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2010/9/28  「引退」なんておこがましい  

長らく止めてしまい申し訳ありません。
元男子マネージャー、4年の森泰樹です。

部員のみなさん、成績開示されましたね(笑)
僕は同期の小林くんの成績に爆笑しました。
詳しくはコバに聞いてね

ま、そんなことはどーでもいいんですが、
何が言いたいかと申しますと来シーズンがすぐそこまで
来ているということです。夏も終わって秋雨みたいですし。

オフって意外と短く感じます。オフ明けなんて大体今までと
同じような感覚で臨んでしまいます。
でも全く違うんです。
やっぱり4年が抜けると雰囲気が変わります。
(少なくとも僕は毎年そう感じてました。)
「学年が上がる度に見えてくるものがある。」
諸先輩方が仰った言葉です。直ぐじゃなくてもいい。
少しずつ実感しながらシーズンを過ごしていって欲しいと思います。

さてさて「引退の辞」部ログということで、テーマは・・・
あれ、「あなたはなぜ水泳をやっていましたか」派と
「あなたはなぜ水泳をやってきましたか」派がいる
これって意味結構違うよね?(笑)とさりげなくツッコミつつ、
因みに起源の神野さんは「あなたはなぜ水泳をやっていますか?」で書いてます。
僕は変化球が好きなので


「なぜ大学生活で水泳部に関わっていましたか?」



「自分の人生と向き合うため。
頑張っている人が好きだったから。」

締めコンパでは衝撃の告白をしましたが(笑)、
僕は結局水泳部を辞めはしませんでした。



入部した動機は「ま、リハビリでもすっぺ。」ぐらいの軽い気持ちで、練習を見に行ったのも平日の人が少ない時でした。

がしかし、リハビリを志して今は無き如水スポーツで泳ぐも全く泳げず、あまりのショックに心は完全に折れてしまいました。自立歩行できるようになるまでのリハビリ生活が順調だったせいもあり、自分の状況をなめていました自分が大好きだった水泳を取り上げられている中、泳ぐ部員を見せつけられるのは中々酷なもんでした自分で思ってるよりもメンタルに来てました、弱かったです当時。

更に追い打ちを掛けたのは僕がスクール時代に憧れていた部活動としての水泳がまさにそこにあったからです。
団体スポーツとしての競泳にスイマーとして参加できない事実はとても辛く、マネージャーも同期に沢山入り存在意義を見出せない時期が続きました。
そして2年の5月ぐらいに辞めようとしました。



簡単には辞めさせてくれないのが水泳部の良いところです。
諸先輩方、同期にいろいろきついこと言われましたが僕を認めて必要としてくれる仲間がいるという事実に気付かされました。そしてその仲間が必死に活動している。何とかその努力を形にしたい。そう思えるようになりました。
これが水泳部に関わってきた理由だと思います。



そして幹部になり、責任と同期の個々の役割が増す中で水泳部の違った側面が見えてきたことが、先輩に最高の引退を飾って欲しいと思う原動力になりました。



チーム制度を作ったり、東大戦の後、吉祥寺で朝まで泣いたりと今思い返しても僕はブーブー言いつつ水泳部が好きでした。



最高学年になった昨年からは後遺症が盛んに発症して毎日練習に参加できるわけではありませんでしたが、それでも温かく迎えてくれる同期を持てたことは本当に幸せだと思います。




最後に自分の人生に向き合うということですが、入部当初25mも満足に泳げなかった自分が先日の記録会では200m個人メドレーを泳ぐことができました。
タイムは現役時の2倍ぐらいかかりましたが(笑)



「泳ぐのは好きだけど競泳は嫌いだ」と言って高校1年の時にスクールを辞めてしまいましたが、やっぱり泳ぐのは最高です。
水泳部に関わっていなければ、まさか2コメなんて泳げるようになってはいないと思います。



水泳歴は2歳からですが、途中で首を折るというイベントに遭遇してしまい今日まで来ました。水泳部に入部していなければ、自分の怪我に向き合うことも少なかっただろうし、それを乗り越えて再び一生懸命泳ぐきっかけを掴むことも無かっただろうと思います。




引き止めて下さった先輩方、
いつも励まして下さるOBの皆さま。
無事に怪我無く引退することができました。
本当にありがとうございました。






今辞めたがってる昔の自分に出会ったらきっとこう言います。
「結果は全て自分次第。水泳部が問題なんじゃなくてお前が問題だ。途中で投げ出すやつは何を選んでも投げ出す。努力に応じた結果が待っている。水泳部は最高の答えをくれるよ。」



