
1982年7月23日長崎市周辺を襲った集中豪雨は、1時間雨量127.5mm、3時間雨量313mmと長崎における観測史上最大値を記録、死傷者数299名と未曾有の洪水被害をもたらしました。長崎市の中心部では中島川が氾濫、多数の家屋・店舗が2階近くまで浸水し、また中島川に架かっていた石橋群のほとんどが流出するなど多大な被害を受けました。
翌年「長崎市防災都市構想策定委員会」の答申に基づいて、上流にあるダムの改築による洪水調節と河川改修(河川幅の拡幅)による中島川治水計画が決定しました。この中で河川幅を従来のようにそのまま拡幅する方法を採用すれば眼鏡橋と袋橋を撤去せざるを得ないことから、右岸と左岸に暗渠のバイパスを建設することによる増水時の氾濫対策がとられました。バイパスの上は公園整備がなされ、市民が憩い観光客が集う場所となっています。
バイパスの上流側には堰(右岸:ラバー、左岸コンクリート)を設置。これにより眼鏡橋のある本流の水位が確保され、眼鏡の姿が常に映し出されています。

右岸バイパス:工事期間:1984年〜1988年、 長さ:240m、幅12m
左岸バイパス:工事期間:2003年〜2006年、長さ262m、幅5m
右岸バイパスは幅が12mありますからシーカヤックは中でスピンできますが、ラバー堰があり通り抜けができません。一方、左岸バイパスは中でスピンはできませんが、大潮の満潮時に
は通り抜けができます。

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