忘却の川へ流れ去る諸々をしばしこの岸辺に繋ぎとめて..日記についての日記、もしくは不在の人への手紙。
2011/2/27
久しぶりの金井美恵子、2009年の『目白雑録3』以来の新刊書となります。
読み始めて、あれれ?とデジャ・ヴ感覚に襲われました。サッカー・ワールドカップの話題で始まるのですが、それが2006年のドイツの話です。初出を見れば、「別冊文藝春秋」の2006年9月から2010年11月にかけての連載がもとになっているということで、『目白雑録3』とまる2年くらい時期がかぶっていたのです。もう季節は一巡りしているんですけれど。でもその二つのワールドカップの間の4年が猫にとっては一年くらいのものだから、「猫の一年」という書名になったそうで、そこは妙に納得します。
サッカーのヒデさんの話題については、私的にはもう過去のこととなってしまっているので、読んでいてもあまり感興がわきません。先のワールドカップでは開幕戦のNHKの中継に出ていましたが、常識的ですが的確なコメントをしていたように思います。そうそう、確かに開幕前に本田と対談もしていましたね。
ワールドカップの話を少しすれば、2006年と2010年ではチームの一体感が違ったという言い方がありますが、やはりそれも初戦が全てだったのではないでしょうか。ドイツでは勝てていた試合をひっくり返されたうえの惨敗、一方の南アフリカでは負けるであろうと思われていた試合が異常に惨かった相手チームに助けられて辛勝、この結果の違いがその後のチーム感情にも大きく左右したわけで、まあ、ドイツでは結局ベンチ(監督)が最後まで機能しなかったのが一番大きな敗因だったと個人的には思っています。こう書きながらも遠い目になってしまうのですが。
サッカーの話題はさておき、原稿は伊東屋の原稿用紙に手書きでPCを使わないからネットとも無縁の作家としては、目にし耳にする情報はしぜんテレビや新聞、雑誌となるのは仕方がないとしても、それらを見てのあれやこれやについては、もういい加減、なのではないでしょうか。
こんにちの既成マスメディアの凋落ぶりを目の当たりにすると、それについてとやかく言うことはおろか見たり聞いたりすることもうんざりです。この頃はテレビも見なくなりましたし、雑誌も買わなくなり、新聞の購読もやめようかと思っているくらいです。
つまらないものを相手にするのはやめて、ね、先生、私たちはあなたが本来好きな小説や詩や映画について書いたものを読みたいのです。再び書くことのはじまりにむかって逡巡しめまいするようなエッセイを読みたいと30年来のファンは切に願っています。『トワイス・トールド・テイルス』も待ち遠しいですしね。
最後に一つこの書物について付け加えることは、姉の金井久美子さんの挿画です。たっぷりとあって、どれも美しくて神秘的です。トラーもいたるところにいます。1月に銀座の画廊でこの挿画を中心に金井久美子さんの個展が開かれたということです。出張のついでに観にいけばよかったと悔やまれます。