3年半ありがとうございました。






次はMAX!院試頑張れ
終わったら書いてね
13

2010/9/22  最後の部ログ  

ついに回ってきてしまいました。
話が長くて有名な(?)マネージャー4年の礒部遥です。今回も長いです。しかし最後ですので、どうか読んでいただきたいです。


「あなたはなぜ水泳をやっていましたか」
私はマネージャーなので、この問いを少し変えたいと思います。

「あなたはなんのため水泳部のマネージャーをやっていましたか」

1、2年生の私はこう答えます。「自分が認められるためです」
3年生の私はこう答えます。「4年生の最高の引退のためです」
今の私はこう答えます。「愛する同期、愛する後輩、そしてお世話になった先輩方のためです」

この4年間で、私は根本から大きく変わりました。

そもそも私は水泳部になぜ入ったのか。

高校でハンドボールをやっていた頃、私は自分の実力と周囲の評価のギャップに悩まされ続けてきました。背が高くフィジカルも強く、その上左利きだったので、私は入部した時から期待の星でした。そこまで必死に練習しなくてもそこそこシュートは入るし、フェイントもそこそこ切れて、足もそこそこ速い。「1番」にはなれませんでしたが、常に注目される選手ではありました。

しかし私はそこに違和感を感じていました。「私はこんなに中途半端なのに。なんで皆は私の本当の姿を知らないんだろう」

そこで大学では、自分が純粋にどれだけ「力」を発揮できるのかを図ってみたくて、全く未経験のスポーツに携わろうと思いました。そして、点数やタイムなどの「結果」が出た時点で自分の成長は止まることに気づいた高校時代の経験を踏まえて、マネージャーという選択をとりました。

そんな経緯で入部した水泳部だったので当初部活を頑張るモチベーションは「自分のために頑張る」というものでした。どんなに辛くても辞めなかったのは、先輩や同期に「すごいやつ」と認めてもらいたかったからでした。水球マネを始めたのも、自分のハンドボールの知識を活かしてもっと部活に認められたかったからでした。

なんだかんだ、チヤホヤされたかっただけでした。高校時代の甘えん坊な自分のまんまでした。そんな自分は虚栄心の塊でした。自分が認められればいい、本当にチームのために尽くそうとしているマネージャーの仲間、必死に頑張っている選手、そんな人たちを前にどこか白々しく冷めた自分がいました。

そんな私は3年に上がる前、水泳部をやめようと本気で考えたことがありました。しかしそこで踏みとどまったきっかけもまた、自分でした。

「認められたい」唯一のモチベーションだった先輩の存在も、上級生になるにつれ少なくなり、自分が上の立場に立つことが多くなりました。そんな中、「もうこのチームでは頑張れないなぁ」という気持ちになりかけて完全にやる気を失っていたのです。

しかしそこで、自分は高校時代から何も変わっていなかったことに気づいたのです。「結局、全て外部要因のせいにしている。自分が働きかけてこのチームを少しでも変えたことが、果たしてどれだけある??」そう問いかけたとき、私には何もありませんでした。自分を恥じました。そして水泳部を続ける決意をしました。


弱いという事実自体は、弱いという事実の理由ではない。
弱いからこそ変わるべきである。
弱いことの理由とその変化の答えは他人の中ではなく、「自分の中」にある。


こう自分に言い聞かせたとき、初めて「チームを変えたい」というモチベーションが生まれました。そして大好きな4年生の最高の引退をサポートしたいと思うようになりました。これが初めての、自分のためだけでなく本当に他人のために頑張り始めた最初のきっかけです。

そこからは本当に小さいことだらけでしたが色々やりました。まず練習回数を少しずつ増やしました。そして選手と練習中沢山話すようになりました。フォームについても、かなり遅ればせながら少しずつ勉強し始めて練習中に選手と議論したりするようになりました。筋トレにも口出しするようになりました。

その結果、選手が好きになり部活も楽しくなりました。面白いもので、こちらから接触を増やすと選手は泳ぎで返してくれるのだということをようやくこの頃気づきました。この間できなかったことを平然とやっている部員の姿にある日気づくことがこんなに嬉しいことだったなんて!!3年ながら初めて知りました。


