(2日目)10月11日 停滞

明け方になり突風は治まるが、北西の風が吹いているし雷鳴が聞こえてくるので停滞することに決め、テントを風裏の砂場に移す。風が吹き海が荒れ始めているが晴れているので散策には問題なく、大野亀までの往復7kmを歩く。(写真)大野亀(標高167m)の山頂から今後の進路方向・外海府南西側を望む。

海沿いにある”賽の河原”。”一つ積んでは親のため〜”。海は荒れてるし雲行きも怪しく、おどろおどろしい雰囲気の所だった。
夜寝るころからのどが痛くなり風邪の気配。その後ひどくはならなかったが、ツーリング中はずっと風邪気味で体調が今一となってしまった。
(3日目〜4日目)10月12日〜13日 停滞
これから2日間天気は悪化の予報なので佐渡観光をする。二ツ亀からバスで両津まで行きレンタカーを借りた。佐渡は中間に広い平野(国仲平野)があり、北西側と南西側にそれぞれ山地が連なっている。北西側の産地は1000m級の山が続いていて、山歩きも面白そうだ。

約900mの峠を越える大佐渡スカイラインから西方向へ、国仲平野・加茂湖・両津湾を望む。

大佐渡スカイラインから南方向へ、真野湾を望む。

佐渡と言えば金山。佐渡金山発見の端緒となった露頭掘跡・道遊の割戸、山の中央がV字に割れた景観が佐渡金山のシンボルになっている。

1601年の金山開山に伴い佐渡奉行所は1603年に設置された。その後火災で何度も焼失していて、平成13年から一般公開されているこの建物は1858年に建てられた奉行所の平面図を元に復元されたものだ。最盛期には佐渡金山・奉行所のある相川地区には5万人の住民がいたいうから(当時佐渡全域で10万人)、江戸100万人、大阪・京都50万人には及ばないものの長崎4万人よりも多くその繁栄ぶりがうかがえる。

佐渡の南西部に位置する小木(おぎ)港は佐渡金山や北前船の寄港地として栄えたが、その近くに千石船建造の集落・宿根木がある。写真の千石船は全長223.75m、最大幅7.24m、積石数512石(約77t積)で、1858年に建造された幸栄丸の設計図を元に復元されている。
2日間で300km走り、海より先に陸路で佐渡島を一周してしまった。

0