忘却の川へ流れ去る諸々をしばしこの岸辺に繋ぎとめて..日記についての日記、もしくは不在の人への手紙。
2005/7/24
一九五〇年代後半の夏から秋にかけての何日間か、小学校の三年か四年生の〈私〉と弟は、遠い海辺の町で病気にかかって入院した父親の看病をするために夜行列車で出かける母親を見送り、母親の友人の美容室にあずけられることになり、〈私〉はうすうす、父親に愛人がいることを知っていて、その女の人は遠い海辺の町に住んでいて、もっと〈今〉より小さかった頃、山の上にある湖のホテルで、二人が会った時一緒にいたという記憶があります。一方、美容院に若い娘たちが何人も暮していて、店にやって来る客たちと噂話しをかわし、映画女優になることを夢見たり、本当の恋にあこがれたりしながら、平凡な忙しい日々を送り、扁桃腺が腫れて熱を出して寝込むことになった〈私〉に、美容院の娘たちの一人が読んできかせているらしい『秘密の花園』の物語は、小説の本筋とは関係なく、アジアの植民地で育った白人の少女を主題とする詩を書こうとしているイギリス人の軍人で詩人の登場人物を派生させたりしてしまうのですから、『噂の娘』は、一種、やはり畸型的な小説なのです。
上の文章は、『噂の娘』の刊行当時、著者自らが出版社のWEB上で紹介している当の長編小説のあらすじのようなものだ。このなかの「山の上にある湖」が昨日書いた「カコーゲンコ(火口原湖)」に該当する。
「砂の粒」は短編ながら、語られている(想起されている)対象と時間の流れの構造が複雑で、語られている〈今〉がどのような〈時〉にあって、物語の語り手がどのような状況に置かれているのか、よく読まなければ把握できない、結構手ごわいテクストだと思う。
「砂の粒」のエピソードは、『噂の娘』においては、人物描写やディテールの書き込みに差異はあるものの、輻輳した場面と人物の会話が、語り手自身の重層的な記憶の想起のもとで描写されるという点でほぼ同じような複雑な構造を保ちつつ挟み込まれ、『噂の娘』というより大きな物語のフレーム(メタテクスト)の中に包み込まれている。
『噂の娘』のなかでは、「砂の粒」のエピソードは2度挿入されている。主人公の少女が熱で寝込んでいる最中に父と母に関するよくない噂話を耳にしたことから、そのエピソードは思い起こされる。一度目は自身の湖での記憶とその後、そのことを両親に問いかけた時の記憶として描写される。それからどうなったのだろうかと、そういったほかの諸々の記憶がつらつらと想起されるなかで、当のエピソードが二度目に挿入されるときは、それはより詳細な湖での記憶と両親への問いかけに加えて、どうやらさらに時間を経て行われたと思われる母親との会話の記憶を伴ったものとなるだろう。
あの人たち、あの娘たちは今どうしているのだろうか、と弟が煙草をガラスの灰皿に押しつけて消しながら言い、私は黙っている。
私たちは、たった今、母の葬式をすませて来たのだ、と書こうとして、指はためらいに痙攣し、痙攣しつづける。
金井美恵子によれば、六百枚近い長編小説となった『噂の娘』に関しては、書きはじめた頃から小説の最後を締めくくる上の二つの文章は決っていたという。そして、この最後の二行と、それまでの六百枚近い文章の間に、まだ書かれるはずの夥しい記憶が、よみがえるのではなく、生まれつづけるだろうと著者は述べる。ここからまた別の新しい小説が書きはじめられなければならないはずなのだから、と。
裏返して言えば、15年以上前の「砂の粒」は、そのような、書かれるはず(書かれたはず)の夥しい記憶の一つだったのである。
「砂の粒」でカコーゲンコを思い出しているのは少年であるのに対して、『噂の娘』では語りの主体である主人公の少女が思い出しているのだから、この二つのエピソードに直接的な繋がりはないというかもしれない。しかし、『噂の娘』のなかの弟の回想部分で、少年は父親から、〈おぼえている?一度、この人に、湖であったことがあるのを。〉と訊かれてはいなかっただろうか。
