2006/7/28
『失われた時を求めて』、集英社文庫版でようやく3冊目を読み進めている最中です。
このところの生活のリズムのせいもあって、なかなか「読み」にドライブがかからなかったのですが、2冊目のスワンの恋を読み進めていくうちに、スワンのなんともトホホな恋の道行きに、自分自身の過去の恋愛の記憶なんかも重ね合わせて、時代的にも文化的にも当然個人としては縁遠い物語世界に、結局は半ば共感もしながらひっぱられていったのでした。そして、この3巻では、スワンの恋に重ね合わせるように語り手の恋が進行しています。物語の中では、ときおり、アフォリズムめいた言辞が開陳され、なかにはフンフンと思うものもあります。
このように人は恋を始めるや否や、たちまちだれも愛さなくなるものなのだ
上のごとき言葉が、2巻目の終りのほうに出てきました。これについては逆もまた真なりで、「人は恋を始めるや否や、たちまち世の中のすべてが愛しくなるものなのだ」ということもいえるのではないでしょうか。つまり、このような右に左に揺れ動き、上へ下へ乱降下するような強振幅の状態こそ、恋が人に招来する状態であって、そのような状態にある人間は、目に見えるものすべてが輝いているように見えるかとおもえば、ちょっとしたことで、まわりの物事が全て色褪せてしまい自分にとっては何の意味もないものに見えてしまう、そんな希望と絶望の狭間で揺れ動くことでしょう。でもそれこそが恋、それこそが生というものではないでしょうか。その渦中にあっては本人にとってはなかなか見えにくいものなのかもしれませんが、それは人としては、ひとまず幸福な状態にちがいありません。
わたしのほうは、相変わらずの状況です。逃亡の企てはいっこうに実現しませんが、この週末は出雲のほうへ向かうので、そこそこの遠出となり、いまの心身には救いとなるでしょう。しかしそれも仕事絡みというのが悲しいところです。出雲では少し羽を伸ばして、夏ということなので、ラフカディオ・ハーンや水木しげるといった物の怪の世界への探訪にもまいるとしましょうか。

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2006/7/22
先日書いた、中田英寿と金井美恵子にまつわるアクセスについては、これが起因していたのではないかと思われるものが、下記の文章である。
中田英寿選手の二十九歳での現役引退が大きな話題になっている。全盛期に惜しまれながら辞めるというのは、いかにも彼らしい美学だが、「人生は旅である」とか「自分探し」をするとか自身の公式ホームページに書いている引退声明文が、各界の脚光を浴び、小中学校の授業の教材にしたいという教師の要望まで殺到しているらしい。
選手としての彼は疑いなく立派だった。しかし、誰かがはっきり言うべきだ。あんな文章のどこがよいのか、理解に苦しむと。なるほど言葉はみんな美しいかもしれないが、三十歳になろうという人間にしては幼稚な、人目も憚らぬ自己陶酔ではないのか。チームと溶け合えなかったのも無理はない。
村上龍と親交があり、遠征の車中でも文庫本を一人読んでいる姿がよく見られたが、あの文章を読むかぎり、文学的センスはゼロである。文学とは含羞だということを村上龍は教えるべきだった。いや、逆にこれが今日の日本の「文学」レベルなのかもしれない。
サッカーファンだが中田嫌いである金井美恵子は、『目白雑録』2でも中田の悪口を書いている。彼女が『一冊の本』の連載で、あの手記をどう酷評するか、楽しみである。
これは、東京新聞夕刊の「大波小波」というコラムに「ヘディング」なる書き手により書かれたもののようである。これを読んで共感を覚える読者も、なかにはいるのかもしれない。わたしがこれに対して居心地の悪さを感じるのは、このおそらく文学好きであろう書き手が、中田英寿の書いた文章に対して勝手に文学性を持ち出して、自らの物差しで中田英寿の文章や人間性、ひいては現在の日本「文学」のレベルまでも評価している点にある。
中田英寿の長文から「人生は旅である」とか「自分探し」といった言葉だけを取り出し、それに妙に刺激されてしまうのも、この文学好きな書き手の神経のあり方によるものだろう。わたしにとってはそれらの言葉に、それらの言葉が持つ意味以上のものはない。中田にとって(そしておそらく誰にとっても)人生は自分探しの旅であろうし、この12年ほど日本のサッカーを彼ともども見てきた身としては、それはそうだよなと思いこそすれ、そこに含羞の入り込むような余地はない。「含羞」という言葉は文学には似つかわしいのかもしれないが、サッカーとも、中田英寿の生きかたともそぐわない。
最後の文の締めくくられ方も、どうにも気持ちが悪い。そんなことがそれほど楽しみなのか。そんな陰(淫)な楽しみが「含羞文学」の愉しみなのか。金井美恵子や村上龍もこんなところに引っ張り出されてくるなんて、迷惑な話じゃないだろうか。

