2010/3/28
このところ冷たい雨の日が続き、昨日の午前は久しぶりの燦然とした太陽を見ましたが、すぐに曇って肌寒い気候が続いています。先週末の春の陽気が懐かしくなります。
先週の土曜日は前日から出張で東京泊でしたが、午前中は時間が空いていたので、上野の国立博物館の長谷川等伯展に行ってきました。朝一で行こうと、宿は上野でとりました。朝8時にホテルを出て暖かな朝日を受けて不忍池を抜け、上野の森の散歩を楽しみながら東博に向います。桜の種類によってはすでに満開のものもあり、ソメイヨシノは芽が膨らんでいます。
東博の前まで行くとすでに門前は長蛇の列、チケットをまだ買っていなかったので、そこより30分早く開くという駅近くの公園案内所でチケットを購入するために引き返せば、そこも100人くらいの列が伸びていました。無事チケットを手に入れて館の前に戻るとすでに2000人くらいが列をなしていたでしょうか。そんなこんなでしたが、開館時刻を少し過ぎて入館できました。

等伯は去年の『対決巨匠たちの日本美術』でもいくつか見ていましたが、こうして生涯の作品を通して観て画家の偉大な力業をまざまざと見せつけられました。一幅の屏風と対面した途端、周りの人の多さも全く気にならないほどその作品に引き込まれます。極彩色の大和絵や力強い金碧画から蕭条とした水墨画まで、ダイナミックな構図や多彩な筆致とともに、この作家の芸の広大さがよくわかりました。
やはり、トリの「松林図屏風」は一つ抜けています。扱いも別格で、作品との距離をとって鑑賞するような計らいとなっていました。確かに、襖絵・屏風絵は一定離れて見たいところですが、このような展覧会ではどうしても作品の前に人が列をなして、なかなか思い通りに見られません。ですから、このような方法は理にかなったものでしょう。巨大な「仏涅槃図」も展示には苦労したことでしょう。

襖絵や屏風絵というのは、そのスケールといい多彩さといい、日本絵画における一大形式なのだなと認識した次第です。でも襖や屏風、障子などはすでにわたしたちの生活からほとんど消えつつあります。襖などあっても本来のものではなくダンボールやスチロール製のものが多くなり、上張りがビニールというものもあるようです。
展覧会は、4月には京都にやってきます。春まっ盛りの京都で再び等伯にまみえることができます。

0
2010/3/17
昨日3月16日午前6時2分はうお座の新月、夜明けに東の地平線から太陽とともに上る新月だった。
このところ、家庭の事情で普段の寝室ではなく自分の部屋のロフトで眠っているのだけれど、東向きの大窓があるために、朝はなんとなく夜が明ける前に目が覚めて、夢うつつの状態で日の出を迎え、強烈な朝日を浴びて覚醒するといった生活のリズムになっている。

この部屋に移ってから、空を身近に感じるようになったのだけれど、眠るときには窓越しに星空が拡がっているので、空を越えてその先の宇宙も身近に感じるようになったようだ。
折しも、iPodでダウンロードした「Star Walk」という天体観測ソフトが楽しく、「Star Walk」の画像と実際の星空を重ね合わせて楽しんだりもしている。
もともと月に惹かれるところがあって、このサイトのトップにも月齢のガジェットをよそからお借りして貼り付けていて、新月や満月、上弦、下弦というのもそれで意識するようになったのだけれど、正直なところ、これまで天体・地学に関してはつくづく無知だった。
こういったガジェットや「Star Walk」などを眺めてはじめて、月は太陽との関係でこんな風に満ち欠けしているのか、とか、太陽系の惑星は黄道に沿ってほぼ同一平面状を周回しているのか、などと、傍からみれば恥ずかしいような感動をしている。
昨日の新月のこともそんな感じで、偶然横浜から来ていた妹と無邪気に話していたら、新月に願い事をすればかなうのだと教えてくれて、それも10個まで願い事をしてもよいということなので、早速、願い事をしようとこの夜明けの新月=日の出を待ち受けていたのだった。
しかし、この日の朝は天候がすぐれず、今にも雨の降りそうな重い雲が東の空に垂れ込めている。数日前のような強烈な夜明けを期待していただけに、残念だったのだが、こんなときに「Star Walk」じゃないかと思いつき、窓辺にiPodを置いてリアルタイムの東の空に合わせて見ると、なんと、月だけではなく、水星と天王星も太陽と重なり合となっている。ひそかに太陽系の壮大なドラマに出くわしたようで一人興奮していたのだった。
東の方向に据えたiPodを遥拝しつつ、少し欲張りかなとも思ったのだけれど、10個の遠大な願い事をしっかりしたのでした。


1
1 | 《前のページ | 次のページ》