2005/10/29
金井美恵子の新刊、『切りぬき美術館 スクラップ・ギャラリー』がようやく出ました。装丁は姉の金井久美子です。古今東西のたくさんの絵画が載せられており、見るだけで楽しい本に仕上がっています。絵画の背景にも、木目や紙、レース地などの様々なテクスチャーが配されて、時には絵画に負けじと存在を主張しています。これが金井美恵子の考えによるものか、姉の久美子のアイデアなのかはわかりませんが、結構大胆な試みです。
美術館の壁のような無地のニュートラルな空間に陳列される絵画、ではなく、わたしの部屋の壁に掛かっている、あるいは食卓のテーブルクロスの上にポンとのせれられたような絵画として、あくまでもわたしが愛着をもって、切り抜いて蒐集し、プライベートな空間に住まわせているそれらは、飼猫のように愛すべき絵画たちなのでした。それはまさしく李朝民画の文房図のような、スクラップ・ギャラリーなのです。

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2005/10/23
気温も低くなり、大気にも透明感を感じるこの季節。月夜になれば、
しんしんとした月光の、青白いベールを身に纏うこともできるのでしょうけど、
さて、今宵の月は何処にあるのでしょうか。

と、お月様の話を前フリとして持ってきたのは、
最近、中公文庫で過去の著作の文庫化が着々と進んでいる
松岡正剛の『ルナティックス』を読んだからなのですが、
この人の書いた物はやはり面白い。
月球儀、月知神、月の裏側、月光発狂人、遊星的郷愁、月の海、夜半都市の月男、
タルホ、メリエス、ヴェルヌ、ラフォルグ、マンディアルグ、カルヴィーノ、
イシス、ディアーナ、セレネー、ヘカテー、ツクヨミ、ルナティック、
ムーン・イリュージョン、月の霊力、周期的再生、
月夜の電信柱、月は水銀、ブリキの月、月の雫、雪月花...

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2005/10/21
最近になってようやく空気も冴え冴えとしてきて、
今夜の月はたいそう明るく輝いています。
最近は忙しくて、ここにもなかなか書き込めません。
本を読む時間も格段に減ってしまいました。
でも、今夜はついつい書かずにはおれません。
わたしにとっての永遠の歌姫、ケイト・ブッシュ/ Kate Bushのことです。
彼女のなんと12年ぶりの新作“Aerial”が11月にリリースされます。
前作の“レッド・シューズ”からどれほど待ちわびたことでしょうか。
もう彼女は引退してしまうのか、それとも病に臥せっているのかと
心配していましたが、なんのことはない子育てに集中していたそうです。

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2005/10/8
慌しく落ち着かない週日が過ぎ、ようやく一息ついている土曜日の午前。
庭の金木犀もいつのまにか満開で、こうして自分の机についている今も
その香りが部屋のなかにまで漂ってきて、わたしの鼻腔を刺激するのです。
今日はあいにくの雨空なのですが、秋の雨はなんとなくさわやかで、
庭に出て、金木犀の小枝を摘んできて、机の上に飾りました。
この季節になるといつも読みたくなるのが、以前にもここに書いた
内田善美の『星の時計のLiddell』。
一年に一度、この季節にこの作品を読めば、
まるでこころが浄化されたような感じになるから不思議です。

今日、ここで書くのはその作品の主要人物であるウラジーミル・ミハルコフのこと。
主人公ヒューのそばにいて、いつも彼を見守っている存在なのですが、
ロシアの亡命貴族を祖父に持ち、何をなりわいとしているのやら世界を旅しながら、
家の資産に支えられてボヘミアンな生活を送っているのです。
いまだ見も知りもしないロシアの故郷を想いながら、
どこにあっても彼自身はエトランジェな存在です。
彼の人物像について以前、映画作家のタルコフスキーに影響をうけている
と書きましたが、もっと直接的なモデルが存在しました。
それは、もう一人のウラジーミル、ウラジーミル・ナボコフです。

