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2009/9/29  引退を迎えて思うこと  

どーも、こさみです。

4年生が引退して一ヶ月がたとうとしています。
健康に気を遣わなくなり、生活がすごく不健康なものへ変わりつつあります

なぜ水泳をやっているか?

答えは一言、大好きだからです。
正直な話、世界中のかわいい女の子のより水泳のほうが好きです

4歳の時に、水が苦手すぎて(顔にかかっただけで泣いていたそうです)近所のスイミングスクールに通わされたのが僕の水泳人生の始まりでした。
はじめは嫌で嫌でしかたなかったけど、母親の1級までいったら辞めて良いという言葉を信じて通いました。(15級〜1級、C級〜AA級までありました)
大変残念なことに通っていたスクールは市内随一のスパルタ教育で、コーチに泣かされまくりましたが、無事の1級になったころには水泳の魅力にとりつかれていました。
そして今に至ります。

何というか、変幻自在な水の感覚や静かな水の中、レース前の緊張感等どれもが素晴らしく好きです。


また水泳を通してたくさんの人と出会いました。

水が怖くてプールから逃げ回っていた僕を毎回追いかけて、笑顔で優しく面倒を見てくれたコーチ
お前は絶対速くなるって毎回選手コースに誘ってくれたコーチ
ちんたら泳いでいたらキンカンのビンで殴ってきたコーチ
色んな学校と合同練習の機会をもうけてくれた中学校の顧問の先生
僕ばっかり怒るけど、一言一言が素晴らしい&いい加減な高校の顧問の先生
プールを楽しくしてくれたスイミングスクールの友達
水泳大好きだけどやんちゃすぎる中学校のチームメイト
水泳が好きならどうするべきかを教えてくれた高校のチームメイト
大好きな水泳でチームで勝つことを教えてくれた大学のチームメイト
水泳を好きなだけできる環境を作ってくださったOBの方々
毎回毎回、僕のやる気に火をつけてくれるライバル達
そして、今までずっと応援してくれた両親

本当に在り来たりだけど、自分は皆に支えられて、皆がいたから、ここまで頑張ってこられたんだなと思います。

本当に今までありがとうございました。


17年間水泳をやっていると本当にいろんな人と出会います。僕の中高のチームメイトであんなに大好きだった水泳を今も続けているのは僕だけです。
どんなに好きでも色んな事情で水泳が続けられない選手がたくさんいます。
後輩たちにはそれを少しでも知ってもらいたいです。

夏は長水路で練習できて、冬も温水プールを借りて練習ができる。
試合や遠征にかかる費用はOB会が負担してれる。
この環境がどれだけ恵まれているか。

もちろん体育会として学校の名前を背負うからには、常に勝つことを意識する義務があると僕は思いますが、そういう勝負の中でも常に今この環境で水泳ができる幸せや、感謝の気持ちを感じながら泳いで欲しいなと思います。

これから厳しい戦いもたくさんあると思うけど、

水泳を十分に楽しんでください




じゃあ、次は近藤よろしく
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2009/9/21  引退の辞リレー  

シルバーウィークいかがお過ごしでしょうか。
更新がすっかり遅くなって申し訳ありません
まだ小平プールに通っているおかげでさらに顔が黒くなりました大塚です。今年もシンクロに挑戦しています。風も水温も冷たくなりましたが、まだなんとか泳げます練習を始めて間もないのですが、丁寧な指導と競泳練習で培った体力に助けられ、連休最終日の大会になんとか間に合いそうです。「泳ぐ+踊る」ことを純粋に楽しんできたいと思います。日本代表の方も出場されるそうなので、もし興味のある方がいらっしゃいましたらご連絡ください



