ガイドブックにのっていない宮古島を紹介。笑いと涙ありのキジムナーワールドです。毎日更新しています。
2008/11/30
暑いのか?寒いのか?よくわからない。
一昨日までは半ズボンをはいていた。
沖縄の衣替えは10月で警察官の制服も学生の
制服も冬服になる。10月の沖縄は、まだまだ
残暑が厳しい。制服を着るような仕事でなくて
よかった。
海から帰ってきてシャワーを浴びれば、明日の
服に着替える。雨が続かないかぎり、2枚の
半ズボン(トランクス)と2枚のTシャツを
かわるがわる着替えるだけ。
先日の寒波もあって、通販で取り寄せた
ジャージ(長ズボン)とトレーナーが届いていた。
カラカラ先生が通販で買ったものだが、
赤と黒1枚づつ色で分けておかないと履き
間違えるからだろう。次の夏が来るまでは、
この服にお世話になるわけだ。
私は自分で服を買ったことがない。
Tシャツはお世話になっている方から
毎年届けられるし、冬服はGパンかジャージ、
トレーナー、パーカー、おそらく小さな紙袋に
持っている服はすべて収まるだろう。
とりあえず、明日から、この長ズボンを夏に
なるまで履くことになる。
夏が近づけば、又、トランクスが数枚届くだろう。
ついに、衣替えだ。

2008/11/29
ヘルメットをかぶって、ペアで自転車に乗って
いる外人をよくみかける。我が家にも
「あなた、神様を信じますか?」と何度か
来たことがある。暇なときは話相手にもなった
けれど、いつごろからか忙しくなり
我が家をあきらめたようだ。
戦後の一時期、沖縄ではキリスト教を国教に
しようと言う運動があったそうだ。
沖縄は土着信仰(先祖崇拝)が誰の心の奥にも
あり、島民には浸透しなかった。よその国は
知らないが、これほど布教活動がやりにく
かった国はなかったのではないだろうか?
ザビエルは八重山、宮古島にも訪れた。
イゴシタシク(1549年)
その20年後にルイス・フロイス(織田信長)
その後も数え切れないほどの宣教師が訪れた。
宮古島にも教会はある。おそらく敬虔な信者で
さえ、オバァの言葉を優先するだろう。
私は無宗教・・・・?自然教かな?
我が家にも、色々と布教活動に見えられるが、
子供を連れてくる人は苦手だなぁ〜

始まりました!!
2008/11/28
オバァは口癖のように
「今の人は幸福(しあわせ)さぁ」と言う。
オバァ達が数人集まれば、まるで私が悪者の
ように「お前たちは幸せさぁ」と話のネタに
される。オバァどうしで方言で話していても、
幸せと言う単語だけ標準語になる。
どうやら「幸せ」という方言がないようだ。
たいがいの方言は聞くけれど、「幸せ」と言う
方言が思い当たらない。
苦労を重ねてきた時代を生き抜いてきたから、
若い人をみるとついつい「今の人は幸福さぁ」
と言うのだろう。同じ船に乗っていた伊良部島に
住む船員がある日、「俺が今まで幸せだなぁと
思った日を知っているか」と聞いてきた
ことがある。
(そんなもん知るか!酒を飲んでいるときやろ)
と思ったが「エッ!わからない」と答えた。
ちょうど船に水を積みこんでいるときの話。
「家によ、水道がついたときだよ。
まるで何かから解放されたような気がして
夢を見ているようだった。」
伊良部島には「サバウツガー(井戸)」がある。
100段以上の階段を下りて水をくむのは
女性や子供の仕事であったそうだ。
昔々の話と思われる人もいるだろうが、
伊良部島に簡易水道が敷かれたのは
1966年(昭和41年)のこと。
「お前なんかは、水汲みをしたことがないだろ
幸せだなぁ〜」と言っていたっけ。
まぁ、確かに私は幸せ者だ。
苦労とは無縁の生活を与えてもらっている。

今日は宮古島でも大活躍。寒かった。
2008/11/27
この仕事をしていると、毎日、色々な人との
出会いがある。およそ普通の生活をしていると、
話すこともできないような人と出会い
色々な話が聞ける。同じ目線で話していただ
けるのも、この宮古島にいるからだろう。
フランスからの留学生を連れて遊びに
来られた方がいた。日本語はペラペラどころか、
冗談ではなく、タッツンやサワちゃんより
日本語が出来る。(本当の話)
言葉の壁がないので、失礼なことと思いつつも
酒を飲んで好き勝手な話を聞かせてもらった。
2003年ヨーロッパを襲った猛暑で、たくさんの
犠牲者が出た。特にひどかったのが南仏で、
ヴァカンス中と言うこともあり、犠牲者1万人と
言う数字も出ている。そのほとんどがお年寄りだ。
ある本で読んだ仏の写真界の巨匠
ロベール・ドアーノは、「ヴァカンスと言ったら
真っ先に田舎の祖母に会いに行くこと」と
書いている。私は彼に「宮古島だったら、
絶対のそんなことがおこらない。近所の話した
こともないお年寄りでも、しばらく姿が見え
なければ家を訪ねて行くだろう」
仏の気候も知らずに失礼なことを言ってしまった。
フランス人は、子供の頃からピクニック(遠足)
や学校の弁当にワインを持って行くものだと
思っていた。それは大きな間違いで、大人に
なってアルコールが解禁される。そんな、こんな
話も出会いがあって初めて理解が出来るものだ。
このようにたくさんの人と話が出来れば、
世の中の争いや偏見と言ったものが
減って、人と人とが手をつなぎあえるのに・・・・
次はいつ会えるかな?
そして明日はどんな方が見えられるだろう。

2008/11/26
宮古島市の人口の約10%が、島外からの
移住者だと言われている。本土ほどでは
ないけれど、子供の数も昔に比べて少子化が
進んでいる。昔は7~8人兄弟なんて、ごく
普通だったのだから。こんな南の島にある、
平良の小学校が生徒数全国一であった時代も
あった。宮古島には高校までしかないので、
進学、就職するために一度は島を離れる。
その為に人口は、減少していくわけだ。
島外からの移住者を、こころよく受け入れら
れない人も、まったくいないわけでは
ないが、ほとんどの地元の人は親切に接して
くれる。ある経済学者が、日本の経済を立て直す
一つの手段として、海外からの移民を
50万人〜70万人程受け入れれば良いと言う。
宮古市内の人口の約10%が移住者。
これは住所をこちらに移している人であって
現実にはもっとたくさんいるだろう。
住所を移しているということは、市民税など
支払うべきものは支払っている。
移住者はこれからも、増えていくだろう。
私、個人的に言わせてもらえば、なくては
ならない存在になっていると思う。
もちろん、良い面、悪い面もあるだろう。
道路にイスを並べて、通り過ぎる車の数を
カウントしている調査会社を最近、よく見かけるが、
この南の島を日本の縮小と考えて、もっと必要な
調査や統計をとれば、これからの役にたちそうな
気もするんだけどなぁ

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