そして4年。就職活動が終わりついに練習回数を週7回にしたとき、4年にもなって毎日が気づきの連続になりました。毎日練習に出ることで選手の変化が良く分かるようになる。そうするともっと選手の泳ぎに興味が沸く。こっちから働きかける。選手も泳ぎで返してくれる。マネージャーをやっていて今までは全く感じることが出来なかった「勝利の歯車のひとつに自分がなっている」という感覚を始めて味わいました。

そして何よりも、ひとつひとつの大会の重みが何倍にもなりました。
一個一個のレースにこんなにたくさんのドラマが詰まっているなんて、コンマ一秒にこんなに重みがあるなんて。水球の一点の裏にこんなに苦労があるなんて。知らなかった。4年になるまで気づかなかった自分を恥じました。でもそれは、やっぱり毎日練習に来て毎日選手と沢山話して選手のことを思ってきたからこそ、やっと得られたものなんですね。

**************

2年生ぐらいの私は本当に調子に乗っていました。
「マネージャーだけど卒業するときは水友会の特別表彰で絶対表彰されるぞ!!」なんておこがましくも本気で思っていました。他人に認められたかったからでした。しかし水泳部を続けて、紆余曲折を経て、本当の喜びは自分ひとりだけの中でなく、仲間と関わることの中にあることを学びました。


「周りをもっと見よう」
これは私が何回も言っていた(つもりの)ことです。この真意は、今まで書いてきたことの中にあります。弱さの原因、変わるきっかけは自分の中にありますが、その結果として得られる本当の喜びは他人と関わる中にあります。「水泳の喜びはやっぱりベストタイムを出すことだから喜びは自分の中だけなんじゃないのか」本当にそうでしょうか?ベストが出たとき、仲間にも喜んでもらえた方が100倍嬉しいですよね?自分のレースの時応援の声が聞こえると嬉しいですよね?

自分が他人に興味を持って働きかければ、他人も自分のことに関心を持って働きかけてくれます。そうすれば、結果とか数値うんぬんの世界ではなくもっと大きい視野で、「勝利の歯車に自分が巻き込まれている」感覚が味わえるはずです。水球の人は(まだ勝利をあげていませんが)この感覚が良く分かると思います。しかし競泳の人は、口では言っていても本当の意味でのチームを実感する機会があまりないはずです。私はマネージャーという立場上、全員を平等に観察することに人一倍神経を使ってきましたがスイマーの人にもこのことは是非実践してもらいたいです。

やっぱり長くなってしまいました。最後まで読んでくださり有難う御座いました。
あんなに冷たい考え方の人間だった私をここまで変えてくれた水泳部には本当に感謝しています。入部して本当に良かった。水泳部、大好きです。

最後になりましたが、財政的にはもちろんのこと、暖かい心と実父実母のような優しさで私たちを包み込みサポートしてくださったOBOGの方々、本当に4年間ありがとうございました。この場をお借りして感謝申し上げます。

次は森に回します。
7

2010/9/18  良い部活人生だった・・・  

諸君 私は水泳部が好きだ
諸君 私は水泳部が好きだ
諸君 私は水泳部が大好きだ

水球が好きだ
競泳が好きだ
練習が好きだ
大会が好きだ
合宿が好きだ
応援が好きだ
先輩が好きだ
後輩が好きだ
同期が好きだ

小平で  メガロスで
首都大で 東工大で
東大で  日体大で
辰巳で  平塚で
町田で  相模原で

この地上で行われる ありとあらゆる部活動が大好きだ








「あなたはなぜ水泳をやってきましたか?」

この問いは自分にはあまり意味をなさないように思います。
泳ぐことは好きでした。というか、水泳ぐらいしか運動ができません。
たぶん水泳部に入らなくてもどこかで勝手に泳いでいたと思います。
むしろ、この問いの本質を考えるのであれば、この問いは自分には

「あなたはなぜ水泳部を続けてきましたか?」

という問いに還元されるのだと思います。
なぜ水泳部で水泳を続けたのか?
なぜ競技としての水泳を続けたのか?
なぜチームスポーツとしての水泳を続けたのか?
なぜけがをして戦力外になったにも関わらず水泳部に居続け、泳ぎ続けたのか?
答えはただ一つ。「水泳部が好きだったから」です。