さて4年リレーのテーマに入りたいと思います。

「あなたはなぜ水泳をやっていましたか」


 わたしは高校受験を機に一度水泳をやめました。最後の頃はタイムが伸び悩み、大会が嫌で仕方なかったのを覚えています。だから一橋水泳部を見学に行くときには迷いがあったのに、一生懸命練習に取り組む部員の姿を目の当りにしたら、隣にいた中村(美)に「一緒に選手やろうよ」と言っていました応援に行った春季公認でも、昔の競泳仲間が今も高いレベルで泳ぐのを見て「なんだかまだ自分も泳げるんじゃないか」と勝手に思い込み(←図々しいですね)選手としてやってみることを決意しました。

 しかしブランクは予想以上に大きく、タイムは簡単に戻らないのが現実でした。当時は授業も多く練習できる時間は微々たるもので、「以前のレベルに戻りたい」想いが先行して焦燥感に駆られることもしばしありました。「速くなりたかったら人並み以上の努力が必要」とよく言われていたので、人並み以下の練習量の自分は尚のこと…と思い、基本の柔軟・筋トレを続けたり、(夜遅く学校にいる時は友人を巻き込んでパソコンの前で腹筋をしたり)泳ぎを意識した練習をするようにしました。速い人の泳ぎを真似てみたり、水の抵抗を意識して泳いだり、この泳ぎではどのくらいのタイムが出せるか…とか単純なことですが、昔はただメニュー通りに泳がされているような練習をしていた自分を思えば大きな変化かと思います。
 
 結果として徐々にタイムは上がりましたが、レースになるとどうも100%出し切れないのはあの頃のままでした。大会に強い選手に自分から色々教わりに行きました。フォームやレース展開、練習方法について、それから
どんな心境でレースに望むのか
どうしてそんなに自信がもてるのか

ということ。
 1つ目の答えはほとんどの人がこうでした。
「何も考えてない」「泳ぐことに集中している」
はっ◎o◎としました。水泳が楽しかった小学生のとき、目標タイムを突破したときのレースはいつも無心だったこと。「記録を出したい!」から「記録を出さなきゃいけない!」としか考えられなくなったとき、結果がついてこなくなったこと。それからはレース中、結果ではなく泳ぎを意識するようにしました。これにより自分がいかにレース中に力んでいたかを実感しました。
 2つ目の答えでいいなと思ったのはこれです。
結果を出すとそれが自信になる。
自信の根拠になるものは結果が1番だけど
結果が無くてもそれに代わるもの
―練習量などの確固たる土台―
もまた自信になる。
こう書くと格言みたいですね^o^わたしの確固たる土台は水泳研究だったのかなと思います。いろいろ試して今一番いいと思う感覚を掴み、その泳ぎをキープするだけで、いつでも同じ泳ぎができるという安心感が自信に繋がった気がします。結果が出るときは一瞬だけど、土台は作るのに時間がかかるから、4年でやっと自分の自信を感じることができたのかな

結論。水泳をやっていたのは
自分へのリベンジのため
でした。方程式で表すと大会嫌い払拭=リベンジでしょうか。中学生のときにはできなくなっていたレース、泳ぐことが楽しかった頃のレースを取り戻すことができたと思います。やっとレースが楽しくなってきたのに引退なのはちょっと切ないです。

 最後になりましたが、一橋水泳部の活動を支えてくださっている多くの先輩方に、心から感謝いたします。本当にありがとうございました。
 そして一緒に練習して、応援して、励ましあって、濃い思い出をたくさんくれた同期・後輩たち。本当にありがとう。
 水泳人生の中で最も多くの人々に支えられ、部活動ならではの水泳が楽しめた3年間でした

やっぱり長くなってしまいまいました、スミマセン
ラストは女将に飾ってもらいましょう^皿^
お次はこさみよろしくね
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2009/9/15  引退  

松田に催促した後、まさか自分だとは思わず
見ていませんでした
松田に書けと連絡もらいました笑
すみません、荒川です。


引退しました。
これまでお世話になった先輩方、部員の皆、
本当にありがとうございました。


3年半の間、いろいろなことがありました。
振り返ってみると、正直辛い思い出が多く浮かんできます
ごめんなさい、何回も辞めようと思いました。
練習どんなに頑張って強くなっても
本番では水泳経験者には絶対勝てない、
マネージャーの様に必要とされることもない、
何の結果も残せない、


など・・・
今思えば他人と比べることしかしていなかった。
自分の中でどれだけ頑張れるかが大事なのにね!


