潜り漁師の中で高校を卒業している人は
ほとんどいない。この漁をはじめて間も
ない頃、4〜5人で一隻の船に乗り込んでいた。
仲間を紹介されるときに「この人は頭が良くて、
エリートだよ」と紹介された人がいた。
てっきりどこかの大学を出て地元へ帰ってきた
ドロップアウト(落ちこぼれ)かな、と思ったが、
唯一高校を卒業した人だった。他の連中は中学校も
行っていない人ばかり。そういう時代だった
のだろう。
話が学校のことになると話題はもっぱら給食の話
ばかり。「学校は給食を食べに行くところや
あらへんで」と私が冗談で言うと、全員がマジ顔で
「給食を食べに行くところさぁ〜、だって給食を
食べたら、ほとんどの人が帰って畑を手伝ったり、
遊んだりしていたのによ」と言う。
沖縄では復帰前、本土より早く給食制度が始まった
そうだ。学校へ来ない子供達を学校へ呼び込む手段で
あったのか、米軍統治の時代だったので、詳しくは
わからない。当時の給食はコッペパンとミルクだけ
だったそうだ。時代は流れて・・・
子供が給食のメニューを見せてくれたことがある。
「タマナーチャンプル、パパイヤの炒め物」
「フーチバージューシー」など、ところ変われば、
給食のメニューもお国柄が出るものだ。本土から
転勤などで引っ越してきたお母さんが、沖縄の
給食のメニューを見れば、「何、これ?」と思うに
違いない。
今、全国で給食費の未納が問題となっているそうな・・・
沖縄は6.3パーセントで全国ワースト1 産業に乏しく
仕事の少ない沖縄では、払いたくとも払えない人が
いるんだろうなぁ〜
