2006/2/19
『blue』で主人公とクラスメイトが仲良くなるきっかけとなったもの、それは、セザンヌの静物画でした。
初めて訪れたクラスメイトの部屋にはたくさんのCDや画集があって、その中のセザンヌの画集が彼女の眼に留まります。彼女はそれを借りて帰り、その夜、画集の中の静物画に見入ります。そしてある日、彼女はクラスメイトに「セザンヌの絵が好き、山の絵よりも果物の絵が好き」といえば、友人のほうも「ああ、静物画のほうね。わたしもそう。あなたがそういってくれるとわたしも嬉しいな」という言葉で応えます。このあたりの彼女たちのやりとりが結構よく、二人の関係が友人からそれ以上のものへと変わっていく雰囲気がうまく伝わってくるのでした。
「静物」。still lifeあるいは「死せる自然」nature morte。静物に見入ることは、その静物に魅入られることでもあるでしょう。

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2006/2/18
少し前に深夜に放送された映画がなんとなく気になって取り置きしていたのですが、今日はぽっかりと間があいたので見難いビデオ映像でしたが、映画『blue』を見たのでした。
原作が魚喃キリコで彼女のマンガは何冊か読んだと思いますがよく覚えていません。まあ、マンガが原作の映画はよくあるし、それはほとんど原作とは関係がないと考えた方がよいもので、今回の映画、主題的には吉田秋生原作の『桜の園』と似通っているところもあるけど、もちろん全く違う映画です。そういえば、『ラヴァーズ・キス』もまだ見ていませんね。『blue』は音楽が大友良英ということで、それが公開当時は少し気になっていました。が、実際、映画のなかで音楽が流れてくるのは、ほんの限られたシーンでした。
主人公は目立たないタイプの少し泣き虫なところがある女子高の3年生、彼女には思いを寄せるクラスメイトがいるのですが、映画はそんな彼女たちの高校最後の夏を描きます。主人公とそのクラスメイトはある事柄をきかっけとして急速に仲良くなるのですが、結局彼女に裏切られたようなかたちとなり、夏休みを失意のうちに過ごすことになります。新学期を迎え、二人はもう一度ぶつかり合いますが、最後には和解する...とあらすじを書いてしまえばどこにでもあるようなお話しですが、余計な人物やエピソードやドラマ性といったのものを削ぎ落としたミニマルな手法により、背景として映し出された自然や光、音、そして主人公たちのせりふが醸し出す心象風景を前面に浮かび上がらせるという点では印象に残る映画で、なかなかに浸れる世界なのでした。
主人公を演じた市川実日子もよかったです。少年のような顔つきや髪型に低い声、それでも十分に美しく、瞳は静謐さを湛えながらも力があります。映画の中で彼女は好きなクラスメイトに「あなたはほんとうは強い人なのだ」と言われるのですが、それが説得力を持つのも、彼女の持つある種の力、存在感に負うところが大きいと思われます。

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2006/2/5
このところ、また読むものが思想・哲学のほうへと傾きつつある。去年は一時ライプニッツが自分の中の小さなブームだったのだが、本も読めないほどの煩雑な日々の生活がそれをどこかに追いやってしまった。そうこうするうち、正月に一息つくことができ、再び読書の空間へと誘われていった。今も短い時間ではあるけれども少しづつ、観念的な言葉を読み進める。それが結構快感。最近ではちくま文庫で三冊、最初は大澤真幸の『恋愛の不可能性について』、これは題名につられて買ってしまったものの少しハズレ、次にレヴィナスの『実存から実存者へ』、これはこの大家においてはほとんどさわりのようなものだからさらりと読んで、ジジェク初の?文庫本『否定的なもののもとへの滞留』へと突入する。カントやヘーゲル、ラカンの原典など読んだことないからほとんど理解も評価もできないものの、結構面白い。ジジェクはこれまで3冊ほど読んでいるけど、この本からジジェクに入ればよかったと思ったくらいにこれが一番面白く、こんな本を文庫で出すちくまからは、ますます目がはなせない。このところ購入する文庫本にちくまの占める割合がめっぽう大きくなっている。思想以外では、以前買ってようやく読みかけている高山宏の『幻想の地誌学』もちくま文庫だった。
しかし、今日は別にちくま文庫の話をしたいわけではなく、要はレヴィナスの『全体性と無限』上・下、岩波文庫である。

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