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2009/9/8
親密で幸福に充ちた幼虫的な愛の世界というものが、かつて、存在した。“無性”ということによってその幸福と蜜の甘美が保証されていた黄金の束の間の至福のときがあった。そのいわば魅惑しつくされた無時間の原野から、どうして、わたしたちは追放されてしまうのだろう。
「夢みられた少女たち」
もちろん、書くことは昔から好きだった。読むことが好きなのと同じように。昔はもっと純粋に書くことだけで満足していた。今よりももっと快活で情熱に溢れ・・・まるで書くことだけで生きていた黄金の幼年期。至福の王国で甘美な白昼夢を生きていたそのころ、いつもぼくはあなたと一緒だった。というより、ぼくはあなたであり、あなたはぼくであり、そんな未分化な幼虫のように、ぼくたちはつがいで生暖かい繭の中ずっとまどろんでいたのだった。
いつのころからだったろう、そんな二人の完結した円のような関係に亀裂が生じたのは。それ以来、ぼくはぼくでありぼくでしかなく、あなたはあなたになった。それがいつのことだったのか、ほんとうはよく憶えている。じりじりと焼けるような太陽の下、あなたは一人っきりで崖に立って海を見ていた。銀青色の光芒に海は包まれ、太陽は世界を覆いながら風を孕んで音をたてる巨大な透明な帆布のように海の上をわたっていた。そのとき、あなたはあなたであるということにはっきりと目覚め、またぼくを理解したんだ。そしてあなたがぼくと同じことも理解した。ぼくの眼を通してあなたは自分自身を見たのだろう。ぼくたちはこれまでのように無邪気で無意識な二人ではいられなくなった。
そのころからだろうか。ぼくにとって書くことが苦痛になったのは。それでもこうして書かずにいられないのだけれど、こんな状態から抜け出せないことは、実際苦痛以外のなにものでもない。昔はちがった。物語は次から次へ湧き出てきた。怪鳥にさらわれる姫を救い出す王子やにやにや笑う猫の話、恐怖の幽霊船や海賊がでてくる冒険物語、それは幼年期の王国の神々の物語。物語をひとつ読んださきからまた別の物語を書きはじめる幸福な日々。それがある日突然そうじゃなくなった。
そんなことは恥ずかしい行為だと、そんな観念にぼくはある日とらわれたんだ。これまでのつくりものの物語ではなく、自分のことについて書きはじめたとき、《ぼく》という一人称を使って書き始めた時、ぼくはおそれと驚きで身体が震えた。《ぼく》と書きはじめること――王国と神々の黄金時代の黄昏がはじまろうとしていた。それ以来、ぼくは物語を書くことをやめ、こうして日記を書いている。あるいは宛先のない手紙を。
一方で、常識ある普通の人々はみな、幻のような幼年期から軽々と脱出し、やがて書くことをやめていく。ぼくの回りの人たちもみなそうだった。みなそれぞれ自分の生活を見つけて、そのなかでときどき旅立つことはあったとしても、いずれはそこへ帰還していった。帰っていく場所があるということが大人の証明なのさ。彼らはみな書くことをやめていった。ノートは閉じられ秘密の部屋には鍵がかけられた。みな一人前の大人だから、書くことにいつまでもかまけてなどいられない。
あなたは特別な人だったけれど、もう子供じゃない。あなたはぼくを置き去りにしたままその一歩を踏み出したんだろう。あなたは大洋に漕ぎ出していく女船乗り。もはやあなたの視線は海の先の水平線が空と交わる辺りを見つめつづけたまま、決して出発の地をふり返ろうとはしない。海の上で、青一色の空虚な世界で、あなたの視線は無限の空間を見つめつづけたあまり、まるで宇宙の星を眺めているように、出発の土地への距離感を失ってしまいます。彼方を注視する視線は、それを支える肉体をすでに持ちません。
こうして帰還のない航海へと旅立っていたあなた。あなたからはもうぼくが見えるはずもない。ぼくができることといえば、こうして書きつづけることだけ。それは日記のようでもあり手紙のようでもあり、何事もない日常の、何事もないがゆえの備忘録のようなもの。何も待つことなどないし、忘れるに足ることなど何もないから、思い出すこともない。わたしという書きつづける生身の肉体があるだけ。そんな単調なやり方で、ぼくもぼくのやり方で海へと、沖のほうへと漕ぎ出したというわけさ。帰航が目的とはならない船出、ただ航海日誌を書くための航海。そうしてずいぶん時間もたって、いったいどれくらいの季節がめぐりめぐったのかわからないほどだ。今はもう、無意味な人生の灰色の煮こごりのような疲れや老いも始まり、やがてくる終わりを待ちながら、重い無様な肉体をかかえて生きているような気分だけど、ぼくは決して書くことをやめたりしないだろう。なぜなら<断片>に終わりがないように、ぼくの航海記にも終わりはないから。かぎりない不快さと苦痛の水平線の彼方に終りは飲みこまれる・・・
twice told tales
われら愛によって生き、われら愛の黄金によって充たされ、天の音楽星に充ち充てり。
星に海によって厳重にその内部の地殻を覆われた水球であり、目路のかぎり海また海。
波打ち寄せる岸辺のない球体の海の天空燃える巨星輝き溶けこみ
果てることなき黄金と永遠が赤道をめぐる
「少年少女のための宇宙論」

