
韓国の童話作家・金素天作「韓国史のなかの100人」の中に対馬に記念碑がある人物が二人も登場しています。崔益鉉(チェ・イッキョン)と朴堤上(パク・チェサン)です。崔益鉉は日韓併合に反対し義兵をおこし逮捕され、対馬で1906年に獄死。通夜が営まれた修善寺に彼の殉国碑が建てられています。
もう一人の朴堤上は4〜5世紀の頃の新羅の将軍です。第19代新羅王となったヌルジは10数年前に倭国の人質となった弟・ミサフンを救出したいと願い、その任務を朴堤上に託します。策略を図り対馬の港まで倭軍とともにたどり着きますが、自分たちを対馬に残して新羅を責めるという倭国の軍人らの計略を聞く。なんとか王弟を無事逃がすことができたが朴堤上は犠牲となり捕まって処刑されます。
日本書紀によると対馬に至り鉏海水門(さびのうみのみなと)で泊まったときにこの事件が起こっています。この場所については諸説があるそうですが有力なのは佐護湊説で、ここには写真のような記念碑があります。
この話は、「日本書紀」と「三国史記」(高麗)に記載がありますが、当然のことながらプロットが両者で異なっています。記念碑には、日本書紀の名前・毛麻利叱智(もまりしち)と三国史記名前・朴堤上が併記されているのも面白い。
対馬に来られる人たちから、対馬にはハングルでの案内が多いですねとよく言われますが、それ以上にすごいことは韓国・朝鮮関連の記念碑がとても沢山あり、いずれも立派なことです。

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