JTAの機内誌、コーラルウェイをいつも持って
きてもらっている。今月は泡盛の
「過去、現在、未来」と題うった特集記事が
組まれている。沖縄と泡盛、人間と酒、昔から
数多くの問題を抱かえていたようだ。
1609年の島津藩による琉球侵攻の後、薩摩藩の
支配下で琉球の人々の心はすさみがちとなり、
飲酒による風紀の乱れが起こる。
18世紀に入り、度重なる台風の襲来などで農村が
荒廃し穀物が慢性的に不足すると、その元凶は
酒の製造および消費にあるとして、非難の
矛先は泡盛に向けられる。
王府は泡盛の製造を禁じる処置を講じたが、
これに反対の意見を唱えた人がいた。
時の王府の宰相の一人、蔡温と言う人物。
「酒の製造を禁止すると穀物の消費需要が
低下し、結果として穀物の生産意欲を圧迫し、
穀物の社会的供給力を低下させる」
というもの。彼は酒を愛飲しない人だったそうだ。
だが彼は、飲みすぎを戒める文書を残している。
「酒に支配されるのは、もってのほか。
健康に悪いし身代もつぶす。子孫にまで厄害を
及ぼす。お前一人の問題ではない」と書き記している
そうな。1920年アメリカで禁酒法が成立されたが、
税収の落ち込みにより13年後の1933年禁酒法は
廃絶された。この間、治安は乱れギャングの
最盛期となる。琉球の蔡温と言う人物は、
世の中の先を見ていたのがよくわかる。
琉球には、このような名も知られない人物がたくさんいる。