入部した理由はまた泳げるからです。
レベルも弱すぎず、強すぎず。自分が中心グループに4年には何とかいれそうな気がして条件的にもちょうどいい。と馬鹿な当時の自分は考えていました。
もちろん頑張ろうという決意はありました。
しかし、これは「なぜ水泳をありましたか?」という問いへの答えであり、「なぜ水泳部にいるのか?」という問いの答えではありません。

「なぜ水泳部にいるのか?」という問いへの答えが誕生したのは1年のシーズンの終わりです。
同期とも何とか打ち解けて先輩たちの存在の大きさに気付いたころです。
そのころには水泳部が心地よく感じていました。自分の居場所になっていました。
それを理解して初めて「ああ、ここ(水泳部)が好きだからここにいるんだ。」と思うようになりました。
2年になって、自分の新勧した1年生が水泳部の後輩になり、自分なりにその設立に奮闘した水球チームができると、自分がその部活を作っている気がしてもっと好きになりました。2年のころは水泳部しか考えていませんでした。

「なぜ水泳部にいるのですか?」
この問いをもう一度深く考えさせられたのは3年のはじめ、ひざを壊して、痛くて水球ができなくなった時。ブレストができなくなった時。歩くのがつらくなった時。
せっかく少しづつ上達した水球と、大きくタイムを伸ばした平泳ぎでもう部活に貢献できなくなる。そう思うととてもつらかった。一時鬱を発症しました。
水泳部に行くのもつらくなり、休みがちになり、辞めようかとも考えました。
でも、大好きな水泳部を離れるのは嫌だった。大好きな先輩・後輩・同期と別れるのはあまりにも惜しすぎたんです。
そう思うと何とか続けることができました。

当時の4年が引退し、最高学年になった時もう一度自分に「なぜ水泳部を続けるのか?」と問い直しました。
答えは最初に書いたとおりでした。

「よろしい、ならば練習だ」

そして選手に復活しました。痛くても泳げる限り泳ぎました。後輩に抜かれても泳ぎました。次の日歩けなくても水球の試合に出ました。

なんでこんなにつらくてつまらないことができたのだろうか?
4年の責任感とか自己犠牲とかそういったものではなく、もっと単純な理由だと思います。
好きだからやれたのだと思います。

とりとめがなくなってきたのでこれぐらいにしておきます。
こんな風に偉そうに書きましたが、もっと努力をしている人、けがを自分以上に本気で直そうとしている人、勉強と両立している人はたくさんいます。
そんな人から見れば自分はなんて半端者なのだろうと思います。
実際、ひざが痛くて何度も休みましたし、進路の関係で引退もほかの人よりも1カ月早かったです。そういった意味では本当にやり遂げたのかは微妙な気もします。
本当に自分は半端者です。
でも水泳部が好きだったのは確かです。
後輩には水泳部をもっと好きになってもらいたいです。好きだからこそできることは多いはずです。そして、ほかの部員がもっと好きになれるような部活を目指してください。

では次はいそべに回します。
「あなたはなぜ水泳をやってきましたか?」
自分はあまり答えられませんでしたが(笑)

5

2010/9/16  引退。  

「君が学生時代に力を注いできた事を%で教えて」
「部活98%、後は学業とバイトが1%ずつです。」
と、就活の面接で元気よく答えていた4年の三木です。


私も中村と同様、きっと泣くんだろうなーと思っていた
引退の辞ではどうにか堪えられました。
ただ、家に帰り、拍手をしながら出迎えてくれた両親の
「今までお疲れ様。」という言葉を聞いた瞬間、
ふっと肩の荷が下りたのか、これまで水泳部で起きた
嬉しかった事や辛かった事が一気にフラッシュバックして
思わず玄関で号泣してしまいました・・・。
あれだけ毎日のように泳いで泳いで泳ぎまくって
これまでに味わったことがないぐらいの達成感を感じながら
引退したはずでしたが、大好きな部活に参加することは
今後もう無いんだと思うと、突然生きがいを失ってしまった
ような感じで本当に寂しい。今の私は完全に抜け殻状態です。


―少し昔の話をします。
私が初めて水泳部の練習を見学に行った日のことです。
私自身、水泳なんて全くのド素人。
小学校の体育の授業以来泳いだこと無い。
でも、マネージャー足りないって言ってるし、コンパ楽しかったから、覗いてみようかな。そんなノリでした。
ところが、練習を見て、衝撃を受けました。

