忘却の川へ流れ去る諸々をしばしこの岸辺に繋ぎとめて..日記についての日記、もしくは不在の人への手紙。
2007/1/29
この前、ここに書き込んだとき新月だった月は、もう相当肥え太った月となりました。
トップに貼られた月は、つくりものの月ではあるけれど(googleのオプション表示を介して誰でも手に入れることができるものです)、こうして暗黒の空間に浮かび上がらせて、ページを開くたびに刻々とその姿を変えるのを眺めるのは、いとおかしな気分です。この見かけの月の満ち欠けに自分の精神も多少は支配されているような感じがします。もうすぐ満月です。
さて、PCが壊れて結構おたおたしましたが、以前のPCの本体からHDDを取り外し、専用のUSBのアダプターを差し込んでそれを別のPCにつなげ、友人の力も借り、データ救出ソフトで根気強く復旧作業を続けているうちに、どうにかこうにかHDDのデータが認識できるようになって、以前のデータも最小限復元することができました。嬉しかったです。外に出せば10万円は下らなかったと思われますが、実際かかった費用はアダプターの3000円程度で済みました。
PC本体のほうは、もはやHDDが疲弊しており、今度いつ本格的に成仏するかわからないということなので、迷った末に、駆け込みで新しいPCを購入しました。
駆け込みで購入したというのは、WindowsのOSが今まさに移行の時期にあるからです。世間では新しいOSのVistaの販売を待って買い控えしていた人も多いと思いますが、どうもこのVistaはいやな感じです。OSが変わるくらいで、どうしてPC自体のスペックをそこまで上げなくちゃならないのか理解に苦しみます。Vista搭載というだけでPCの値段が軒並み3万円ほど高くなっているような印象を受けます。このスペックの向上がそれほど操作の快適性に結びつくとは思えないということで、セキュリティ機能が充実しているなんていったって、それは、既存のOSに関しても当たり前にきちんとしていただきたい事柄なわけです。ということで、XP搭載品の安物狙いということで、10万円以下でメモリーも1GBにしてそこそこのPCを購入しました。これでも泣く泣くの出費には違いありません。

0
2007/1/21
間章と書いてアイダアキラ、32歳で夭折した音楽批評家。その文章はジャズとロックを縦横無尽に横断し、鋭利な観念で切り裂く。
なんと、去年の12月12日、彼の死後28年目にしての追悼本が出版されていた。
『間章クロニクル』
これは、ひとつの驚きである。仕掛人が、映画『ユリイカ』の青山真治だというも驚きだ。まあ、彼の場合、映画にアルバート・アイラーを使ったり、クリス・カトラーのドキュメンタリーを撮ったりしているくらいだから、なんとなくわかるような気もする。
この本、彼が撮った『AA』という6時間半にも及ぶ間章のドキュメンタリー映画のテクスト版の記録のような体裁をとっているが、間章の単行本未収録のテクストが読めるのが嬉しい。
なかでも、インパクトの強い文章が、これも間と同じ年の9月に29歳の若さで夭折した天才アルト・サックス奏者阿部薫の死に際しての追悼文、「〈なしくずしの死〉への後書」だ。出会うべくして出合ったこの二人の結びつきについては、その死のずっと後に彼らのことを知った身としては、想像の域を出ないのだが、あの時代の空気の中で彼らは邂逅し、それぞれが放つ言葉や音によって火花を散らせながら、その存在は一瞬の強烈な光芒を放ちつつ、彗星のようにこの世界から光速で飛び去っていったといったところだろうか。
それにしても、またしてもここにブランショの影がある。
〈垂直に立ちつくし〉〈無残な孤独〉を背負いながら、極限のパフォーマンスに身を投じ続けた孤高のプレーヤー阿部を想起するなかで引き寄せられるのが、ブランショの〈友愛〉である。ブランショの『友愛のために』は、間が74年にパリに住んでいた頃、書店で見つけて感銘を受けた書物だという。闘う者には世俗の友情はない、もしあるとするなら「闘う者同士、眼差しを維持し会うお互いの永遠の距離と彼方の吃水線においてお互いの在りかを敬愛するという意味での「友愛」しかありえない」と間は書いている。
手元にある間章の本は『非時と廃墟そして鏡』一冊だけなのだが、『時代の未明から来るべきものへ』も是非読んでみたいところだ。そして、久しぶりに阿部薫の音を聞いている。『彗星パルティータ』、この音は冬の荒野にこそ似つかわしい。
それにしても、宮川淳といい、間章といい、死後30年ほども経ったという今この時に、まるで亡霊のようにわたしたちの前にその存在を現すというのは。これは一体どうしたことなのだろうか。