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2009/9/3
彼女は・・・僕のことを忘れつづけるだろう。ぼくは、彼女を名づけることが出来ない。名を告げることによって、ますます遠ざかり、離れられなくなってしまう存在。打ち寄せる岸辺のない海のように、彼女は果てのない波の永遠の循環であり、語ることによってしかその不在を明らかにすることの出来ない不在なのだ。そして、彼女は常にぼくの前にあらわれる。不在の指標として。それをたどっていくことの不可能な指標として。
『岸辺のない海』 9節
この前書いた『完本』と『中公版』との間の相違について、『中公版』における数節の文章の削除は、一部の文章の入れ替えにともなうものではないかと述べたのだけれど、その入れ替えの動機については作家に聞いてみないかぎりわからないだろう。
この入れ替えについてもう少し詳しく見てみよう。まず『完本』116節、河出文庫本で言うところの297頁「切手をはられ・・・」から121節「それから彼は長い眠りの中に入り込んで行った。」までが、中公版では9節20頁の後に移動されて、その前後の数節、114節・115節(294頁〜297頁)と119節(309頁〜310頁1行目)までが削除されている。
そして、『完本』89節、文庫本297頁「自分が他の子供と変わっていることに彼が気づいたのは、小学生の時だった。」から105節の途中「深く深く、哺乳動物のように丸まって眠るだけ――。」までが、中公版では26節に続く節として小説の前半部に移動されている。そして26節は67頁3行目まででそれ以降がカットされている。また、この移動に伴い、91節(229頁「彼は今や彼の分身のようにさえ思えるこの少女のことを長いことじっと見つめていた。」から始まる節)と98節前半部(251頁「行ってしまったのはぼくなのかきみなのか、」から次頁10行目「何一つとして、何も変りゃしなかったのだろう。」まで)が削除されている。
こうして文章で書くとわかり辛いのだけれど、大きな構造で見ると、小説中盤の大きなトピックスとなっている彼の「孤島生活」を挟んで、二つの数節からなるトピックスの塊が小説の前半部に繰り上げられているということになる。

この移動と削除によって、116節の「切手をはられ、彼女のもとにとどくことのない手紙」の内容が消されてわからなくなり、それを宛てた人物が誰なのかもわからなくなった。『完本』を読み進める中では、手紙の宛先は114節に語られているように、3年ぶりかで駅のホームで会った「あなた」のことと読めるだろう。この「あなた」も複数の「彼女たち」のうちの一人にすぎないのだろうけれど、幼い頃、彼がいつも一緒にいた少女であり、いまも彼にとって過去のトラウマ的な記憶とともにあり、姿を変えて彼の「孤島生活」に闖入してきた〈原初の彼女〉ではおそらくない。なぜなら彼にとって彼女は「不在の指標」でありつづけ、決して出会えず、手紙も届かない相手であろうから。
1974年版では、その手紙についての記述が冒頭に置かれることにより、その手紙の存在自体が希薄なものとなっている。その結果、その手紙の宛先についてもより抽象的なイメージとなった。そして「孤島生活」の前に彼は深い眠りに入り込んで行く。でも、どうしてなのか。そのことを理解するにはいずれにせよもう少し時間がかかりそうだ。
『岸辺のない海』のなかで彼が想起する「複数の彼女たち」。一人の男を一緒につけまわした少女や駅前の喫茶店で待ち続けた彼女、駅で3年ぶりに出会った彼女、どしゃぶりの雨の中高原の町までドライブした彼女、よその男から寝取った彼女、そして最後に昼の公園で話している彼女。こうして何人もの(無数の)彼女について小説家の「ぼく」は書きつづけるだろう。そこでは、彼女の数ほど「ぼく」も存在するだろう。しかし、こうして書くことを遅延し続ける彼の書くことのはじまりの「はじまり」に〈原初の彼女〉が彼方の消失点として存在している。いずれにせよ、その中心の不在と複数の存在によって構成された星座の配置が当時の作家にとってなにか好ましいものではなかったために、このような変更が行われたのであろう。

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2009/8/30
単行本上梓までに私としては珍しく一年も時間がかかったのは、当時の私がこの小説を書きながらまったくの孤立状態にいるような気がしていたからで、単行本にするにあたって、かなりの分量をカットしたのもその表れだったろう・・・二つの『岸辺のない海』のどこが違うのか、中公版ではなぜある部分がカットされたのか・・・
『岸辺のない海』 文庫版著者あとがき
作家もこのように書いている二つの『海』の相違については、作家自身考えるのに時間がかかると書いているのは、両者の間に介在するのが単純なカット編集ではないということがあるだろう。『完本』の最初からパラグラフに通し番号を振り、それを『中公版』の編集に沿って並べ替えてみると、カットばかりではなく下の図のようなブロックの入れ替えが行われていることがわかる。