こんな世界があるんだ。

普段はくだらないことばかり言っている部員達が
ピンッと張り詰めた空気の中、有り得ないスピードで
有り得ない距離を真剣な顔で泳いでいる。
感動して、足が震えたのを覚えています。

4年間、私はここで頑張る。
マネージャーとして選手の人達を支えるんだ。
こう決意し、その日のうちに入部宣言をしたのは
言うまでもありません。

そうした中、いつも全力で頑張っている彼等を間近かで
見ていて、少しずつ私の気持ちに変化が。
そもそも、私はこれまでの人生において、何か一つの事に
打ち込んだ経験がありませんでした。
それゆえ、目標に向かって懸命に努力をしている選手達が輝いて見えました。私にとって憧れの存在です。
だからこそ、触発されたんでしょうね。気がつくと、サポート役として選手を支えたいという気持ちから、選手の一員として一緒に泳ぎたいという気持ちに変わっていました。
そして、3年のオフ開けから選手へ転向。


ここでやっと本題に入ります。


「あたなはなぜ水泳をやってきましたか。」






「自分の可能性を試したかったから」です。


私が選手に転向したところで、点数に結び付くわけでもない。ひょっとしたら、マネージャーの負担が増えるだけかもしれない。Frの息継ぎも出来ないのに練習メニューをこなせるのか。他の人達の練習の邪魔になるんじゃないか。今更何言ってるの、って思われるかも。

色々な考えが頭を過ぎりました。
長い期間悩んで中々言い出せずにいました。
でも、やっぱり大好きなみんなを虜にした
水泳というスポーツで「自分の可能性を試したい」という
気持ちが強かったです。

練習中にみんながよく口にする「限界に挑む」ってことを
私も経験したかったんです。
がむしゃらに頑張るって、どういうことか
私も知りたかったんです。
「練習で疲れて授業中眠くなっちゃうよー」って
私も言いたかったんです。
これまで大した努力もしてこなかった私が
本気で水泳に取り組んだら、どれくらい成長するのか
気になったんです。


だから、短い間ではあったけれど、最後のシーズンを選手として過ごすことが出来て、本当に幸せでした。辛かった事や悩んだ事も、全部ひっくるめて楽しかったです。
もちろん、自分1人の力で頑張れたわけではありません。
「超」がつくぐらい沢山の人達に支えられて、やり遂げることが出来ました。


―OB・OGの皆様
私が1、2年生の頃は「みきちゃんが4年間続けられるか心配だよ」と色々な方に言われていましたが、三木佳子は完全燃焼して、無事に引退することが出来ました。
他でもない、OB・OGの皆様のお力添えによるものです。
一橋大学体育会水泳部で過ごした日々を無くして、私の学生生活は語れません。他大学の私を温かく迎え入れてくださり、本当にありがとうございました。少し気が早いかもしれませんが、これからはOGの1人として、後輩達の活躍を見守っていきたいと思っています。

―後輩のみんな
今までついてきてくれて本当にありがとう。最高のメンバーでした。引退の日にも言ったけど、私はみんなのことを娘や息子のように思っているので、何があってもみんなの味方です。今のメンバーが誰一人として欠けることなく、4年間続けてくれることを切に願っています。辛い事も多々あると思うけれど、最後に笑うのは自分だと思って、歯を食いしばって頑張って下さい。

―同期のみんな
最後の最後まで自分勝手で他力本願な私で申し訳なかった。みんながいたから、途中で諦めることなく、やり遂げられたと思っています。本当に心強かったです。支えてくれてありがとう。



長々と失礼しました。
次は大須賀にまわします。よろしくね。
11

2010/9/13  四年間  

 こんにちは、四年の小林良輔です。中村が言うように、つい一週間前に引退しました。一週間経ちましたが、僕もよく分かりません。10月から、またシーズンが始まるという思いです。