0
2007/1/13
先日、本屋で『水声通信』という詩評誌のバックナンバーが眼についたので眺めていたら、去年の10月号が「宮川淳、三十年の後に」と題され、宮川淳の特集が組まれていた。そうか、宮川淳が亡くなってもはや30年も経つのかと、信じられない気持ちになる。僕が彼の文章に初めて出会ったとき、彼はすでにいなかった。それからも20年は経つだろう。でも、たまに彼の書物を取り出してはイマージュの世界に下りていく。そのときの甘美さは今も変わらない。彼の言葉は今も、その世界の中の鏡の表面で煌きと静謐さを湛えながら現前しているではないか。
水声社という出版社、今も宮川淳の単行本のほとんどを出版し続けている奇特な出版社だなと思ったら、元の書肆風の薔薇だったのですね。『鏡・空間・イマージュ』なんて1967年の出版だから、かれこれ40年だ。それが、かわらず本屋にあるというのは、ひょっとして奇跡的なことかもしれない。豊崎光一の本も同じシリーズで何冊か出ている。
特集記事で何が良かったかといえば、映画監督の吉田喜重のインタビュー、「宮川淳の思い出」でした。彼が宮川淳と仏文の同級生で学生時代に同じ文学を志していたとは知りませんでした。このインタビューでの吉田喜重の語り口が何とも雰囲気がよくて、この人文章も上手なんだろうなと思う。
(宮川淳の)早熟な知が可能であったのは、宮川氏が触れたカノン、規範、公理に沿って処理し、それ以外のものを徹底的に排除したからでしょう。そこにはイデーだけが露に示され、それが限りなく反復されながら、あたかも詩のように歌われる。だが、カノンの悲しみもあるのです。収斂してゆく先の公理があらかじめわかってしまえば、いま生きている自分は何か、それもわかってしまう以上、それは自らの死を意味している。
宮川淳という詩人=批評家は、余計な文章をどんどんそぎ落とし、果ては、言葉が純粋なイマージュのきらめきに結晶化してしまったかのような言葉を紡ぐひとだった。彼はブランショに大きな影響を受けていた。またしてもブランショなのだ。作家の死。紡がれたテクストにあらかじめ刻印された不在の存在...そのような宮川淳の批評家としてのあり方に寄り添うように、吉田喜重も自らの映画人としてのあり方を語るだろう。
映画監督を志望する人の多くは、自分につくりたい映画があるからでしょう。そうした夢の映画は、幼い頃に見た映画、あるいは学生時代に影響を受けたフィルムだったりするでしょうが、それが私にはなかった。こういう映画をつくりたいという、夢の映画がはじめから欠如していた。このはじめから隠されている映画、×印の付けられたフィルムの、その×印をいかに取り除くか、それがわたしの映画論にあるのでしょうが、宮川氏の美術評論にも、同様な×印がマークされており、それをいかに消し去るかだったように思われてならない。
×印を取り除くこと、それは、「不在そのものの現前」、「存在しないことの不可能性」に向き合うことにほかならないだろう。
それは〈ない〉という不在そのものの現前である。芸術は、もはや可能性としては成立しえない。しかも、それは芸術の終末を意味しないのだ。逆に芸術は、いよいよその影をあらわす。
影――もはや存在することの可能性ではなく、存在しないことの不可能性。
『鏡・空間・イマージュ』
芸術のところには、他のあらゆる事象があてはまるだろう。世界、書物、作品、愛、そしてあなたとわたし...
以前、 この場所で、宮川淳と清岡卓行のことを書いてから、もう2年以上になる。そういえば、清岡卓行も去年亡くなったのだった。今は鏡の向こう側で宮川淳と語らっているのだろうか。