小説がはじまってすぐ、10節目のところで『中公版』のほうでは『完本』の終わりのほうの数節がつなげられており、またそれ意外にもブロックの前後関係が入れ替わっているところがある。このことから、『中公版』における文章のカットは、最初にカットありきだったわけではなく、このようなブロックの前後関係の入れ替えによってカットしなければならない文章が生じてしまったというふうに考えたほうがよいのではないだろうか。
それにしても、著者は単行本にするにあたって、どうしてこのように前後関係を入れ替える必要にかられたのだろうか。一般的な物語小説であれば、このような入れ替えは考えにくかったであろうが、それが出来たということもこの小説の特殊性を物語るものとなっている。これらのパーツの入れ替えによってこの小説の世界=物語構造が壊れてしまうものではないということだろう。これを単純化して言うなら、この小説には明確なストーリィがないからということになろうが、ならばなおのこと、単行本化の際孤立状態にあったという作家にこのようなアレンジをさせた動機(それはあるいは外部要因かも知れないのだが)は何かということになろう。
といったことも、この不思議な『海』の世界の神秘性をより増すことになり、ぼくはますますこの『海』の深みにはまりこんでいくことになるのだろう。

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2009/8/27
ぼくはきみに手紙を書き、きみはそれを読んで、敏感にあることを感じとったんだ。ぼくがきみに伝えようとしていることをひとつも書いていないということを。なぜなら、ぼくがきみに伝えようとしていたことは本当はたった一こと〈愛してます〉とかそんな単純で馬鹿気た言葉でよかったはずなのに、ぼくは、それを伝えるためにもっともっと何百倍、何千倍もの言葉を必要としたんだ。そして、書くということは、そういうことだった。真実から遠ざかるようにしてしか真実に近づく手だてがないかのように、もうきみとは関係なく、きみと呼ばれるきみではないきみの彼方の何もないどこにもない場所に向って、ぼくは書いた。
『岸辺のない海』 34節
もう夏は終わろうとしているのに、ぼくはまだいつかの夏の記憶の〈海〉で溺れかけているんだ。
夏休みも終わりかけの週日の図書館は人が比較的少なく、ブラウンジングでの書庫閲覧の申請もスムーズに済んで、係りの女性が指し示す可動式の棚に眼をやれば、棚の上にはぴっちりと背がそろえられた雑誌の合冊製本が6冊分並んでいた。それはもうかれこれ40年くらいも昔の〈海〉という名の文芸雑誌だった。
ひとつの小さな机をぼくは独占して、ひたすらぼくは古びて黄ばんだざら半紙のような紙を指でめくる。手元には僕自身が持ち込んだ小説の文庫本があり、その文庫本には1ページ目からパラグラフの冒頭に手書きで通し番号が振られている。そして、昔の雑誌と文庫本とを見比べながらメモをとるというのがこの日の図書館でのぼくのミッションだったというわけさ。
1971年12月号 1−14
1972年 新年特大号 15−26
1972年 2月号 27−42前半
1972年 3月号 42後半−50
1972年 4月号 51−61
1972年 5月号 62−67
1972年 6月号 68−76
1972年 7月号 77
1972年 8月号 78・79
1972年 9月号 80−89
1972年10月号 90−94
1972年11月号 95−103
1972年12月号 104・105
1973年 新年号 「作者急病につき休載」(編集後記)
1973年 2月号 106−114
1973年 3月号 115−121
1973年 4月号 122−133
察しのいいきみのことだから、ぼくがしたことがわかるだろうけれど、そのことにどれほどの意味があるのかはよくわからないでしょう。だってぼくにもわからないのだから。とにかくぼくはこの豊穣な(放恣なといってもいいんだけれど)言葉の海へ、単純な数字でできた、それゆえ客観的で抽象的な澪標を突き刺した。それがこの言葉の海に身を尽くし、遭難せずにかろうじて航行し続けるためのささやかな道しるべというわけさ。

