7世紀は日本の歴史の中で最も面白いと思っている時代です。中国では群雄割拠の時代から隋そして唐王朝が成立し覇権をめざし、朝鮮では長く続いた三国時代が統一に向け大きく動くなか、倭国においても中央集権化、律令体制へ向けてダイナミックに動き出した世紀です。そこでの登場人物も、世紀初めの推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子、その後の中大兄皇子・藤原鎌足・蘇我入鹿・山背大兄王・蘇我倉山田石川麻呂、大海人皇子(天武天皇)・大友皇子・推古天皇と多士済々の人々が登場します。
そしてこの時代は対馬とも密接な関係がある時代です。660年に朝鮮において三国の一つ百済が滅び、中大兄皇子はその救援のため翌年から軍を派遣するが663年に白村江の戦において唐の水軍に敗北し撤退。この結果、国土防衛のため対馬・壱岐・筑紫に防人が設置され、そして築かれた城の一つが対馬の金田城だからです。
シーカヤックツアーで金田城を案内し、その時代背景などについて常日頃説明していることもあって飛鳥はとても身近に感じる時代なのです。昨年、滋賀県から見えたOさんに金田城と中大兄皇子(天智天皇)について説明するなかで大津宮(天智天皇は防衛のため飛鳥から大津に都を移転)の話になって何かしら親近感を覚えたものです。
前日(11月7日)の大和三山と藤原京では観光客とほとんど会うことがありませんでしたが、この日(8日)の明日香巡りは自動車・自転車そして徒歩で回る観光客で賑わっています。奈良県立万葉文化館・飛鳥資料館・犬養万葉記念館などの施設、高松塚古墳・飛鳥寺・橘寺石舞台などの名所があり、また食事処や土産品店・喫茶店などいかにも観光地の雰囲気でいっぱいです。

中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を殺害した伝板蓋宮跡。前面の丘が蘇我蝦夷・入鹿の屋敷があった甘樫丘ですから、宮殿と蘇我氏邸こんなに近い所にあったわけです。

入鹿殺害後、中大兄皇子が軍営として接収した飛鳥寺跡でここから甘樫丘は目と鼻の先。そしてこの石塔は蘇我入鹿の首塚です。

明日香で最も有名な建造物・石舞台。蘇我馬子の墓といわれています。

舞台という名のとおり上につい登って見たくなりますが、登壇禁止の札が置いてあります。

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