1
2007/1/9
PCの件もあって、本もゆっくりと読めないうちに年末年始はボンヤリと過ぎてしまったのだけれど、この間に何ができたかといえば、『Ghost in the Shell S.A.C. 2nd GIG』を全編通して見ることができたぐらいなのだ。そして、それはやはり興味深い作品だったのだ。
今シリーズでは、公安9課は国家レベルの戦争や内乱といったより大きな状況に巻き込まれることになる。そのため、物語世界のスケールは前作より拡大したものの、9課ならびに彼らと直接関わりのある主体の視点からのみ物語世界が語られざるをえないという設定上の宿命から、大きな状況に対してはやはりどうしても描き足りない部分が生じてしまう。それはつまり戦争状態におかれた時の一般人の生活世界の描写である。
この作品が前作よりも物語世界のリアリティという点では後退しているという指摘も、おそらくそこがポイントとなっているのではないか。前作では「笑い男事件」というネットを介したゲリラ的な犯罪が物語全編の駆動因子となっており、それはわれわれの生活世界とネット環境の狭間で生起しうるようなある種のリアルな感覚を有していたのに対して、本作はもろ、戦争や革命が主題である。難民の軍事蜂起もあれば国の軍隊も出てくる大所帯で、小さな集団である公安9課が物語を切り盛りしていかなくちゃならないのは、やはりちょっと無理があるかなと。そこで、クゼやゴーダといった特異なキャラクターとの協働による狂言回しが要請されることにもなるのだが、その部分ではそれなりに、というか結構楽しめる物語となっている。
開けっぴろげな空間での大スケールの集団スペクタクルについては、それはそれで楽しいが享受や悦楽の対象とはならない。そのような場面ではどうしても、イラクやベトナム、ボスニアやパレスチナのことが頭にちらついてしまうのだ。これらの報道映像からの表象的な引用が気になって落ち着かない。それと、これはこの作品に対するわたしの嗜好の話になってしまうが、半ば自己に沈潜した意識のもとで語られるモノローグともディアローグともつかない長台詞の書割舞台劇が好きなものだから、今回のシリーズでも印象に残ったのは「草迷宮」や「機械たちの午後」といった一篇である。
どちらにせよ、大状況的な主題はおいといて、今シリーズでも情報と記憶、ゴーストとの関係や意識と身体との乖離や認識主体についての考察、ハブ電脳なる概念などの主題群については興味が尽きない。いずれひとつひとつ自分の中でも整理していきたいと感じる主題だ。
“Stand Alone Complex”という概念についても、これからも引き続き考えていきたい。思い出したのは、批評誌『ユリイカ』の攻殻機動隊特集号で上野俊哉だったか誰か、「群島」という言葉を持ち出していたことだ。そこには明記されていなかったが、それはおそらくイタリアの美学哲学者、マッシモ・カッチャーリの概念を引いてきたものだと思うのだが、今回S.A.C.を頭におきながらカッチャーリのテクストをいくつか読み直してみたら、結構おもしろかった。それについてはまた後日述べることになるかもしれないけれど、カッチャーリに関してはもう一つ、パウル・クレーの絵に啓示を受けたベンヤミンの天使論が翻訳に出ているし、これなんかは少佐のことを頭におきながら読み直してみると、結構思考を羽ばたかせるのに恰好のテクストなのではないかと思う。
記憶はきわめて危険な出会いです...
この対象への愛(エロス)は過去が自律的に飛び込んだものなのです。これが記憶であり、きわめて危険なものなのです。なぜなら、あなたが記憶を自由に使うのではなく、記憶があなたを使い、打ち負かすのです...
記憶は人をそのなかに誘惑し、とりこむのです...
アエネーイスがハーデス(黄泉の国)への旅をはじめたとき、ハーデスへのアクセスは易しいが、そこから帰るのは難しいと忠告されます。死人と会い、過去を見るためのアクセスは簡単で、そこから戻るのは大変に難しいのです。
マッシモ・カッチャーリ

0
2007/1/5
元旦に今年は何かいいことあるでしょうかと書いた矢先に、トラブルです。
PCのハードディスクがどうやらイカレてしまったようです。OSが起動しません。物理的な障害のようなので、データのサルベージも難しいかもしれません。たとえ出来たとしても、自身の懐とでは相談の余地もありません。最近パフォーマンスが低下してきたのでバックアップをとろうと思いながら、遅きに失しました。しかし、このところ、あちらこちらでPCがお陀仏になったという話を耳にしてきたのです。これも一種の連鎖反応なのでしょうか。
ささやかな外部記憶としてのこの場所が唯一の救いです。
とはいっても、これからこの場所の更新も滞りそうです。
メールに関してはWEBのフリー・メールなので差し支えないのですが。
どちらにしても、失われてしまった記憶は、もうもとには戻りません。
悲しいことです。

0
2007/1/1
またこの場所で新しい年を迎えることができました。
元日の今日、今年初めてこのページを開いたら、カウンターが12345でした。
何かいいことあるでしょうか。
今年もStand AloneでAnonymousなGhostとして
ここに書き続けることが出来ればと思います。
ここを訪れていただいている数少ない皆様には
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
唯一言葉によって外部とつながることのできる場所として
書かれようとする言葉の意味を自身に問いかけながら
澄んだ思考とやわらかな情感の表出を心がけつつ
それを言葉に紡いでいければと願うばかりです。


0
1 | 《前のページ | 次のページ》