォリズムのような文章も各所にちりばめられていた。当時はまだメジャーな作家ではなかったが若者を中心に熱狂的なファンがいた。村上春樹を嫌うものの中には、村上春樹が嫌いというよりは(確かに気障であざとい表現が目につき、バブリーな時代の雰囲気に呼応していた)身近にそれを読んでいた人間に心情的に合わないものを感じ、坊主憎けりゃ袈裟までのごとく毛嫌いしていた感がある。「読みやすいけど、表現が気障で、内容はスカみたい」という知人の酷評を今でも思い出す。
A物語の成立、長尺化の時代(〜1985年)
押しも押されもせぬ同時代の作家としての村上春樹が確立された時期。業界のことはよくわからないが、短編小説を世に問うて成功した駆け出しの作家には、課題として長編作の発表が次に課せられるといったステップアップ・システムがあるのではないだろうか。それがプロの作家としてやっていけるかどうかの試金石となる、といったような。「それまでの方法では足りないと思っていた」村上春樹自身が、「デタッチメントの段階からストーリーテリングの段階へ移った」時期である(text1)。これまでの断章形式を物語として再構築していく過程は作品の長尺化と相即である。「僕の場合、長くしないと物語としては成立しないのです」(text1)と言っているが、この言葉は転倒した感じを受ける。長くしようとすればストーリーテリングの方法でもって物語を編んでいくほかない、というほうが率直だろう。私自身は、@の時代、村上春樹のどこがそんなにいいんだろうと思っていたところへ、小説読みでは信頼できる別の知人がこれはなかなかの作品だと貸してくれた『世界の終わり』を読んで、この作家を再認識した経緯がある。
Bリアリズムのほうへ、私小説化の時代(〜1988年)
『ノルウェイの森』の爆発的大ヒットによって「本読み」以外の一般の人々にも村上春樹の名が周知された時期。本人によれば「自分がもう一段大きくなるためには、リアリズムの文体をこのあたりでしっかりと身につけなくてはならないと思って」書いた作品が『ノルウェイの森』であり、なぜだか「結局、(主題として)行き着く先はセックスと死と暴力しかなかった」ため、この作品には「セックスと死のことしか書いていない」(text1)ということである。『ダンス・ダンス・ダンス』はその延長線上で「鼠」シリーズを再構築したような物語だったように記憶する。
私見ではあるが、この作品においてこれまでデタッチメントで避けてきた純文学的・近代文学的な私小説の方法や主題を自分の物語の中に取り入れ、村上春樹という作家をここでしっかりと純文学の中に自ら位置づけようとしたのではないか。そして、それは村上春樹の力量を持つとすれば簡単なことだったし、本を出してみれば本人の予想を超えて万人受けしてしまったのである。
バブルもたけなわの1987年秋、『ノルウェイの森』はどこの店頭でも上・下巻そろいの平積みで売り出されていた。表紙はこれまでの作品とは異なった雰囲気で、上巻が赤、下巻が緑(逆だったかもしれない)のコーティングされた色鮮やかなアート紙に金ピカの帯がかけられていたと記憶する。「木の葉舞うセンチメンタルな季節、あなたがこの小説を読んで、何か感じるところがあったら、是非それをあなたの一番大切な人にも伝えてあげてください。そして、それを上・下巻揃えて洒落た包装紙に包んでリボンをつけてプレゼントしましょう、クリスマスはもう目の前です」といった売り手側のメッセージが込められていたのかどうかは知らないが、出版社の相当な販促戦略があっただろうと推測する。しかし私自身は、この作品には何も感じなかった。危うい主題のもと結局は何が書かれているのかわからなかったが、最期まで読ませるという意味では、よくできた通俗小説だった。しかしこれを最初から通俗・大衆モノとして読む人には難解な小説と受け取れるかもしれない。ナベジュンなどと違ってある種の過剰さと欠落が同居した小説だからだ。当時、普段は小説のことなんか話さなかったような知人がこの本のことを話題に出したりしてへえっと思ったりもしたものだ。(以下、続く)

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2005/4/2
「とにかく本書を読み進むうちに、その圧倒的な事実の前に、読者は底の知れぬ恐怖と、強烈な無力感をさえ感じることになる。実を言えば僕もこの本を訳しながら、しばしば言葉を失ってしまった。この本を一冊読みとおすことで、僕の人間に対する、あるいは世界に対する基本的な考え方は、少なくとも変更を余儀なくされたのではないかと思う。」
