今年も時間があれば未使用ゲームの活性化のためユニット切りを続けています。
週に1〜2作のペースです。
その中で最近切ったのが、かつての翔企画SSシリーズの名作「太平記」の改定版である
旧GJ63号の「太平記(第2版)」です。残念というよりもめでたくすでに完売の様ですが。SS版との変更点は、公家方の地域支配チェックが毎回必要になった事です。登場武将のデータも僅かながら変更があります。
今回のタイトルを見てもう「あの事か」と判る方も多いかと思います。

上記肖像画は従来「源頼朝像」として広く認知され、イメージが固定されてきましたが、1995年に米倉迪夫氏は「この像主は足利直義である」との新説を発表しました。
その要旨はこちら
神護寺三像 - Wikipediaを参照頂くといいのですが、米倉氏は合わせて従来「平重盛像」とされていたものが「像主は足利尊氏」と主張され、現在も論争が続いている様子です。私がこの説を知ったのが上記2冊目の本「肖像画を読む」を購入した時ですので、おそらく1998年のことと思います。
興味ある方は御一読を。私も「新説」が有力だと思っております。黒田氏の編著の中には従来「足利尊氏像」として有名だった騎馬武者像についての論考もあり、現在は「高師直」を像主とする説が最有力ですが、黒田氏は「高師詮」を主張しています。
さて、ゲームの世界ではこのあたりはどう評価されているか・・・。
「太平記」デザイナー中嶋真氏の作品
「源平盛衰記」と合わせて見てみると、
偶然か必然か、頼朝も直義も合戦能力1、采配能力6でした。
「太平記」ゲーム中では「能力不足」ぎみに扱われる直義君ですが、このあたりはさすがにゲームデザイナー中嶋先生、かつてシミュレイター誌32号中の記事(1991年)でこう評しています。
「政務分担に見る通り、直義は行政担当者であり、(中略)ゲームでは表しにくい行政の世界では、彼がこの国では有数の政治家であった(後略)。」
きっと世間一般の源頼朝に対するイメージも「武将というよりは政治家」で同様と思いますし、その印象を構成するのに先の神護寺像が果たしてきた役割は非常に大きいと思います。
今後「足利直義像」としての認識が広まれば、彼に対するゲーマー評価も上昇するかもしれない?
因みに私はSS「太平記」が発表される以前より
「鎮守府大将軍」北畠顕家LOVE!!!、と友人に公言していたが、あまり理解されていなかった(SS「太平記」で理解された)というエピソードも紹介しておきます。

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