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2005/10/3
土曜日、これまでの職場から、私品を一切合切引き上げる。そして、後片付け。
いままでいた場所から自分の痕跡を全て消し去ることが、こんなに快感なことだとは。
とにかく、さよなら。
そして、本屋にいこうかCDショップに行こうか迷った先に辿り着いたのは映画館。
レイトショーでこの日はなぜか1000円で見られるという。
見たのは竹中直人の『サヨナラCOLOR』。
バラエティーに富んだいろんな方たちが出演していて、
場面的に少し落ち着かないところもあったし、
物語や挿話のディテールのひとつひとつに対して、
個人的にはあまりツボにははまらなくて、
それほど楽しく笑いも泣きもできなかったけど、
ところどころでくるものがありました。音楽がよかったかな。
ひとつの曲との出会いからこの映画は生まれたそうです。
この曲の詩は、たしかにイタイほど核心をついています。
それにしても原田知世をスクリーンで観るのは何(十)年ぶりでしょうか。
一時、『時かけ』に夢中だった頃があります。尾道にも数回詣でました。
彼女もきれいに年齢を重ねているようです。もう38歳でしょうか。
ナチュラルでピュアなイメージは昔と変わらず、この原田知世をみることができただけで
わたしとしては満足なのでした。衣装もよかったし。
最後に印象的な場面がありました。
海岸でただひとり原田知世が佇んでいんでいるのですが、
そのとき波打ち際で手紙の詰められたガラスの小瓶を拾い上げるのです。
そこが一つのクライマックスになっているのですが、
その手紙には一体何が書かれていたのでしょうか。
結局、瓶詰めの手紙のことは忘れられたかのように、
エンドロールが流れるのでした。

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2005/10/1
時は移ろいゆきます。もう10月です。
またそろそろ金木犀の香りだす季節になりました。
この間、いまの職場を退職するための残務整理でおおわらわでした。
ようやく方をつけて、ほっとするのもつかの間、週明けから新しい職場です。
またいろいろと神経を使わないといけないと思うと、少し憂鬱です。
先の仕事の手離れがもう少しスムーズだったら、失職の間に東京散歩でも
しようかと思っていたのに、できなくなって残念でした。
金井美恵子の新刊はなかなか出ません。10月末頃には読めるのでしょうか。
目白モノを読んだ後、遊びで5作品の人物相関図などをつくっていました。
ここしばらくは金井本から遠ざかる日々です。
夏の間は金井美恵子一色だったので、そろそろ別のものも読み始めています。
それに、忙しい時の逃避癖で本とCDをついつい買い込んでしまいます。
本はあまりゆっくり読めないし、CDはiPodに入れる暇もないのですが、
今日も久しぶり、本屋とCDショップに行こうと思っています。
今、机の上に積まれている本、
ロラン・バルト『現代社会の神話』、山尾悠子『ラピスラズリ』、
ナボコフ『記憶よ、語れ ナボコフ自伝』、蓮実重彦『魅せられて』、
堀江敏幸『河岸忘日抄』、鶴岡真弓『ケルト/装飾的思考』、
ジョン・バージャー『見るということ』、奥泉光『モーダルな事象』、
全く積んどく状態ですね。
古本屋で買った文庫本、つげ義春の『つげ義春とぼく』は面白かったです。
この中の旅行記を読むと、自分もうら寂しい一人(二人)旅をしてみたい気持ちになります。
それと、傑作なのが彼の「夢日記」です。図解入りで面白さも倍増です。
夢にはずいぶんと様々な感情が入り混じっているのものだと思いました。
そのまま「必殺するめ固め」という作品になったネタ夢もあります。
そうそう、こんな夢もありました。
昭和四十八年五月九日
どこかのマンションの一室で、金井美恵子さんを中心にして集まりがあるので出席する。
大きな部屋中に布団が敷きつめてある。金井さん以外はまだ誰も来ていない。
金井さんは洋服を着たまま布団に入っている。隣の布団の上に僕も横になる。
もうすぐ大勢の有名人がやって来そうで、深沢一郎さんがすぐにも現れそうな気配がする。ぼくは金井さんの乳房を服の上からわし摑みにする。彼女と親密な仲であることを深沢さんに見せつけようとする。だが、金井さんは嫌がるので、すぐ乳房から手をはなす。嫌われるのをおそれ素直に手をひく。
失恋したような気持ちで外へ出ると、土砂降りの雨。川が氾濫しコンクリートの橋が決壊している。向こう岸へ渡れない人々が大勢立ちすくんでいる。

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