長編小説の終局近くになっていつのまにか大人になっている弟が急に自らの記憶を語りだす。姉と弟が母親の葬式を終えての差し向かいの状況では、当然、一人一人が故人をめぐる記憶を反芻するとともに、姉と弟との間で故人をめぐる思い出話がつらつらと語られることになるだろう。その記憶のそれぞれがそれぞれの「時」を持つのに違いないのだし、そのそれぞれの「時」から始まるエピソードはそれこそ無数にあるはずなのだ。それは、たとえば、最後になってはじめて状況としてその「死」が明かされる母親の物語であるかも知れないのである。既に相当の歳月を経て、今、母親の死という出来事を前にした姉弟たちにとっては、『噂の娘』という長編小説も、新たな記憶の物語に向けてのプロローグに過ぎないといえないこともないのである。
本当に、本当はそれはまだ書き終えられてなどいないのではないだろうか。
終りをためらう指先はいつまでも、いつまでも痙攣し続けている。

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2005/7/23
少し前、ふとしたことがきっかけで長い間本棚の奥で眠っていた金井姉妹の本『セリ・シャンブル3 金井美恵子・金井久美子の部屋』を取り出してぱらぱらと読んでいたとき、冒頭の短編で、わたしは軽いめまいのような感覚を覚えたのだった。それを最後に読んだのはかれこれ10年以上も前のことだから、内容もとっくに忘れていたのだけれど、そのなかの風景は最近どこかでみたような風景だったのだ。
どうにも奇妙な感覚にとらわれて、それは一つの既視感のようなもので、久しぶりに読み返した文章が、自分の記憶の遠近感を軽度に歪ませたかのようでした、とその時わたしはあなたに宛てて手紙を書いた。
1985年に出版された金井美恵子・金井久美子の共著となるムック風の企画本、『セリ・シャンブル3 金井美恵子・金井久美子の部屋』は、既発表の評論と対談によってそのほとんどが構成されているのだが、金井美恵子が書き下ろした唯一の短編小説が、巻頭に配された「砂の粒」で、その内容はおよそ次のようなものだ。
わたしは幼い頃、父に連れられて、どこか山の上の、湖のそばにあるレストランでフランス料理を食べた記憶がある。そこで車エビのフライを食べて、エビの背わたの砂を噛んでしまったのだ。砂を噛んだときのじゃりりという口の中の音と、砂が歯と舌の間できしきしと軋むようないやな感触を今も思い出すことができる。そのとき、知らない女の人が一緒にいて、かあいそうに、ぼく、という。砂を噛むような思いなんて関係のない年齢(とし)なのにね、とその人はいう。そのことを後にわたしは両親に告げたのだが、父と母は妙な顔をして笑い、二人ともそれを真面目に受け取らない。そして食事のあと、わたしは人気のない湖の波打ち際にいたことも思い出す。父はさっきの女の人と何か言いあらそっている。
あれから長い年月が経ち、いま、目の前には母がいて、その時の記憶をわたしに問い質そうとするのだった。それは昔、母さんがビョーインにいた時?その時だったんじゃないの?あんたが湖にいったのは。でももうわたしにはよくわからないのだ。いったい何がどうだったのかなんて。
時間がどういう具合に過ぎたのか、というより、どう流れたのか、順序正しくそれを思い出して再構成してみることなどは、不可能というより、ほとんど無意味に等しいのだ。