「ここで腐るな、せっかく続けてきたんだから最後までやれ」
あと1年、これから最後の年を迎えようとしているとき
水泳を団体競技としてやることの難しさ、
一橋大学水泳部独特の、泳力様々な部員を
まとめることの難しさに直面しているときにおっしゃっていただきました。


また初の関カレ個人出場が決定し、
それをこのブログで報告した後お会いした大先輩方には、
「君の喜ぶ顔が目に浮かぶ様だったよ」
「本当におめでとう」
とおっしゃっていただきました。


夏季公認の前日、当日に応援メールをくださった先輩方、
当日応援してくれた、
おめでとうと言ってくれた部員の皆。


本当にありがとうございました。

なかなか自分だけで頑張り続けることは難しかったです。
色々な方々に叱咤激励していただいたお陰で
ここまでくることができました。


同期の中で一人だけ関カレ出場という目標だったけど、
誰に何を言われようとも気にしない。
達成できて大満足です

私が何を残せたかなんてわからない
自分でいうのもあれだけど、よく頑張った!


「荒川さんに勝ちたい」と言ってくれた
福井のやる気の一部にはたぶんなれたと思います。
大満足です


なんで水泳やっていたか?
好きなんだと思う!
引退後、市民プールまで泳ぎに行ってしまいました
うん、やっぱり好きなんだ
朝練行くかもしれないので、よろしく


ではかすみさん、お願いします。

と思ったのですが日本にいないみたいなので
あみさんに回します
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2009/9/12  引退を迎えた4年生への問い  

こんばんは!

引退から一週間もたっていないですが、朝練が「習慣」だっただけに、その習慣の抜けたこの4日間をとても長く感じています。

4年マネージャーの増田です

今更ですが、このブログを読んで、同期が様々な夢や思いを抱きながら活動していたんだな、と感じました。

引退の際の締めコンパでは、意外な人の涙が見られましたよ
ね!はんピー!松田!
・・・こんな場でこの話は恥ずかしいかな?!(笑)

私は涙もろいので、引退の言葉を言う際は絶対泣くだろう、とずっと昔から思っていました。
でも、実際は泣きませんでした。
何よりも、とってもすがすがしい気持ちでいっぱいでした。

私は先輩が引退してからのこの1年間、
「たくさんの人と出会い、自分を大きく成長させてもらった、この一橋大学体育会水泳部に良いものを残したい」
という気持ちで、引退を意識しながら活動してきました。
「こういうブログの場だからこんなことを書いている」とかではなく、本気でこう思っていました。

私はマネージャーなので、「この大会でこのタイムを出したい!」などの目標ではありませんでした。

抽象的にはなってしまいますが、部活に何か大切なものを残せる働きがしたかったです。
そのため、マネージャーを集めて話し合って新しい制度を始めたりしましたし、練習中気になったことはすぐに本人に伝えるようにしました。
また、基本的なことですが、遅刻もしませんでしたし、練習には真面目に取り組んでいたつもりです。
最後の大会となるインカレでは、後輩がビデオの映像を参考にフォーム研究できるよう、決勝のレースを撮影しました。
・・・・・・・・

私が部活に在籍した間にはマネージャーの先輩はおらず、全てが試行錯誤でした。
悩むことや、つらくてふさぎこんでしまったことは数知れずです。
自分に見本となるマネージャーの先輩がいなかった分、私自身がマネージャーの後輩の見本となるんだ!と気負ってがんばってきました。
後輩の目に、私はどう映っていたのでしょう?
私には何が残せたのでしょう?

