
中島川河畔に石碑らしいものに覆いがかかっていて、何の記念碑化と気になっていました。今日除幕式があり、海援隊のメンバーで長崎で切腹した近藤長次郎の顕彰碑でした。
幕末期で近藤といえば新撰組組長の近藤勇が思い浮かびますが、昨年の龍馬伝の影響もあって海援隊・近藤長次郎も注目をあびています。
写真は除幕式の様子。長次郎の曾孫の方の御挨拶です。

近藤長次郎の顕彰碑の趣旨についてはこちらをご覧ください。
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碑にはレリーフが刻まれ、名称が昶次郎。長次郎にはこのほか上杉宗次郎などいろいろな別名があります。その頃は暗殺の恐れがあったこともあって別名が使われたようです。坂本龍馬も”いろは丸遭難事件”について長崎で紀伊藩と交渉する際は、才谷梅太郎とい名を使っています。

坂本龍馬などを支援した長崎の豪商・小曾根家墓地に長次郎の墓があります。墓碑には「梅花書屋氏墓」とありますが、これは長次郎が切腹した小曽根氏の別邸の名にちなんでいます。そして題字は龍馬の筆と言われています。
1月の雪の日に風頭山を散歩していた時、カップルの観光客から長次郎の墓を聞かれ、大河ドラマの影響は本当に大きいなと感心しました。

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