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2009/8/13
やがて、無数の夜と昼が限りない反復の中にたちあらわれる。太陽の光を小さな茶色の円盤の形をした光彩で調節し、少し眼を細めて、狂気のような太陽のもとでぼくは書く。もしくは夜の中で、狂気じみた夜の中でも、ぼくは書くだろう。夜の静けさと、静けさの中に呑みこまれた不可能な熱狂のうちで。書きはじめることによって、彼方から僕を囲繞しはじめる不在がやって来る。無数の夜と昼の反復の中に、ぼくの老いがゆっくりと肉体をおかしはじめる。終わりのないはじまりの中で、緩慢に死に近づきながら。時と海の干満の中で、終わりなき物語がはじめられる。
さて、お盆休みが始まると夏も終わりです。今年の夏は梅雨が明けなかったり、台風と地震が同時に来たりと巷に夏らしいイメージは感じられませんでしたが、わたしはといえば、先週のうちに休暇をとって旅に出かけ、天候にも恵まれて夏を満喫できました。とはいっても、ここでの話題は旅の話ではなく、その旅に携帯した文庫本の話です。
それはもう随分昔に読んだ、永遠の夏休みを描いたかのようなリゾート・ロマンスの側面を有するアンチ・ロマンだったのですが、今回それをこの旅の途行きに再読するのに最適と思い、持って出かけたのでした。しかし、旅のほうがめまぐるしく充実していて、結局帰って来たときにはまだその四半分も読めていない有様でした。
その文庫本というのは、金井美恵子の『岸辺のない海』です。
『岸辺のない海』は、最初雑誌の『海』に連載されていたものが1974年中央公論社より単行本が刊行されました。しかし、それは掲載文章の一部が割愛された形で出されたため、その後1995年に雑誌より完全復元されるとともに新しく「岸辺のない海・補遺」が付け加えられ、『完本・岸辺のない海』として日本文芸社より出版されています。
わたしの持って行った文庫本は、1974年版の文庫版として1976年に中公文庫から出されたもので、今では単行本も文庫本も絶版となっています。わたしはその文庫本を去年四国の地方都市の古本屋で購入したのでした。趣味人の若い店主が経営する店で、そこでは他に『言葉と<ずれ>』や『添寝の悪夢・午睡の夢』他の金井美恵子のエッセー数冊を購入することができました。ちなみに1974年版の単行本のほうも、つい先日京都のアスタルテ書房で購入したばかりでした。

そして、旅から帰ってきて久しぶりに最寄の本屋を覘けば、『岸辺のない海』の文庫新刊が並べられているではないですか。河出文庫の新刊で、これは1995年版の『完本』が文庫化されたものでした。最近の河出文庫はなかなかいいですね。
この文庫版のあとがきには、金井美恵子自身、1974年版では相当の文章がカットされたと書いていますが、ざっとみたところ単純に割愛されているようでもなさそうです。しばらく引籠もって、その部分を読み比べることでこの夏の残りを過ごすことが出来ればとも思うのですが、わたくし自身そんな贅沢な身分でもありませんし。
以前、この場所でも、1974年版と『完本』とでテクストにどのような裁断や組替が行われているのかを辿っていきたいと書きましたが、それはもちろん分析行為といったものではなく、読むことの愉悦や快楽を反芻すること、著者に言わせれば「小説の中を漂いつづけること」であり「岸辺のない海に浮かび続けること」に他ならないのです。

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2009/5/6
金井美恵子の『目白雑録(ひびのあれこれ)3』が4月初旬に出ています。
金井美恵子については、3月にも『柔らかい土をふんで、』が河出文庫で文庫化され、久しぶりにこれを読み返したところでした。文庫には作者インタビューも載せられており、元気そうな様子でなによりだったのですが、『目白雑録3』を読んで、はじめて『目白雑録2』以降の2年半ほどの作者の日々を知った次第です。
この間の作者の大きな身辺変化としては、あとがきにも述べられているように、1網膜剥離、2トラーの死、3禁煙、の3つだということですが、読み始めてみると最初はサッカーの話題が多く、それも2006年のドイツ・ワールドカップの話題(正確に言えば2006年5月17日のUEFAcupCL決勝戦の話題)からということで、非常に時間の隔たりを感じさせる結果となっています。
あれから中田英寿も旅を終え(いや、今度は国内の旅に出発したんだっけ?)、日本代表は相変わらず煮えきらず(それでもワールドカップ出場に王手をかけ)、バルサはロナウジーニョからメッシのチームとなり(今夜は確かCLの準決勝対チェルシー線だったはず)、で、日々サッカーにおいて世界は移りゆくのでした。こちらのサイトでも話題にした、中田英寿を巡る雑録についても、「バカヤロ、酷評されるのは中田じゃなくて、お前の文学的自己愛の無恥ぶりさ。」としっかり落ちをつけてくれていたのでした。
でも、なんといっても、2007年9月の「休載の記」以降、網膜剥離の術後のたいへんそうな経過に加え、『昔のミセス』のあとがきであっさりと知らされたトラーの最期、2007年9月4日のくだりが描写された文章には胸うたれたのでした。作家の病やトラーの死が『目白雑録3』の全篇に影を落としているようで、ところどころでは相変わらず笑えるのですが、いつもの金井美恵子らしい攻撃性には幾分翳りが見えるようです。
先日文庫化された『小説論 読まれなくなった小説のために』について書かれた文章もあります。それを上梓したのが1987年で作家39歳の時なのですが、この年には『タマや』も上梓されています。その年は作家デビューからちょうど20年目のことであり、それからトラーと一緒の生活も含む20年間が作家の中ではひと区切りだったのだというようなことが書かれています。
一読者としては、これからの新しい20年間、厄をのり越えた作家がマイペースながらも確実に小説を書き続けられることを願ってやみません。