今思えば、私がやってきたことは、自己満足に過ぎなかったかもしれませんね。
でも、それでもいいです!!
私は悔いなく引退できるのですから。

・・・といいつつ、一つも何も残せてないと寂しいです

でも、何より大事なポイントが1つ!!
私が自負できるくらい頑張れたのは、支えてくれる先輩方や部員という仲間がいたからですよね。
また、ここまでやりたいという気持ちにさせてくれたのも、そうですよね。

そう考えると、やっぱり一橋大学水泳部は素晴らしい部活だ。これが結論です。
私の話は小さいしどうでもいいです。↑これが一番大事です。


あぁ。。。意味のわかりにくい内容にしてしまって、誠に申し訳ございません


今後は、後輩のつくる一橋大学水泳部をガッツリ見守っていきます。


私が「なぜ水泳(マネージャー)をしていましたか?」
の質問に答えるならば、

「私にとっては、ここが最も必要としてもらえる場所だったから」でしょう。

他のどのスポーツよりも、水泳を愛していました。
他の大学のではなく、一橋・津田塾の水泳部を愛しました。

最後になりましたが、
一橋大学の学生ではないながらも受け入れてくださった上、温かく応援してくださった全ての先輩方に心から感謝いたします。
ありがとうございました!!

同期も後輩の皆さんも、本当にありがとう!!



私が1年生の時に「増田、何があっても絶対やめんなよ!」と何度もおっしゃった当時の4年生の先輩方。
途中折れかけて周りに迷惑かけてしまいましたが・・・
私、やりきりましたよ!!
「4年間続けなきゃわからないことがある」は本当でしたね

ついつい、長くなってしまってごめんなさい。
次は、松田にブログを催促した程よくこのブログを読んでいると思われる、あらちゃんに回します。
引退した今のお気持ちは?
どうぞお話ください
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2009/9/12  お疲れ様でした  


こんばんは、強力ストッパーの松田です。IDとパスワードがわからなかったのと、半田氏からメールが来ていたのをすっかり忘れていました最近寝ながらもメールに反応してチェックする癖がついてしまったようで…ここまで来ると現代病ですね。遅れてすみません。早い段階で催促してくれた荒川に感謝です。


さて、僕のちゃらんぽらんな大学生活ももうすぐおしまいです。なんだかんだ、部活が結構な割合を占めてたのかなぁと思います。

4年間を振り返ってみて、反省すべき点しか見当たりません。特に後輩には残念な思いをさせてばかりでしたよね。本当に自分は弱い人間だなと思うことばかりでした。同じ同期で、競泳と水球でここまで環境が違うものかなと思って、環境のせいにしてみたり、逃げてばかりでした。それと同時にものすごいわがままでもありました。すごいすごいといわれる場にいたかったんですよね(笑)その辺がスポーツ競技者としての資質に欠けていた点かもしれません。今思えば卑屈になってしまった段階で、僕の競技者生活は止まってしまったのかもしれません。まだまだ青く、自分の時に環境がなかったなら後輩のために…と考えて実行することもできませんでした。

学生の間にまったくの役立たずだった僕ができることがあるとすれば、今からでも後輩のために何かしてあげることを始めることだと思います。冬場も練習に極力参加しようと思いますし、社会人になってもし全一橋が復活するようであれば協力させていただきたいと思います。


最後になりますが、僕が4年間水球を続けてこれたのは、やっぱり水球が好きだったから、こんな僕でも応援し続けてくれたOBの皆さん、マネージャーのMAXと礒部の存在があったから、「松田さんじゃないと勝負にならないからダメなんです」とお世辞でも言ってくれる帯刀・吉岡がいたから、自らの何かを犠牲にしてまで(苦笑)がんばってくれた半田・大須賀がいたから、プール際以外でも滑り続けてくれるコバがいたから、みんなのおかげだと思います。

あと、最後の年になってやっと、同期全員で水球ができたことにも感謝したいと思います。正直、嬉しかったです。ありがとうございました。

と、いうことで、あまり長々書くこともないのでこの辺で、できるマネージャーの増田に回したいと思います。僕が崩しただろう流れをうまいこと戻しつつ、この4年間の思いを書き綴ってください。
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