〈どこか山の上の湖――カコーゲンコというのだと、その時誰かが私に説明してくれたのだが――のすぐ近くに、そう、すぐ湖の近く、湖畔を取り巻いている柔らかな新緑に包まれた丘陵のどこかに...〉と始まる短編小説を読んだときに私が感じた既視感が錯覚ではなかったということはすぐにわかった。その短編の変奏が15年以上の歳月を経て、長編小説『噂の娘』の中にそっくり挟みこまれていたということに気がついたからである。カコーゲンコの記憶は『噂の娘』を読んだ比較的最近の記憶としてわたしの脳内に刷り込まれていたのだ。そして改めて、同じ作者によって十数年の隔たりをおきながらも執拗に繰り返されるテクストとモティーフというものについて感慨をおぼえるとともに、この作者の「書くことのはじまり」に棲みついているポセッションのようなものを垣間見たような気になったというわけである。
しかし、それは、金井美恵子の小説をよく読んでいる読者ならばすぐにわかることだろうし、本人も、作家とは同じことを繰り返し繰り返し書くもののことだとどこかでいってはなかっただろうか。『噂の娘』ではほかにも、この前の日記で書いた『既視の街』のエピソードも変奏的に繰り返されているようだ。
作家も読者も、繰り返し繰り返し語られるテクストの催眠効果が引き起こすまどろみのなかで夢み続けることができればそれでよい。夢のなかの光景は、必ずどこかでみたような光景であり、その夢とうつつのはざかいでわたしたちはいつまでも幸福感や不安や懐かしさに包まれているだろう。

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2005/7/18
その風景をわたしはどこで見たのだろうかとか、そのとき一緒にいた人は一体誰だったのだろうかとか、そのときわたしはどうしてあんなに悲しかったのだろうかとか、今ではほとんど朧げなものとなってしまったにもかかわらずいつまでも記憶の片隅に残っている子どもの頃の思い出にまつわる不可解さの裏側には、実は子どもには窺い知ることのできない大人の残酷な世界が横たわっていたりもするだろう。
一方で、その不可解な状況を大人の論理で理解することはできないにしても、その場の雰囲気や関係性を無意識のうちに敏感に察知しつつ、目の前の出来事をこれも半ば無意識的に等閑視しやりすごしてしまう、という知恵のようなものもおおかたの子どもには備わっているのかも知れない。そんな場合、肉親に庇護された幼年期の至福の王国的な子どもの世界と謎に満ちた不可解な大人の世界との間で、彼は自身の置きどころのなさと疎外感に苛まれつつ、その謎や不可解を言葉で理解しようとは思わずに、ただ眼や耳そのものとなって世界を感受する。そこで感受した風景や情景を言葉に置きかえるのは、それからずっと後のことになるだろう。そしておそらく、そのような記憶の風景とそれは一体何だったのだろうかという謎や疑問の間で、彼は書くことのはじまりにむかうのだ。
金井美恵子の小説における書くことのはじまりも、おそらくそのようにはじまる。
「既視の街」の中で、小説の語り手である彼が子どもの頃の記憶を回想するところがある。その場面が、今語りつつある現在とどのような因果関係にあるのかは曖昧にされたままなのだが、それは今と同じ夏の日の記憶であり、断片的ではあるがよりいっそう光鮮やかな風景・イメージとして語り手の意識に喚起される。
遠い子どもの頃のある夏の日、彼は母親の使いで手紙を届けに運河のむこうの海に近い隣町の親戚の家に向かう。太陽光線は垂直に降り注ぎ、アスファルトは焼けただれている。向かいの家の庭では水遊びをしている女の子の弾ね散らす水がきらめき、水面のゆらめきに陽光が反射して女の子の顔と体に光の斑点をつくる、そんな眩しい夏の日のことである。
母親は親戚だと言うが、彼はそうでないことを知っている。そこは見知らぬ女の人と父がいる家だ。そこまでの道のりは複雑で土地は起伏に富み、道は幾重にも折れ曲がり縦横に交錯し、途中で悪臭を発する黒い水を湛えた運河の上に架かる鉄とコンクリートと石でできた橋を渡らねばならない。そして彼はこの橋を何度もわたった気がするのだ。
――今夜は泊まって行くといいわね。花火があがるのよ。夕食は天ぷらがいい、それともうなぎ?
そう女は言い、彼は黙って父の顔を盗み見る...
