2005/6/27
たしか小学校の教科書で読んだ物語だったと思います。その物語の内容はほとんど忘れてしまったのだけれど、当時、その物語がわたしの心から離れず、何かに囚われたような感じがしばらく続いたのでした。そして、その時の感覚はいまもおぼろげに反芻することができます。それは、一編のジュブナイル、おそらく欧米系の作家による短編物語でした。教科書に載るくらいでしたから、ドーデの「最期の授業」やヘッセの「少年の日の思い出」と同様、結構有名な作家の小品だったかのもしれません。
どこかの国の地方の片田舎に、少年は家族とともに住んでいました。少年の家は町や村からも離れた一軒家で、周辺は野原や牧場ばかりでした。そんな環境で彼は楽しく暮らしていたのか、それとも孤独だったのかはよく覚えていません。ただ、周りに友達も無く、自然に囲まれて住んでいれば、多少の夢想癖が思春期を迎えた少年の中に芽ばえたとしても不思議ではありません。この頃、少年はある一つの事柄に心を奪われていたのです。それはいつも彼の心から離れず、心の中で彼に呼びかけてくるのでした。
少年の心をとらえた物、それは、ひとつの光でした。少年の家は小高い丘にぽつんと建てられていました。周囲はのびやかに開けており、幾条にも草原の丘が重なる向こうにはただ地平線が広がるばかりです。しかし、夕方、夕日に照らされて黄金色に輝く草原の向こうにいつも美しく輝くひとつの光がありました。それとも、少年が部屋の灯りを消して眠りにつく前、開け放した窓の向こうを寝床から眺めると、いつも輝いている一つの光があったということだったかもしれません。このあたりの記憶は曖昧ですが、とにかく、その遠い地平線の向こうで輝き続ける光に少年は夢中になったのでした。
そして募る思いが高じて、彼はある日いてもたってもいられず、その光の正体をつきとめようと旅に出ることにしました。彼にとっておそらくそれが初めての一人旅だったでしょう。その旅は冒険的で長く辛いものだったはずです、途中で挫けそうになりながら、とにかく少年は歩き続けました、途中でどのような出来事があったのかその道行きの詳細はいまは覚えていません。しかし彼は光を目指して歩き続けました。そして、苦労して目標の光にとうとうたどり着いたのです。その光は彼の家と同じような一軒家から発していた光でした。窓ガラスが夕日に反射していたものなのか、夜のランプの光が窓越しに見えていたものなのか、少年がたどりついた光の正体はそのようなものでした。
彼の心を捉えて離さなかった源、その光にたどり着いた少年は、果たしてどのような感慨を持ったのでしょうか。そして、その家にはどんな人たちが住んでいたのでしょうか。そして、その後少年はどうなったのでしょうか。少年は結局何かを得ることが出来たのでしょうか。忘れてしまった物語のそんな細部の一つ一つが今になって気になります。そして、いったい、この物語にはどのような主題や意味が含まれていたのでしょうか。作者はこの物語を通じて読むものに何を訴えかけようとしたのでしょうか。わたしにとって、全てが今も未明のままです。しかし、少年の頃わたしはその物語を一編のロマンスとして読んでいたような気がします。自分から遠く隔たったものに思いをはせる、遠くのものに憧憬を抱く、そのようなある種のロマンスとして。
この物語が誰のなんという作品か、教えていただければありがたいのですが。そうすれば、明らかにすることができると思うのです。それは結局はどのような物語だったのか。少年の頃、私がそこに感じとったものは何だったのか。何がそれほどまでにわたしの心に働きかけたのか、それを読めば、今ならうまく説明できるのではないかと思うのです。長い間記憶の底で燻り続けている曖昧な感覚に明確な輪郭を与えてやることができると思うのです。そして、今度こそわたしはその物語を完全に忘れてしまうことができると思うのです。お願いです。わたしにその物語の名まえを教えてください。

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