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2006/7/16
最近、シド・バレットの検索からこの場所にやってくる人が妙に多いと思ったら、7月7日に彼が亡くなったということを、洞口さんのブログで知ったのだった。シド・バレットは洞口さんの日記に触発されたこともあってIconシリーズの記念すべき第1号でとりあげたのだけど、そんな彼の新着ニュースが訃報だなんて、少しショック。ピンク・フロイドのメンバーにも少なからず動揺があったようだ。もともと、その不在が彼の神話性を強めていたのだけれど、このたびの訃報でその不在も決定的なものとなった。不在の2乗だから虚数世界の存在だ。
洞口さんの日記には、わたしも紹介していたピンク・フロイドデビュー当時の彼の映像動画へのリンクが親切にも貼ってあって、涙ながら彼の映像を何年ぶりかで見ることができた。このマーキークラブでの「星空のドライブ」はやはりカッコイイのだ。ありがとう洞口さん。
ワールドカップで気になった中田英寿のことをどうしても書いておきたいと思って書いた途端、彼の引退声明が出された。ここで書いたことなど彼の引退声明の後ではもう書けなかっただろうし、それがただの個人的な備忘録に過ぎなかったとしても、内と外での書くことのタイミングや前後関係というものにどうしても支配されてしまうものだ。自己満足とはいえ書けてよかったと思う。シド・バレットのことも中田英寿のことも私的な備忘録として書いたのが、遠くから谺がかえってきたような感じでちょっと揺れ動かされる。
そして、この2,3日、この場所のアクセス数が普段より多いのは、「中田英寿」と「金井美恵子」のダブル検索でやってくる人の多さによるものである。中田英寿と金井美恵子のつながりといえば、少し前にここでも書いた「目白雑録2」であろうが、最近になってそれが世間の注目を浴びるような何かとり上げられ方をしたのだろうか。誰かそれについて教えてください。
このところ、どうにも煮詰まっている。この3連休も仕事に挟まれた形で、今日だけが休日。それもぐったりとした一日。外はもうすっかり夏。夏を享受するどころか、暑さをどうにかやり過ごす日々、季節感も歳時記も何もない。そろそろ逃亡を企てるべきタイミングか。どこでもいい、見知らぬ土地を彷徨ってみたい。つげ義春の「蒸発旅日記」のようなあてのない逃避行に憧れる今日この頃。

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2006/7/8
その復刻盤制作の出来栄えには不満があるものの、近頃めでたく紙ジャケで再リリースがなされた70年代最後の英国プログレ・スーパーグループ“UK”。久しぶりの公式リリースを記念して、Iconシリーズ第二弾は、わたしにとっての永遠のロック・アイドル、エディー・ジョブソン。

弱冠17歳の時、脱退したダリル・ウェイとフランシス・モンクマンの穴を見事に埋めるかたちでカーブド・エアーでメジャー・デビュー、その後、ロキシー・ミュージックでもブライアン・イーノの穴を埋め、キング・クリムゾン、フランク・ザッパ、UK、ジェスロ・タルなど錚々たるグループを渡り歩いた実力者。長身に揺れる金髪をなびかせ、数多のキーボードとスケルトン・ボディの電気ヴァイオリンを弾きこなす、少女漫画から抜け出したようなルックスと高度な演奏技術を兼ね備えたマルチ・プレイヤー。当時、彼を見つめる多くのロック少年・少女の瞳には星が輝いていたものである。キース・エマーソンに影響を受けた彼のプレイは聴いてひたすらカッコよく、ただ見るだけでもミーハーにカッコイイ。

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2006/7/4
彼のことをこの場に書いたのは2日前。今夜のニュースで彼の引退を知った。決断が速いというか、彼の中で決心はすでにあったのだろうから、アクションが速いというのか、このタイミングにはビックリさせられた。ワールドカップもまだ閉幕していない、4強の戦いのまえの中休みでの発表は、本当に絶妙なパスだしの感がある。代表のチームメートもおそらくほとんどがあっけにとられていることだろう。今回の敗戦が日本のサッカーの節目になるのではないかと感じていたが、そこにまた彼の引退と言う大きな区切りが重なることになる。今後、彼が代表戦のピッチ上にいないということ、その不在が、残された選手たちにとってもわたしたちにとっても大きな意味を持つことになるだろう。今は、戦いを終えたこのサムライに一言お疲れ様と言うほかない。
ニュースステーションで、城彰二の電話インタビューが紹介されていて、それが結構感動的だった。以前、ここで書いたジョホールバルでの戦いにも彼は言及していた。ヒデとはあの戦いでホットラインができていたし、彼がよこす最高のラストパスを自分はいかにゴールするかに集中していた、するとそれがすぐに来て自分がゴールできた、あんなふうにもう二人で一緒にピッチに立つこともないのだなと思うと寂しい、というようなことを話していた。確かにあの夜の二人の間にはある種の精神的なつながり、テレパシーみたいなものが強く感じられたことをよく覚えている。しかし、以来、彼はホットラインの相手にも欠き、ずっと孤高の存在であり続けた。ポジションがラストパスを出すトップ下から守って攻めに切り返す中盤に移ったというのもあるが試合のなかでもっと感じあえる相手が欲しかったことだろう。心から話せる同志も欲しかっただろうが、そこは少し不器用だったのも彼の個性であり、言っても詮ないことだろう。
しばらく彼は一人旅に出るということだが、再び彼が帰ってくるまで、わたしたちとしては彼の旅の無事を祈るばかりである。
Bon Voyage!

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2006/7/1
試合終了のホイッスルとともに、彼はほぼピッチの中央で仰向けの大の字になる。敗戦監督のインタビューと、何人かの選手のインタビューがあり、その合間に、相変わらずピッチに倒れこんだ彼の姿が映し出される。他の選手が応援団のところに挨拶に行く。キャプテンが彼を何度か誘おうとするが、彼は微動だにしない。それから相当の時間がたち、ピッチ上に選手は一人もいなくなった。まだ彼は真っ青な虚空を見つめ続ける。そして、時々涙を隠そうとしているのかカナリア色のシャツで顔を覆う。スタッフがひとり、ずっと彼に話しかけている。そして、彼もとうとう起き上がる。無表情だがいくぶんスッキリとした顔つきをみせる。歩き出す彼の背中のアップをテレビカメラは最後に映し出す。
これが、今回のワールドカップ日本代表の最後のシーンとなった。午前6時の時報とともに画面は切り替わり、朝のニュースが始まる。またいつもの朝が始まる。

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