――あたしの子どもになっちゃいなさいよ...あたしたち、だって、顔立ちが似ていやしない?本当の母子みたいだ。誰だってそう思うわよ。
上のような情景において、彼はただ眼や耳となる。
道の途中で彼は青い模様のある表紙の一冊の物語を買ったのだった。そしてその家の前で塀に寄りかかりながら座り込んで物語を読んでいたのだ。その時突然、〈どんな物語なの?〉と質問したのは誰だったのだろう。
〈どんな物語なの?〉と声は彼にむかって鋭く、容赦のない厳しさで質問するのだ。
はたしてそれはどんな物語だったのだろうか、そこからもまた物語は始まるだろう。
「既視の街」に封印された物語、それは母親が彼に託ける白い封筒に入った手紙のようなものでもある。その中味は明らかにされることはない。それは漠とした風景として今の〈わたし〉によって追想されるばかりである。しかし、そのことは〈わたし〉を止め処なく書くことに駆り立てるだろう。〈わたし〉の書くことのはじまりにむかって。
金井美恵子の小説に見られる書くことのはじまりのモティーフは、このようなものとして繰り返される。次の日記にも、このことについてもう少し書いてみよう。それは彼女の現時点での最新作である長編小説『噂の娘』とその15年以上前に書かれた一編の短編小説に封じ込められた記憶にまつわるエピソードのことである。

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2005/7/14
深夜未明、雨の音で目覚める。梅雨明けはもう少し先であろうか。昨日は梅雨の合間の晴れ間だったのか、どちらにしても、蒸し蒸しとした暑苦しい気候で快適からは程遠い。
図書館から借りてきた金井美恵子・渡辺兼人の『既視の街』(1980年、新潮社)を読む。それは、こんな季節にはぴったりの物語だ。どこまでも湿度が高く寝苦しいような文章、どこにもあるはずのない街、それでいてかって訪れたことがあると感じる懐かしい街を彷徨するように物語を読み進めていく。この架空の街の地形や水脈に沿って歩み、立止まり、また歩み出し、時折出会う風景に呆然とする。
金井美恵子の湿度の高い官能的なテクストと、渡辺兼人のコントラストの強い乾燥した風景写真との絶妙な対比、テクストと画像が互いに妥協して歩み寄ることなくそれぞれ屹立していることで、この書物は小説や写真集といった枠組みを超えて全きミクスチャー・アートとなっている、というのは言い過ぎか。とにもかくにも、これはオリジナルの単行本で味わいたい作品であることには違いがない。もっともこの書物、今では手に入れることは至難の業だろう。なのに、「復刊ドットコム」の金井美恵子のリストにこの書物の票が全く上ってこないというのは不思議だ。
『既視の街』で渡辺兼人は、木村伊兵衛賞を受賞したということである。『おばさんのディスクール』で、金井美恵子が渡辺兼人の写真について書いている。
渡辺兼人のこれまでの写真には、まったくと言ってよいほど人間というものが画面に入っていることはなく、それはそれで抒情的というものとはまるで別種の、しかし、物悲しいとところのある硬質な茫然自失――そう、風景は、いつでも茫然自失している、ただそれだけの〈何ものの光景でもない〉ものではないか――とした風や光や建物や...が撮されているだけだ
さらに意外なことには、渡辺兼人は人形作家四谷シモンの弟だそうだ。


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2005/7/13
自分の頭の中の整理のために。
こうしてみると結構すごいですね。内容的には1985年頃が転換期でしょうか。どちらかといえば、前期の作品のほうに思い入れがありますが、単行本は全く持っていないのです。
詩・小説 エッセイ他
1968年 20歳 △『愛の生活』
1969年 21歳 −
1970年 22歳 ○『夢の時間』
1971年 23歳 △『マダム・ジュジュの家』
1972年 24歳 −
1973年 25歳 △『兎』
『春の画の館』
◎『現代詩文庫 金井美恵子詩集』
1974年 26歳 『岸辺のない海』 △『夜になっても遊びつづけろ』
1975年 27歳 −
1976年 28歳 △『アカシア騎士団』 ○『添寝の悪夢、午睡の夢』
1977年 29歳 −
1978年 30歳 △『書くことのはじまりにむかって』
1979年 31歳 ○『プラトン的恋愛』
○『単語集』
1980年 32歳 △『既視の街』
1981年 33歳 △『くずれる水』
1982年 34歳 △『手と手の間で』
1983年 35歳 ◎『花火』 △『言葉と〈ずれ〉』
『映画、柔らかい肌』
