
私が生まれ育ったのは大阪府守口市平代町−京阪電車滝井駅から北にいったところだ。淀川まで1kmほどで小さい頃からよく河川敷にいった。これが私の水辺の体験の原点になっている。
守口もまだこの頃(昭和40年ぐらい)は国道1号線の上を路面電車が走っていて、内環状線はまだなかった。昭和45年の大阪万博の為に急ピッチでこの内環状線と豊里大橋を造り出すところだった。
豊里大橋がない頃は橋のすぐ西側に平田(へいだ)の渡しという渡し船があった。遠足で河川敷に行ったときや父親と時々この渡し船に乗って向こう岸に渡るのが私にとっては大冒険であり憧れだった。
ちょうどこの私と反対側、東淀川区の豊新にYさんはすんでいた。Yさんは私より4歳年上、比較的同じ世代でこの淀川をみて育った。もう半年前にいつか一緒に淀川を漕ぎましょうといってお互いなかなか日程があわなかったが遂にいけることになった。

(豊里大橋をみながらアルピナ2を組む)
平成18年12月20日、年の瀬もおしせまってきての20日の五十日(ごとび)、13:00に待ち合わせの豊里大橋下の河川公園にやってきた。橋の手前の太子橋の交差点を曲がろうとした私の目に飛び込む目新しい地下鉄の駅、「そうか、25日が地下鉄今里線の開通か!」
確か今からいく淀川の下をくぐってるはず。凄いなあ。
私が行くともうYさんはきていた。もうかなりテンション高く期待に胸ふくらませた感じ。かくいう私もちょっと興奮気味!天気も快晴、さあ出発だ!

(いつ見ても感動の赤川の鉄橋!奥には菅原城北大橋が・・)
今私が住んでいる寝屋川方面は、淀川もすっかり護岸工事がすすみ川原はコンクリートの壁。しかし、この豊里から鳥飼の間はかなり自然のまま。
一面の葦に背高キリン草(枯れてたけど)、之こそ私の原風景です。なんにもかわってない。確かに水はきれいとはいえないけど、瀬があるわけでもないけれど、私にとっての一番大切な風景です。
Yさんは淀川を漕ぐのは始めて、かなり感動していた。こうしてお互いに川の北と南で育って、35年たって一緒に漕ぐ。カヌー人生のなんと楽しいことよ。
神崎川の水門ちかくまで漕いで鳥飼大橋みながらUターン。今度は東淀川側を漕ぎ進む。こちらがわもまったく変わっていない。二人でいろんな思い出話を咲かせながら豊里大橋をくぐって目指すは赤川の鉄橋。
途中の菅原城北大橋を通ってさあ赤川だ。やはりYさんと私の思い出は北と南でエリアが違う。しかしその両方が思い出深いのがこの赤川。城東貨物線の鉄橋でここで貨物が通るのをよくまっていた。それこそ小さい頃は蒸気機関車が通っていたところ。このすぐ下が長柄大橋(天神橋筋)と毛馬の閘門だ。

(橋も袂は外来?の水生植物が・・囲まれて動けない)
ここで当然貨物を見たいということで40分浮いて待っていた。しかし段々寒くなってくる。(まあ12月だし・・) ひょっとしたらもう貨物通ってないのかな?
後ろ髪ひかれながら再び豊里大橋を目指す。ここから大阪工業大学裏のワンドは有名な釣りのポイント。この日も大勢釣っていた。
そして再び近づく豊里大橋。そういえば小学校の朝礼で確か日本で3番目の桁吊り橋だといわれたような気がする。
最後の橋の袂は外来らしい水生植物が密集していてカヌーが進まない。なんとかヘコヘコ進んでゴール。
私はここきたのはH12/11以来6年振り。忘れたわけではなく大切なところだから、ある程度期間をあけてまたきたいものだ。
今年はいろんなところにいった。その締めくくりとして原点に還ってみて凄くよかった。今回はYさんと行くということに大きな意味があった。忙しい中日程を調整してくださってありがとうございました。そしてまたいつか行きましょう。 河野秀和

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