2011/2/27
久しぶりの金井美恵子、2009年の『目白雑録3』以来の新刊書となります。
読み始めて、あれれ?とデジャ・ヴ感覚に襲われました。サッカー・ワールドカップの話題で始まるのですが、それが2006年のドイツの話です。初出を見れば、「別冊文藝春秋」の2006年9月から2010年11月にかけての連載がもとになっているということで、『目白雑録3』とまる2年くらい時期がかぶっていたのです。もう季節は一巡りしているんですけれど。でもその二つのワールドカップの間の4年が猫にとっては一年くらいのものだから、「猫の一年」という書名になったそうで、そこは妙に納得します。
サッカーのヒデさんの話題については、私的にはもう過去のこととなってしまっているので、読んでいてもあまり感興がわきません。先のワールドカップでは開幕戦のNHKの中継に出ていましたが、常識的ですが的確なコメントをしていたように思います。そうそう、確かに開幕前に本田と対談もしていましたね。
ワールドカップの話を少しすれば、2006年と2010年ではチームの一体感が違ったという言い方がありますが、やはりそれも初戦が全てだったのではないでしょうか。ドイツでは勝てていた試合をひっくり返されたうえの惨敗、一方の南アフリカでは負けるであろうと思われていた試合が異常に惨かった相手チームに助けられて辛勝、この結果の違いがその後のチーム感情にも大きく左右したわけで、まあ、ドイツでは結局ベンチ(監督)が最後まで機能しなかったのが一番大きな敗因だったと個人的には思っています。こう書きながらも遠い目になってしまうのですが。
サッカーの話題はさておき、原稿は伊東屋の原稿用紙に手書きでPCを使わないからネットとも無縁の作家としては、目にし耳にする情報はしぜんテレビや新聞、雑誌となるのは仕方がないとしても、それらを見てのあれやこれやについては、もういい加減、なのではないでしょうか。
こんにちの既成マスメディアの凋落ぶりを目の当たりにすると、それについてとやかく言うことはおろか見たり聞いたりすることもうんざりです。この頃はテレビも見なくなりましたし、雑誌も買わなくなり、新聞の購読もやめようかと思っているくらいです。
つまらないものを相手にするのはやめて、ね、先生、私たちはあなたが本来好きな小説や詩や映画について書いたものを読みたいのです。再び書くことのはじまりにむかって逡巡しめまいするようなエッセイを読みたいと30年来のファンは切に願っています。『トワイス・トールド・テイルス』も待ち遠しいですしね。
最後に一つこの書物について付け加えることは、姉の金井久美子さんの挿画です。たっぷりとあって、どれも美しくて神秘的です。トラーもいたるところにいます。1月に銀座の画廊でこの挿画を中心に金井久美子さんの個展が開かれたということです。出張のついでに観にいけばよかったと悔やまれます。

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2011/2/26
1月に家に遊びに来た高校生となぜか『攻殻機動隊』の話で盛り上がり、テレビシリーズ2編をDVDで貸してもらうことになって、日々の合間に数年ぶりかで全52話を通しで見たのだった。久しぶりだったけれどいま見ても滅法面白く、古びた印象はない。それどころか、現実世界のほうが攻殻の世界に何やら近づいてきたように思える。およそ5年前に見たときは『S.A.C. 2nd GIG』にはそれほどリアリティが感じられなかったのに、いまやその作品世界が予想以上の迫真さでこちらに問いかけてくることに驚いた。
本シリーズの構成を練り上げるに当って、監督の神山健治が押井守から与えられたテーマは、911以後の戦争を描くことだったという。結果、ネット上に現れては消える亡霊のようなハッカーを追いかけていくという前シリーズの探偵小説的な面白みは後退し、公安9課が国家や社会階層間の軋轢に巻き込まれていくという大状況の舞台回しの中で、主役達も幾分居心地が悪そうで、作品世界の成り立ちも当時のわたしには少々わかり辛かった。
ところが、今となっては本シリーズの世界設定には非常にリアリティを感じる。それだけ世の中がキナ臭さを増しているということだろう。なかでも作品世界において、いくつかの点で当時より現実との地続き感がより強まっているように感じる。そのいくつかの点とは・・・

政府や上部権力においてエージェントが演出家・シナリオライターとして暗躍し、国内のマイノリティとの内戦を契機とする軍拡から戦争への筋書きを現実化しようとする。彼らの演出・情報操作により、抗争が仕組まれ、それらの抗争と憎しみの連鎖の果てに国内は泥沼の戦争状態にはまり込む。もはや自国の首相は見えない権力の広告塔として機能するのみであり、傀儡政権は他国の諜報機関に陰であやつられている。さらにその背後には、神話や伝説をプログラムする誇大妄想狂の巨大権力が存在し、状況を悪化させる思想誘導装置としてのプログラムを発動している。その装置に扇動された民衆は、泥沼化自体を目的とした戦争に巻き込まれていく。そうした抗争においては、きっかけとなる犠牲者や局面を打開しようとする反対抗勢力(革命家)さえも、構成要素の一部(触媒)としてプログラムに組み込まれ、状況が混迷を深めるとともに、真実は現象の前に沈黙を余儀なくされる。もはや歯止めのきかなくなった集団心理に踊らされた人々は、この先どのような結果が待ち受けているのかわからないまま、自分にとって都合のいい情報のみに身を委ね簡単にマインドコントロールされる。水が低きに流れるように、人の意識もまた低きに流れる・・・
なんと既視感のある風景だろう。そのような世界で、「ハブ電脳」という言葉に示されるごとく、ネットの存在が大きくクローズアップされる点も、今まさに私たちの世界で繰り広げられていることがらだ。
チュニジアから始まって、エジプト、バーレーン、リビアへと飛び火している中東の革命は、少数の若者の犠牲(あるものは政府に虐殺され、あるものは焼身自殺を図り)を契機としながらも、その革命運動が燎原の火のように国中に広がりを見せた背景にtwitterやfacebookといったSNSが大きく貢献したと言われている。ジャスミン革命ならぬSNS革命といってもよいほどだろう。
しかしこれらの革命は、決して、虐げられた民衆の民主化への発露として自然発生的に生じたのではないといわれている。すでに、2,3年も前からエジプトのある少数の若者たちは、国際的な機関に教育・訓練を受け、自国の政権の転覆について緻密なプログラムを練っていたようだ。そうした若者たちを民間サイドで積極的に支援したのがgoogleやfacebookといった企業であり、現に指導的な若者の一人はグーグル・エジプトの社員だったという。googleなどは近年CIAからの資本参加も受けているそうだ。そして、2009年の時点ですでにエジプトの80万人の若者の間にfacebook やtwitterを普及させていたという。
これらのことから見えてくるのが、中東革命の背後で暗躍している大国の存在である。かの大国がどのようなシナリオにもとづきこれらの動乱を引き起こしたのか、この革命劇に第二幕があるのか、その最終の目的は何か、泥沼化自体が目的なのか。これらの革命が人々にどのような社会をもたらすのか、中東の国々をとりまく今後の世界の状況についてはしばらく注視していかなければならないだろう。
久しぶりに、『攻殻機動隊』を見て、さて、首を回して世の中を眺めてみれば、そこにも同じような世界が広がっていたということである。そして私たちの国はといえば・・・

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