◎『私は本当に私なのか 自己論講義』
1984年 36歳 △『愛のような話』 △『おばさんのディスクール』
1985年 37歳 ○『文章教室』 ◎『セリ・シャンブル3 金井美恵子・金井久美子の部屋』
1986年 38歳 ○『明るい部屋の中で』
1987年 39歳 ◎『タマや』 ◎『小説論――読まれなくなった小説のために』
1988年 40歳 ○『小春日和』
1989年 41歳 『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ』
1990年 42歳 ◎『道化師の恋』
1991年 43歳 −
1992年 44歳 ◎『金井美恵子全短編 T・U・V』
1993年 45歳 ○『遊興一匹 迷い猫あずかってます』
『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬPart2』
1994年 46歳 ◎『愉しみはTVの彼方に』
1995年 47歳 ◎『恋愛太平記1・2』
◎『完本 岸辺のない海』
1996年 48歳 −
1997年 49歳 ◎『軽いめまい』
◎『柔らかい土をふんで、』
1998年 50歳 ◎『重箱のすみ』
1999年 51歳 −
2000年 52歳 ◎『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』 ◎『ページをめくる指』
2001年 53歳 ◎『ノミ、サーカスへゆく』
2002年 54歳 ◎『噂の娘』 ◎『待つこと、忘れること?』
2003年 55歳 ◎『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』
2004年 56歳 ◎『目白雑録 ひびのあれこれ』
2005年 57歳 −

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2005/7/11
最近のiPodの My Heavy Rotation は、先月リリースされたドリーム・シアターの8枚目のアルバム『OCTAVARIUM/オクタヴァリウム』。彼らについては昨年4月の来日ライヴがまだ記憶に生々しくもあり、前作からはおよそ1年半ぶりの新譜ということで、相変わらず旺盛な創作活動である。
ドリーム・シアターは1992年以来聞き続けているのでかれこれもう13年のつきあいになるが、一枚一枚アルバムを重ねるごとに彼らの音楽の来し方行く末をついつい案じてしまうのは私だけだろうか。いったい彼らはどこに向かおうとしているのだろう。
☆☆☆...☆☆...☆... 
1992年、最初に彼らの2枚目のアルバム『Images And Words』を聴いたとき、その完成度の高さに驚くとともに、アメリカからもポピュラー・ロックのジャンルでついにこのようなテクニカルなグループが生まれてきたのかと感慨ひとしおだった。その後、グループは試行錯誤を繰り返しながら標準以上のアルバムを発表し続ける。そして、キーボードがジョーダン・ルーデスに変わって1999年に発表された『METROPOLIS Part2:Scenes from a Memory』により、彼らの音楽は一つの頂きを極める。それは、CDフォーマットの限界録音時間である74分強を目一杯使った一大コンセプトアルバムであり、これまでの彼らの音楽のイディオムを余すところなく詰め込み、畳み掛けるアンサンブルとキャッチーなメロディを各所に挿入しつつ、最後にはゴスペル・コーラスで一気に盛り上げるというストーリー・テリングかつシアトリカルな音楽絵巻であった。それは、ザ・フーの『四重人格』、ジェネシスの『幻惑のブロードウェイ』、ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』、イエスの『海洋地形学の物語』、マリリオンの『ブレイヴ』といった長尺のトータル・コンセプト・アルバムの系譜に連なるものだ。
このグループの特徴は、アルバムが一枚で完結することなく、複数の主題が複数のアルバムを通じて反復・展開されるところにあるのだが、本作もそのような意味で『Scenes from a Memory』からの流れのなかにあるといえるだろう。
まず第一に、アルバムの最初が前作のアルバムの最後と同一のSE(装飾音像)で繋げられている点。それにより、一枚のアルバムの聴きはじめに前のアルバムを想起させ、聞き終りにはまた未来のアルバムに繋がっていくであろうことが示唆される。
