2006/11/23
蝶は沖縄の古語では、「あやはへる(綾蝶。美しい蝶)」ということばにもみられるように、「はへる」と呼ばれ、あの世からの使者、神の使いとされています。わたし自身、沖縄の聖地で蝶の群れ舞う光景に出会い、光と影の強いコントラストのなかに鮮やかな色彩の明滅を眼のあたりにしてしばし呆然と立ち竦んだこともありました。
今日読み終えた小説にも蝶にまつわる話がありました。その小説は作家が3年間かけて夏の休暇の間、広大なアメリカのあちらこちらで趣味の蝶の採集を行う合間に書き続けられ推敲を重ねられて出来上がったということです。物語のなかでも夏が3度過ぎます。それは主人公の中年男H・Hが恋する少女と過ごした幸福で悲劇的な蜜月の期間と重なります。素の生き物として最も美しくそして大人へと変態しようという14歳前後の少女の時間を、H・Hは強固な塀で囲い込み、二人だけの至福の王国をつくりあげようとしたのでした。しかしそれが虚構の王国であること、一方的な男の側の妄想の産物であることを一番よく知っていたのは他ならぬH・H自身だったのです。「私が狂おしく我がものにしたのは彼女ではなく、私自身が創造したもので、もう一つの、幻想のロリータだった――おそらくそれは、ロリータよりももっとリアルなロリータだ」ったというわけです。ある意味、それは恋の本質でもあり、この小説の本質でもあるでしょう。このような「幻想の避難所」のなかにしか、あなたとわたしが共にしうる、唯一の永遠の命はないのです。

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2006/11/19
刹那に過ぎる時のなかで
自分という個を特定しうる証拠を記録しておきたいからこそ
人は外部記憶にそれをゆだねる
ということで、この日記が、わたしにとって唯一自分が自分であるところの外部記憶なのだから、それがしょうもない記憶のかけらにしがみつくことに他ならないとしても、書き続けるほかはないのだ。
なんていう書き出しになってしまったのは、ようやく先ほど、『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』の全26話を見終わったからで、いやいやよく出来たシリーズでした。笑い男もよかったし、タチコマも萌え萌えに大活躍してくれたし、最後にはフーコーの図書館みたいな場所がでてきて大澤真幸先生なんかも登場して、そして何よりも、第一作を髣髴させるような少佐とバトーの恋愛模様も垣間見せてくれてよかったです。やはり人生に必要なのは、正義感と好奇心でしょうか。この歳にしてまだ読んでいない『ライ麦畑』を、今さら読んでみようかとも思うほどなのです。もちろん白水Uブックスでね。
正義感と好奇心、それが、並列化を突き進めた上で個がGhostを獲得するに際してのキーワードだとこの作品はいいます。正義感と好奇心を、倫理と欲動と言いかえてみれば、Stand Alone Complexの哲学は意外とレヴィナスの実存哲学の近傍にあるのかもしれません。
また、チーム・ワークによって成り立つホモソーシャルな単位ではなく、個々がスタンド・プレイを実践しながら一つの際立った統一体を成すというのは、ある意味で集団が創造性を発揮するために最も必要な原理であって、建築家の吉阪隆正の「不連続統一体」という言葉を思い出させます。そのような集団が成り立つためには、それぞれの個の核に倫理とまっとうな欲動が包み込まれていなくてはならない、ということになるでしょうか。
Stand Aloneとして生きていくことは、本当に難しいことですね。それは、自分の生活行動においてある種の規律、美の基準を保ちつづけることです。わたしたちはすぐに、損得だとか関係のしがらみだとかに囚われてしまうため、そういった事がらに対して妥協してしまいがちです。心のなかの光はすぐに霧で見えなくなるものなのです。わずかな光であっても、それを光明として受け取り、自身のGhostの呼びかけに従って生きていく覚悟が必要なのです。
倫理と欲動に生きることは、美に奉仕することなのかもしれません。ですから、今現在、そのような光明を見出したあなたには、おめでとうといいたい気持ちです。心の信じるままにまっすぐ光のほうへ進んでいただきたいと願うばかりです。
いまださしたる光明もみえない自分のことは棚にあげて、なのですけれどね。
最後は、ほとんど私信となってしまいました。それでは、また。

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