2007/9/30
1冊目は、書物についての書物だった。2冊目もやはり、書物についての書物なのだった。
『超人 高山宏のつくりかた』 高山宏 NTT出版
これもまごうことなき、書物についての書物。ブランショとの懸隔はあるが、どちらも私にとってはたいそう魅力的な世界だ。
この本を読もうと思った背景に、やはり最近単行本化された『先生とわたし』 四方田犬彦 新潮社 がある。実はこれは今年の春「新潮」3月号に掲載されたとき、売り出されて即効で買って読んだのだった。文芸誌を買うなんて、ほとんどないことだが、新聞広告で見かけてどうしても読みたくなったのだった。四方田の師は、以前、この場所でも書いたことのある由良君美。単純にいえばその師の回想録だ。内容は、確かに面白い。しかし、釈然としないものも残った。なんだか救いがない。
その後、私がこのところ注目している田中純先生がこの書物について書いているのを知った。そこからたどり着いたのがこの高山宏の本だった。この本にも由良のことが端々で言及されている。『先生とわたし』でも書かれた由良と高山のシリアスな逸話もここで本人によって記されており、読んでいて辛いエピソードだが、それは一部で総体的に清々しい。その清々しさは何に由来するのか、書物への愛とイデアルな知のアウラだろう。それがあるからこそ、先生も救われるし、読む私たちも救われる。四方田本にもそれはあるが、楽しくて楽しくて仕方がないという感じじゃないし、先生との距離感もちょっとまずい感じ。彼の立場ではそれは仕方がなかったのかもしれないけれど。
ほんとにわくわくして読みました。最後はホロリとさせるところもあります。何よりも、これを読んでいると無性に本が読みたくなる。つまらない仕事なんかうっちゃって、書物の世界に耽溺したくなるのです。また、つながりで出てくる面々が由良をはじめとして、澁澤や種村、荒俣宏、松岡正剛、高橋康也、小野二郎に山口昌男といった人々ですから面白くないわけがないだろう。
そして、マリオ・プラーツとかバルトルシャイティスの1冊とか、せめて自分の家の本棚に眠っているものくらいは読まないといけないなと思うし、残された人生、あと3000冊も本を読めるか読めないかぐらいだろうから、読んで楽しい本を読みたいよね。
今年の夏、厳しい暑さと陽光のもと、多摩美のあたりから京王線南大沢の駅までてくてくと歩く機会があった。駅の近くになんだか西洋風の石造りの威容な(異様な)建物群があって、おかしな雰囲気を醸し出していたのだけれど、表にたどり着けばそれは都立大学だった。そのときは、先生がそこにいらっしゃるなんて露知らずでした、知っていたら門の前で胸に手を合わせ一拝できたのに残念。

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2007/9/29
この前の木曜日の夕方、駅広に巨大な渋沢栄一像が鎮座する首都圏の郊外の駅から電車に乗ると、それは新宿を経由して小田原行きという結構遠距離の快速電車で、とりあえず山の手線に入って一番近い駅で降りてみると、そこは池袋だった。
なんとなく本屋に行きたい気分になって、西武のLIBROに足を向けたのだった。この本屋は関西にも店を出していて、以前職場の近くにあって文化・美術系の本の品揃えがまずまずだったのだけれど、店じまいしてしまった。この池袋の店は本店だろうか、店の空間構成はわかりにくいけれど、書籍は豊富だ。
そこで本を2冊買う。
新幹線に乗り込んで、読み始める。結構入り込んでしまって、静岡あたりで1冊目を読み終えてしまう。

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2007/9/23
子供の頃、住んでいたその山のあたりは、今から思えば不思議な場所だった。
住んでいた土地は別荘開発地のようなところで、はっきりとした区画もなく、ぽつんぽつんと柿畑のなかによそから住み着いた人たちの質素な家屋が点在していた。僕たち家族も都会から流れついたよそ者だった。村と山の境界辺り、家の前の道は「山の辺の道」と名づけられていた。昔住んでいた家は、今も建替えられてその場所にある。
当時、近所にはなぜか一人暮らしの女性が多く、彼女たちはいわゆる霊能者だったようだ。その山は大和の聖地、全ての神社の始原となる最古の神社がこの山の麓に座している。そんなところが、そういった性格の人たちを呼んだのだろうか。そんな人たちもいつのまにかいなくなり、家屋だけが今でもぽつんと残っていたりする。
昔、私の家のさらに山のほうに入り込んだところに、一人の女性が猫といっしょに住んでいた。こぎれいな身なりをしたご婦人で、東京から季節ごとに訪れては、彼女もやはりそのような性格の人だったのか、修行をしたり人の相談を受けたりしていたようだ。池のほとりに庵のような家を建て、その奥は果樹園や雑木林が広がっていた。子供心に、そんなところで住んで怖くないのかなと思った。また、そんな彼女が少し気味悪かった。その人の家は今はどうなっているのだろうと少し寄り道して細い山道に分け入った。
すると、目の前に意外な風景が広がった。何もかもきれいさっぱりなくなっていたのだ。池も家屋も果樹園も林も、きれいさっぱりなくなっていた。かすかに地形に名残りをとどめながら草原の更地となっていた。後に両親に確かめてみれば、「こんな恐ろしいところにはもう住めない」といって僕たちが引っ越した後にさっさと引き払って出て行ったという話だ。霊能者でも我慢できないくらいの何か怖い目にあったのだろうか。
今はなんだかぽっかりと空いた不思議な風景のなかで、その山だけが存在感を増しているようだった。


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2007/9/22
昼下がり、今も厳しい残暑のなかで、過ぎ去った夏を感じる。
暑くとも過ぎてしまえば短かいおきまりの夏。ぼんやりしながら思い出す、季節の風景。

お盆休みに、子供の頃住んでいた場所を久しぶりに訪ねた。
大和平野の東のへりのある山のふもとに、幼稚園から小学校のほぼ終わりまで住んでいた。
夏になれば、野山駆け回り、川で泳いだ。
昔の記憶を辿り、子供の頃泳いだ山間の川を訪ねた。
昔も渓流とまではいかなかったけれど、泳いで顔を上げれば眼の前をすいすいと蛇が泳いでいたりもした自然そのものの川だった。
現在では、砂防工事が行われたのか垂直な護岸が整備され水辺まではなかなか近寄りがたくなっていた。
ようやく、藪の中を掻き分けて水辺に辿りつき、そこからしばらく裸足になって沢を下った。
昔と変わらず水量は豊かで水は冷たい。流れを分けている飛び石伝いに一歩一歩足底を確かめながら転ばないように歩いていく。裸足で歩くのも久しぶりだし、足裏が痛くて裸足で歩くのに非常に不器用になってしまっていることに気づく。
日常生活で忘れきっていた体感やバランス感覚が蘇り、山登りで熱を持っていた足の甲やふくらはぎが急速に冷やされていくのがわかり、気持ちいい。水の流れは変わらないのだろうけれど、こんなところにも、いやこんなところだからこそだろうか粗大ごみが多く捨てられていて、足の踏み場に神経を使うのだった。
200mほど下って堰堤のところからもとの山道に戻った。
冷たい水が吸い取ってくれたのか、川石の足裏マッサージのおかげか、歩き出すと足の疲れはすっきりと消えているのだった。

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