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2008/9/14
この本はもう本屋に出てから随分経ってしまって、読んだのも1ヶ月前で、ほとんど書くことのタイミングを失いつつあったのだけれど、下記の二つのブログに、同じ話題として金井美恵子・久美子の池袋ジュンクのトーク・セッションのことが書かれていて、金井先生ご無事で何よりという気持ちもこめて、やはり書くことにしました、昔のミセス。
http://d.hatena.ne.jp/el-sur/20080901
http://d.hatena.ne.jp/jasminoides/20080831
上のお二方のブログで共通の話題といえば、森茉莉の「明治デラックスチョコレート」と角砂糖を砕いて混ぜたお菓子の味のことで、これは確かに面白い話ではあるけれど、私自身は、森茉莉フリークでもないので「明治デラックスチョコレート」より「ロッテガーナチョコレート」のほうがおいしいんじゃなかろうかなどと、つまらない感想となってしまう。
『ミセス』というのも、子供の頃は何冊か家にあって、当時は大仰に分厚いだけで何の面白みもない婦人雑誌の印象しかなかったのだけれど、結構、読むところの多い雑誌だったのですね。金井美恵子の文章で読んでいくうちに、その世界がまさに『噂の娘』の背景をかたちづくるもののように感じられます。おそらく当時の美容室(今もでしょうか)にもおかれていたでしょう。
幻戯書房(げんきしょぼう)というあまり聞かない出版者から出ていますが、その出版社は、歌人で作家の辺見じゅんが、父であり角川書店の創立者である角川源義の創業の精神を受け継ぎ設立した出版社、とあり、新しい出版社のようです。出版社のHPによると『昔のミセス』は無事に版を重ねているようであり、作家の回復とともにこれもめでたいお話です。
ついでに、別のお二方の書評の一部も引用しておきましょう。
ほとんど官能的なまでに五感全部の記憶を揺さぶるエッセイなのだけれど、それは自分にも似た経験がある、ということよりも、ああ、この子を知っている、という一種錯綜(さくそう)した記憶による懐かしさであって、そのとき私が「この子」に自分を重ねているのか自分の妹を重ねているのか、友人や友人の妹を重ねているのか、判然としない。小説の登場人物にたまに感じる既視感のような意味で、ここにでてくる著者の友人の妹その人を、知っていると感じるのかもしれない。それらは混然一体となり、ああ、あのゼリーのけばけばしかった色、つるんとしたつめたさ、と、それを作ったり食べたりした部屋の様子まで思いだす気がしてめまいさえ感じるのだが・・・
この本にはそんな「<記憶>が不意によみがえる時のなまなましい鮮明さ」がある。だから「<記憶>が…全身的な官能を揺さぶる出来事として、再び、紙の上に生きはじめる瞬間」を求めて、金井美恵子の本を何度も、何冊も読み返すことになる。そこによみがえる<記憶>が著者のものなのか、著者の小説の登場人物のものなのか、自分のものなのか、あんまり楽しくて、もうどうでもよくなってしまった。
上は作家の江國香織の毎日新聞の評(「今週の本棚」 江國香織 2008.8.24)で、下は同じく文筆家の千野帽子の新聞評(「よみがえる生活の手触り」 千野帽子 2008.9.7)なのだけれど、これを読むとお二人とも見事に作家へのオマージュに満ち満ちた評となっていて、やはりみんな『噂の娘』の続編が読みたくて読みたくて仕方がないのだろう、そうだろうそうだろうと思うのでした。
でも、正直なところ、私にとって最も大きなトピックは(おそらく作家姉妹にとってもそうだったでしょう)愛猫トラーの死でした。あまり猫の死に際については書かれておらず、最後の文章で「その猫も亡くなり、私も六十歳を過ぎて・・・」といきなりあっさりと書かれていて、多少呆然としたのだけれど、そういえば、2年位前の本屋のトークセッションでも金井先生、今、うちの猫が病気で、実はここでこんなことしてるどころじゃないみたいな状況もあったそうなので、そうなんです、いつまでもあるとおもうな親と猫、なのです。
このトラーってあの「迷い猫」のトラーだったよねと、思わず文庫版の『遊興一匹 迷い猫あずかってます』を指がぱらぱらとめくり始めると、36頁に「知人に七十歳を幾つか越えた一人暮らしの女性がいて・・・」と始まる「猫を飼う」という一文があって、その中の挿話が、ちょうどこの本の「老猫と暮すこと」とリンクしているのでした。トラーは17年間猫の人生を全うし、その間、作家も私も皆確実に歳をとってしまったということなのでした。トラーが最初に迷い込んできたとき、作家はまだ42歳でした。