 ここで、テーマ「あなたはなぜ水泳をやってきましたか」について


 「所属したものを最後までやり通したかったから」です。

 僕は小学校の頃に週一でちょっと水泳をやっていたぐらいで、いやゆる初心者として入部しました。その頃は特に「これ!!」と思って入部した訳でもなく、ただ漠然としていました。その頃は自分と同じレベルの人がいなかったので、競泳の練習は毎日、ただついていくだけでした。(その頃にもっと主体性をもって行動すべきだったのではないかと後悔は残っていますが。)
 そのような日々が続いているなか、自分は「水球がやりたい!!」と思い、こちらも練習していました。当時は今と違って、連合チームだったので練習機会がなかなか定まっていませんでした。そんな時、先輩に「三商でキーパーとして出よう」という機会を与えて貰いました。これが、第一のターニングポイントです。それから、三商戦で良いパフォーマンスを出せるよう、練習してきました。迎えた三商の神戸戦、そう簡単には勝てず、18‐3で負けました。ちなみに、相手のエースの人には某サッカー選手もビックリのノールックシュートをたくさん入れられました(笑)また、OB戦では自分の日頃の成果を先輩方に見て頂きたいと思いましたが、思いとは裏腹な結果でした。でも、入部して早々の初心者が大舞台で必要とされ、結果は悪かったけど活躍出来た事がとても嬉しかったです。それと同時に「次こそは負けない!!」という思いが強くなりました。
 次のシーズンが始まって、一橋大学水泳部が単独で水球の学生リーグに出場するためにキーパーの練習をより本格的に始めました。ところが或る日、原因不明の病気に苛まれて、入院しました。頭の病気で、医者には水球をやるなと言われました。これが第二のターニングポイントです。驚異的な回復力で早期に退院しましたが、そういう理由のため、選手は出来なくなりましたが、その頃の僕自身としては選手でもマネージャーでもない中度半端なポジションにいました。その年、単独で7年ぶりに学生リーグに出場して、大いに盛り上がりましたが、自分の中の変な気持ちは消えませんでした。ただ、ここで辞めたらあとで絶対後悔すると思ったので、辞めようと思ったことはありませんでした。
 一方で、コンタクトが激しくないので、競泳はやっても良いと言われました。そこでまた、一からのスタートで始めました。その頃、初心者で入ってきた後輩が何人か居たので、彼らと一緒に切磋琢磨してきました。しかし、練習を万全の体調で出来るように生活リズムを合わせてきたのに、病気の後遺症で練習がちゃんと出来ない日が多くなったので、選手を一時辞めてこちらもマネージャーをしていました。一緒に、始めた初心者の後輩が速くなっていくのを上で見ながら、焦りというか、なんとも言えない気持ちでした。
 そして一つ上の先輩が引退して、自分が最高学年になりました。調子も良くなったので、競泳は選手としてまた始めました。これが第三のターニングポイントです。最高学年として再々スタートをするからには、何か目標を持たなければならないと思いました。その時に、上の代、その上の代の先輩が最後の記録会で関カレの標準記録を切った200mバタフライに照準を合わせて頑張ろうと思いました。しかし、そう上手くは事は運ばず、部員に迷惑をかける日がいくつかありました。そんな僕にさえ、自分のことで一杯のはずな部員が泳ぎの面倒を見てくれました。彼らの恩を無駄にしたくないため、臨んだ最後の記録会である夏季公認。結果としては、標準には程遠いものでした。
 しかし、ここで「もう駄目だ」と思って最高学年である自分が腐ってしまったら、この夏を頑張る部員のやる気を低下させてしまうのではないかと思い、その日から関カレまでの一ヶ月間は練習という形でみんなの士気を上げるように努めました。そのために、練習は毎日来て、体調を整えてきつい練習にも耐えてきました。それが周りにどう映ったかは知りませんが、明確な目標が見えないなか、自分が組織の中で何ができるかを考えて行動した結果なので、何もやらずになんとなくシーズンが終わるより後悔は残らないと思います。
 水球のマネージャーは三年生になった時に良い意味で、あきらめがついたので、マネージャーとして選手をサポートするのに専念してきました。今年のリーグ戦はリーグ編成もあって、今まで戦ってこなかったような強いチームと対戦することになり、また人数も揃わなかったりして厳しいシーズンでした。また、三商戦の神戸戦。僕が三年前に戦ったこの試合は、全く違う接戦でした。結果としては負けましたが、本当に本当にあと一歩でした。この辛い経験は来シーズンに必ず活かせると思います。

 最初は漠然と入部し、始めた水泳ですが、色々なターニングポイントを経て、ここで諦めたくないという思いと、今どうすれば部活が良い方に向くのかという思いが強くなりました。そして、その思いを抱きながら先週の引退までやってきました。
 だらだらと書いてきましたが、自分の四年間に感じた事を書いてみるとこんな感じです。
 では、次は三木にお願いします。
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