「水戸爺」氏宅にて実地対面プレイ。
まずは「信長包囲戦(GJ014)」普及委員会茨城支部として活動(笑)。
私が一応インストしながら、通常ルールで担当を交代しつつ2戦プレイ。
いずれも反信長側勝利。
ずっと
「大会特別ルール」でやってましたので、改めて通常ルールでの「信長側」不利を実感。
次に「天下強奪(CMJ078)」を、今度は私のほうがインストされる側になってプレイ。
サイ振りで担当を決め、私が西軍を担当。
CMJ78号と80号の記事を片手に、とりあえず命令値を増やすため、丹後田辺城と伊賀上野城攻略を優先することに。
まず田辺城。B-4部隊2つを接敵させたら、早速出ました。
「脇坂殿、裏切り!!」

とりあえず、もう1つの部隊で戦力2の滝川が出て、田辺城に1:1が立つのでなんとかなるかな?と思ったら、細川幽斎に奮戦され、ARが連発。古今伝授恐るべし。
結果的にCMJの記事通りの「五月雨式に戦力と命令値の逐次投入」となりはてました。
伊賀上野城は、備前中納言秀家卿とA-5の2部隊で包囲攻撃。
いざかかれ〜、と狼煙をあげたら、

「私たちはこれから御弁当です。」こちらも早速出ました。
そこで、更に援軍を要請したら、
「お前もか!!」

裏切り3部隊、全員集合。(両者爆笑)
結局こちらは攻略断念。
そして「秀頼様出陣要請」チット追加は受けとれず後半戦へ。
途中経過は初プレイなので、人様にお見せ出来るようなものでないので省略。
関が原を突破され、石田三成は佐和山城で奮戦後討死。
19ターンの秀頼様出陣チェックは当然ながら「淀君の反対」。
20ターン、勝利条件と盤上戦力配置との兼ね合いから、最終決戦の焦点が「伏見城」となることが判明。
下図は最後の局面。

東軍の宇喜田秀家に対する1:1攻撃が成功し、秀家戦死。東軍サドンデス勝利。
(三成、秀家除去)
もしも、ここで1:1でAR(50%)が出ると、次ターンに家康に対する1:2攻撃ができるので、3分の1の確率でDRが出れば、家康後退→秀頼出陣、福島正則西軍へ寝返り、家康包囲・・・と大逆転の可能性もあったのですが(相手も承知の上での行動です、念のため)、そうはうまくいきませんでした。
このゲームの諸々の処理に関しては、色々と意見が出されているようですが、私は充分に「関が原」を感じることができました。
伏見城で始まったこの戦役が、伏見城で終わる展開で(笑)、両者納得の初プレイでした。

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