やはり「猫が亡くなる」といったことからは極力避けて通りたい自分がいます。だから『グーグーだって猫である』もあまり見に行く気になれないのでした。

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2008/4/27
久しぶりに、金井美恵子の文章を読む。むさぼり読む。
本屋の新刊書籍コーナーで珍しく彼女の文庫本が並べられていて
帯の「今、最も新しい小説論!」というキャッチ・コピーに
ええっ、病気療養中との噂だったのに、先生密かに批評本を書いていたのか
と思ってよくよく見たら、1987年に岩波書店から出た本の文庫化だった。
20年ぶりに金井美恵子のかっての文芸批評が日の目をみたということは、
めでたいことなのだけれど、朝日のこの「最も新しい」というコピーは
確信犯的なものなのだろうか。
このところの金井美恵子の評論といえば、
やはり朝日から出されている『目白雑録(ひびのあれこれ)』で、
これは朝日新聞社発行の『一冊の本』の連載エッセーをまとめたものだから
「目白雑録」休載で本を出せないのでこのままでは契約が不履行になりそうだ、
だから、この昔の評論集に肩代わりさせることでご勘弁ということだったのだろうか。
これは、昔よくあったことなのだが、解散してしまったロックグループが
レコード会社との契約を履行するためにライブアルバムのリリースで当座をしのぐ、
といったようなことなのだ。たぶん。
最近の金井美恵子情報といえば、評論家の小谷野敦のブログで、
それは、金井先生が元気の無いことをお書きになっていて、
ここはちょっと頑張ってほしいという、激励の内容だったのだが、
それも、『一冊の本』に書かれていた彼女の文章を小谷野氏が読んでのものだった。
ナボコフの『文学講義』やバルトの『テクストの快楽』からはじまって
両性具有的な読む「私」だとか、「読んだから書くのだ」だとか
とくに、フローベールや谷崎の『細雪』からはじまって折口信夫や泉鏡花にいたる
聴覚的・触覚的なテクスト感覚にまつわる和と洋における差異を浮き彫りにする
「音と声のシンフォニー」なんか、非常にスリリングで面白い。
素晴らしき書き手はやはり素晴らしき読み手でもあるということなのです。
20年ぶりなのに内容的には全然古くなどなっていないと思う。
一方で、あとがきにも書かれていることなのだが、
この当時、中上健次はまだ生きていたのだった。
このあとがきも口実筆記のような感じなので、
自分で書くことが出来ないくらいの様態なのかと心配だ。
金井美恵子の一ファンとしては、ほんとうに、ご自愛くださいというほかない。
ああ、それにしても『噂の娘』の続編が読みたい。
右:単行本 1987.10.30発行 岩波書店「作家の方法」シリーズの一冊
左:文庫本 2008.4.30発行 朝日文庫
文庫本では、最近紀伊国屋書店が文庫本復刊フェアで金井美恵子の『恋愛太平記』集英社文庫を復刊しています。フェアは終わっているけれど、ネットではまだ取り寄せが出来るようです。買いそびれていた文庫なので早速注文しました。通勤の電車の中で読むのが楽しみです。

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2007/5/4
先日、久しぶりにあなたからメールをいただき、この本のことを知ったのですが、本屋で見かけたこの本を昨日買って、先ほど読み終わりました。全くあっけないくらいにはやばやと読み終わりました。

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