
諏訪の杜にある長崎公園に佐多稲子文学碑「樹影」(1985年建立)がある。「樹影」は原爆投下後の浦上地区に入って二次被爆を受けた二人の男女について彼らの友人であった作者が綴った小説で野間文芸賞受賞作品です。文学碑が建立された公園にはその以前から様々な記念碑や銅像が建てられています。
「樹影」碑の除幕式について佐多稲子は「小さい山と椿の花」に次のような逸話を書いています。
「樹影」碑の近くに建っている銅像に気付いた知人の雑誌編集者が「あのおじさん、だあれ」といってその銅像をチェックし、「樹影の碑のそばに、軍人さんなどでは、厭だな、とおもっていたんですよ。それが、あの人活字を作った人・・・・本木昌造という人です」と稲子に知らせる。それを聞いて「活字の創始者が、樹影碑のそばにいてくれるなんて、とっても仕合せな偶然ね。嬉しいわ」と喜ぶ。
碑には「樹影」の小説の出だしの文章が書かれています。
「あの人たちは何も語らなかっただろうか。あの人たちは本当に何も語らなかっただろうか。あの人たちはたしかに饒舌ではなかった。それはあの人たちの人柄に先ずよっていた」

「樹影」碑のすぐ隣に「グラント将軍植樹記念碑」があります。グラント将軍は南北戦争における北軍総司令官で子供のころの私でさえその名を知っていたアメリカの英雄です。1879年に国賓として来日し最初の寄港地・長崎で、記念の植樹をしています。すぐそばに軍人さんの記念碑が建立されていたわけです。もっともグラント将軍はその後アメリカ合衆国の大統領に就任し、大統領をやめた後に世界周遊の旅に出かけ長崎に立ち寄ったわけです。
であれば「グラント大統領植樹記念碑」とすべきではないかと思うのですが、本人がGen.(将軍)と記述しているのです。大統領としてははなはだ評判が悪かったことを認識し、輝かしかった将軍を方を好んだのでしょうか。
写真の右後方にある銅像が本木昌造の像です。

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