第二に、複数のアルバムを跨いで繋がっていく一連のコンセプト曲があること。「METROPOLIS」もそうだが、他にもアルコール依存から立ち直る人間の内面の自己救済・回復のプロセスをモティーフとして楽曲を展開した12楽章からなる組曲も現在継続中である。
そして第三の点として、ロック・ミュージックのエレメントや音楽イディオム的にみれば、彼らの音楽は過去のロック・ミュージックのデータベースのようなものとして存在するということだ。彼らは70年代以降の多くの良質のロック・グループ(それは主にハード、プログレのジャンルだが)のイディオムやスタイル、テクニックを余すところなく吸収し、租借し、新たな曲に鋳造する能力に非常に長けているのである。だからその音楽は、そういった過去の音楽アルシーヴからの複雑な「引用の織物」としてある。ピンク・フロイドにイエス、ジェネシス、ラッシュにUK、キング・クリムゾン、ELP、レッド・ツェッペリン、ザ・フー、クイーン、その他諸々のメタル・ミュージックのアマルガムとして彼らの音楽はある。バークリー音大出の俊英たちはそれらの素材を知り尽くし、吟味し、新たな楽曲のフォーマット中にアド・ホックにプラグ・インしていく。
本作の『OCTAVARIUM』は以上のような意味で、彼らの集大成的なアルバムとなりそうだ。サウンド的には、前作で導入されたチェロの室内楽的なイディオムの延長として、フルートや弦楽四重奏、オーケストラの導入が一部に見られることと、ミニ・ムーグやレスリー通しのハモンドなど、アナログ時代のヴィンテージ的なキーボードの音色が採用されていることが目立った点としてある。他には、U2風の短尺なポップ・ミュージックの試みも見られる。
このように、これまで以上に音楽のボキャブラリーを広げていこうという方向性はみられるものの、ソングライティングの点ではもはや行き着くところまでいったという飽和感が否めない。そのことを、メンバー自身も自覚しているにちがいない。もはや、このグループは次々と新しいコンセプト(物語)を打ち出すことで、どうにかアルバム・プロダクションの成立を持ちこたえているかのようである。こうして発表された本作『OCTAVARIUM/オクタヴァリウム』、それではどのようなコンセプトがそこで呈示されているのか。それを一言で言えば「古典回帰/Retrospective」ということになるだろうか。
『OCTAVARIUM』とは古代ローマの八角形の神殿であるという。日本で言えば法隆寺の夢殿、それが実在した建築物であるのか、架空のものなのかはわからないが、これに近いものとしてはローマのパンテオンが想起される。パンテオンはローマ時代の神殿として最も有名であるが、実際は円堂であり内径43mの円筒形の壁体の上に同じく高さ43mの半球形のドームがのり、ドームの天空中心には円の空隙が穿たれそこから神秘的な自然光が堂内に差し込む。内壁面は円周上の八等分点に壁の厚みを抉って七つの凹所が設けられそこにローマの代表的な神が一体づつ祀られていたという。ドリーム・シアターの『OCTAVARIUM』も、彼らにとっての音楽の神々が祀られる場所としてあるに違いない。
アルバムタイトルの24分強の大曲、「OCTAVARIUM」はピンク・フロイド風のサウンドスケープとスティール風のギターに始まる。リズム・セクションの参加で本編の幕がおとされた後、アコースティック・ギターとフルートのアンサンブルに促されてヴォーカルが物語を語り始める。この当りの展開はもろジェネシスの「サパーズ・レディ」だ。第二章に入り、ジョン・マイアングのベースが今までの彼にはなかったようなフレーズを奏でる。それも、ジェネシスのマイク・ラザフォード風のゴリゴリとしたべース。ヴォーカルとアンサンブルが徐々に音場を盛り上げていくと一転してジョーダン・ルーデスのミニ・ムーグ風キーボードがソロをとる。上下するスケーリングと音符が飛び跳ねるようなフレージングはやはりジェネシスのトニー・バンクスのキーボードをリスペクトしているのだろう。そして曲はテンポアップし第三章のフル・サークルへと流れ込む。ここでの歌詞にはピンク・フロイドやジェネシス、イエス、ドアーズ、ザ・フーといった過去の様々なロック・グループの曲名が盛り込まれた遊び歌となっている。その後曲はより一層展開とスピードを増し、いつもながらのスリリングなドリームシアター節が展開され、波乱が最高潮に達する渦巻きの中心に向かって音楽は怒涛のようになだれ込んでいく、そのアンサンブルの果て、この大曲を大団円に導くのがオーケストラの楽の音である。そして、コーダが唄いあげられた後、余韻のSEはアルバム最初のSEと同じ音像を呈示し、このアルバムは自ら円環を閉じるかのように締めくくられる。
僕たちは運命を支配しようとするが