「遠い過去から、深い暗闇から現われ出て、彼らの襟首を引っつかんで地獄につれていく恐ろしい永遠の死霊。それは逃れることのできない伝承であり、遺産である。僕にわかるのは、この物語を読んだ多くの読者が、本の最後のページを閉じた後で、おそらくはそれぞれのゴーストに向かい合うだろうということだ。もちろん僕も、その「向かい合わざるを得ない」読者の一人である。」(『心臓を貫かれて』訳者あとがきより)
村上春樹にここまで言わしめたマイケル・ギルモアの『心臓を貫かれて』とはどのようなノンフィクションだったのか。主人公のゲイリー・ギルモアは1976年当時35歳、仮出所中の身のユタ州で全く無関係な二人の男を銃殺して逮捕され、ユタ州の法廷で死刑を宣告される。当時アメリカでは死刑廃止の声が強まっていたため裁判所は死刑の執行を躊躇するものの、ギルモア自らが死刑執行を強く求めたことから全米に波紋が広がるが、結局スキャンダラスに注目を集めた中で米国では10年ぶりの死刑が執り行われた、というものである。この本の著者マイケルは、ゲイリーの実弟にあたる。
もちろん、ノンフェクションということでギルモアの生い立ちから事件の内容、刑務所に収監された後死刑に至るまでの内外の出来事がなまなましく記述されることになるのだが、この本のユニークなところは、身内である著者にしか辿り着けないような事柄にまで迫っている点にある。当人達から世代を遡った祖父母の時代からの一家の因縁めいた暗い歴史が語られ、さらには19世紀中盤新大陸の各地を追われ続けてようやくユタ州に定着するまでにいたるモルモン教徒の血と殺戮の歴史が語られる。物語はこれらの時代にまで遡ったうえで、因果応報、業は巡るといった形のクロニクルとして主人公ゲイリー・ギルモアの最期に辿り着くのである。
私にとっては、この本の中のとりわけ前半部、おどろおどろしいモルモン教の歴史とそこをルーツに持つギルモア家の先祖の謎と恐怖に満ちた因縁話がめっぽう面白かった。カルトや大量殺戮、幽霊・悪霊とその呪い、いわくありげな祖父母の由来、辺境の悪場所、謎そのものである父親の存在、歪みと暴力に満ちた家族関係、著者が見続ける不気味な夢、などなど。数多のホラー・サスペンス映画も真っ青になるほどの題材に満ちているのである。そしてそれらが事実であり、クロニクルの要素として有機的な連関を保持しつつそれぞれの場所に収まりながら、謎は謎として依然不気味な影を投げかけたままであり、そういったことを背景に据えながらギルモア自身の事件を浮かび上がらせることによって、ドキュメントは単なるドキュメントを超えて異様な奥行きや重みを帯び、リアルで生々しい恐怖を体現することになるだろう。
また、死刑囚ゲイリー・ギルモアの父、フランク・ギルモアはフェイという霊媒師を母に持つが、彼が、そのフェイと当時脱出マジックで超有名だったマジシャンのハリー・フーディーニーとの間の私生児であったかもしれないという驚くべきエピソードも語られている(著者のマイケルは、彼の取材検証の結果、この点に関しては否定的である。)。このことは、アメリカの現代美術家、マシュー・バーニーが自ら制作・脚本・監督する前衛的なアート映画「クレマスター」シリーズにも題材として取り上げられ、『死刑執行人の歌』の著者である小説家ノーマン・メイラーが魔術師ハリー・フーディニー役で出演している。クレマスターの公式サイトにはフーディニーからゲイリー・ギルモアに連なる系図も記されている。余談だが、このマシューは歌姫ビョークの旦那でもある。
村上春樹はおそらく、このマイケル・ギルモアの『心臓を貫かれて』やこれに先行するノーマン・メイラーの『死刑執行人の歌』から、精緻な取材を蓄積することから事実が事実以上の重みを帯びて、リアルな歴史・物語が生成されるのだということを思い知ったのだろう。そして日本に帰ってみれば、震災とカルトによる狂信的テロリズムによって、そこにも血に染まった場所があったのだ。思えば、アメリカというネイション・ステートの中で神の王国を建設しようとしたモルモン教は、日本という国家の中で国家内国家を形成しようとしたオウム真理教と共通するところがある。彼は帰国後、オウムの地下鉄サリン事件のことを知り、それへのコミットメントとして地下鉄サリンガス事件の被害者60人余りのインタビューを敢行した。そして『アンダーグラウンド』という書物が形になったのである。さらには、同時期に上梓された短編集『レキシントンの幽霊』にもこのノンフェクションから題材をとったとおぼしい部分が伺えるのである。

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