生きようとしたときには既に手遅れ
このオクタヴァリウムの中に囚われている
僕たちは輪になって踊っている
きらめく鋭い刃の上で ずっとバランスを保っている
完璧な球体が 僕たちの運命と衝突する
この物語は振り出しに戻ったところで終わる
さて、このアルバムをプロデュースしたマイク・ポートノイやジョン・ペトルーシにとって、上の詩に込められたものが素直な心情吐露なのか、それとも軽いお遊びなのか。彼らの心中に去来するものが何かはわたしにはわからない、が、本作で結構やりつくしましたという感覚が彼らにはあるのではないだろうか。今後の方向性として、楽曲手法的にはフルオーケストラとの競演によるトータルアルバムの制作や全編アコースティックのアンプラグド超絶技巧アンサンブルの方向性も想像すると楽しいのだが。とにもかくにもこれからいったい、彼らの音楽はどこに向かうのだろうか。円環が閉じられてしまった音楽に未来はあるのか。そして、新たなテーマやストーリー展開は如何なるものになるのか。今後グループからプリゼントされるさらなるコンセプトに、わたしとしてはどうしても注目せざるをえない。

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2005/7/10
吉野朔美の瞳子が作中で読んでいる本、『夜になっても遊びつづけろ』は、金井美恵子の最初のエッセーで1974年2月の刊だ。この本はいままで読んでいなかった。実をいえば、小説はともかく彼女の昔のエッセーはそれほど読んでいない。昭和の頃の金井美恵子のエッセーの単行本リストは以下のようである。こうして整理してみると、これまで読んでいたものは2と7と10の3冊に過ぎないことに気づく。最寄の図書館で蔵書検索すると結構な数があったので、これから順次読み進めようと思っている。楽しみだ。
1.『夜になっても遊びつづけろ』 1974.2 講談社
2.『添寝の悪夢 午睡の夢』 1976.8 中央公論社
3.『書くことのはじまりにむかって』 1978.8 中央公論社
4.『手と手の間で』 1982.6 河出書房新社
5.『言葉と〈ずれ〉』 1983.5 中央公論社
6.『映画、柔らかい肌』 1983.10 河出書房新社
7.『私は本当に私なのか』(対談) 1983.10 朝日出版社
8.『おばさんのディスクール』 1984.10 筑摩書房
9.『ながい、ながい、ふんどしの話 スケッチブック1972〜1984』 1985.5 筑摩書房
10.『小説論――読まれなくなった小説のために』 1987.10 岩波書店
さて、1967年当時金井美恵子は19歳で、この年「愛の生活」が太宰治賞の候補となり雑誌に掲載され文壇にデビューしたのだが、『夜になっても遊びつづけろ』には彼女がこの年から25歳になるまでの間に書いた小説以外の文章が載せられている。この時期は住まいを実家の高崎から東京の目白に移し、親から自立して(おそらく)姉妹で新しい居で自由な生活がはじまった頃に重なる。おそらく当時は、綿矢りさや金原ひとみ並に文壇アイドル的な扱いをされていたと思われるうら若き女性作家の、熱く新鮮な青春の日々の記でもあるのだが、実際の内容はもちろんそんな生ぬるいものではない。ここには、書くことと人生を一致させようと煩悶しつつ闘う一人の作家の諦念のようなものが見え隠れしている。
すでに彼女はこの頃から物事への切り込みも鋭く、その文章は才気ほとばしっている感がある。当時蔓延していたラディカルな気分とは位相の異なる強固な意志が根底にある。それは、転向や自己批判、異議申し立てといった言葉とは無縁の、単独者としてのラディカルさだ。その意味では今に至るまで一貫しているといえる。この本の別の魅力は、あとがきで本人が書いているところの、若くなくてはとても書けなかったような恥ずかしい文章にある。それも今となっては貴重なドキュメントだ。デビュー後書きものの注文が入りだして、とにかく来る仕事は何でもこなしていたような時期だから主題も豊富で、小説や文学のこと以外に時評や風俗、性愛、マンガといったサブカル的な話題も多岐にわたっているところが楽しい。
瞳子が食卓で母親を前にしてこの本を読んでいるという設定は、今にしてみれば腑に落ちる話だ。たとえば、母親に愚痴をいわれながら、パラサイトな生活の中で悶々としつつ瞳子が読んでいる文章がこの本の中の「われらが怨みの赤い花一輪を植えよ」であるとすれば、見事にこの「俄か雨」という一編は金井美恵子の文章と符合していると感じられる。
母親という存在はその肉親としての血の繋がりも含めて、わたしたちの生の原点であり、日常性であり保守性であり、子供からは裏切られることしかない存在なのです。それだけに彼女の力は、彼女がたんに母親だというだけで無限大なのですから、決定的に母親の期待を裏切る精神上の体験を通してでなくては、わたしたちは、あらゆる闘争の中で花開くヴァイオレンスの紅い花を咲かせることはできません。
さて、1969年10月の「婦人公論」に載せられたこの一編、当時の母親(おばさん)たちは上のような文章を読んで何か感じることはあっただろうか。いや、おそらく読みもしなかっただろう。

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2005/7/4
なまえのない物語にあなたはなまえを与えてくださいました。
わたしは、多分、その物語を手にすることができるでしょう。
そして、それを読むことで、いまだ茫漠とした物語のベールを引き剥がし、
その中味を隅々まで白日の下に曝け出してしまうでしょう。
読まれることが物語のさだめならば、それを読むことで、
物語に封じ込まれていたわたしの少年期の記憶も解き放たれることでしょう。
しかし、ここで、わたしはおずおずとあなたにお聞きしなければなりません。
その物語を、果たしてわたしは読んだほうがよいものでしょうか。
幼い頃に読んだ物語を、いまいちど手にとりもつれた糸をほどきたいと願いながら、
たよりない記憶の糸をたぐり寄せるほどに、すべては波にさらわれ遠のき、
わたしの境界が薄れていくのを感じつつ、わたしがあなたになるような、
とても不思議で、とてもすてきな感覚。
そのような記憶の原形質に形を与えてやること。
そして読むことで、物語の主人公のように、成長し、覚醒すること。
そうすることがジュブナイルの宿命というものであるなら、
その宿命は、やはり受けとめなくてはいけないのでしょうか。
そして、わたしも目覚めて「もとに戻る」のでしょうか。
その目覚めは、どこにつながっているのでしょうか。
ここまでしていただいたあなたに、この場に及んで、こんな問いを投げかけるなんて、
あなたは、わたしのことをほとほとうんざりと思うかもしれませんね。
でも、もう一度、お聞きしたいのです。
あなたは、この物語をもう読まれたのでしょうか。
そして、わたしも、この物語を読むべきでしょうか。
言語の境界が世界の境界であり、私の言語の境界が私の世界の境界。
話すことで、私は世界を限定し、境界を設ける。
神秘的な死が境界を廃棄するとき、問いもなく答えもなく、全ては漠となる。
しかし、偶然事物が再び鮮明となるとすれば、それは、意識の目覚めを通してなのだ。
そのとき、すべてはつながる。
ref. 『彼女について知っている2,3の事柄』 by JEAN-LUC GODARD

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2005/7/1
岸辺に漂着した小瓶から取り出した手紙には、次のようにしたためられていました。
> さて、あなたがお探しの物語は、ローラ=リアーズ作『おかの家』ではないでしょうか?
> この物語は以前、短い期間小学校三年生の教科書に掲載されていました。
ミラクルなレスポンスに驚くとともに、うれしい気持ちでいっぱいになりました。
ふつうはわからないでしょう、こんなこと。
教えていただいても、わたしには探し出せないかもしれません。
でも、ほんとうに、ありがとう。
このネットの世界で、人々はすぐに繋がろうとしているようです。
リンクやトラックバック、ミクシィとか、はてはミュージカル・バトンとか。
言葉や映像を介して、たくさんの人々が当たり前のように繋がっています。
この広大なネットの海で、彼らには、まるで距離感なんてないかのようです。
おそらく「海」という比喩も、妥当性を欠いた表現なのかも知れません。
広大さとか、遠さといった感覚もほんとうはここではふさわしくないのかも知れません。
でも、遠いと感じるからこそ、近いと感じることができるのではないでしょうか。
海で隔てられているからこそ、島は岸辺を持ち、島でいられるのですし、
あいだがエーテルで満たされているからこそ、星は星でいられるのです。
でも一方で、見えなくとも、島々は海の底で手をつないでいるでしょうし、
星々は微かでも互いの重力で作用し合っていることでしょう。
ええと、わたしは何を話しているのでしょうね。
そう、わたしの言いたいこと、それは、
いま、わたしはあなたをほんとうに近くに感じることができる、ということです。
それは不思議なことで、そして、素敵なことなのです。

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