大型スーパーで島の人が買い物をするようになり、
公設市場は取り壊された。更地になった市場の跡を見て、
こんなに小さかったのか・・・・と、島の誰もが
感じたのではないだろうか?
島の台所、島の一日は公設市場からはじまるとまで
いわれた時代もあった。朝・昼・夕と混み合う市場を知っている
人も少なくなったかもしれない。
市場の地下(一階)は、おもに野菜を売っていた。
二階は、衣料品と魚(刺身屋)と肉屋(ワーシャーヤー)
正月前やお盆前にはせまい通路を縫うように歩かなければ
ならなかった。
市場の前には、個人の露店が色とりどりのパラソルを立てて、
野菜や季節の色々なものを売っていた。確か一日40円ほど出せば、
誰でも出店できるフリーマーケットといえば、聞こえはいいが、
そこは暗黙の了解があって、それぞれ誰の場所と
それこそ数センチ単位で決まっていたような気がする。
当然、物を売るのは、売ること一筋に生き抜いてきたオバァ達で、
一つの露店から物を買うと、それを見ていた隣のオバァも
だまってはいない。観光に来られた人が、当時本土では
珍しかったゴーヤを買いに行った。
2本のゴーヤーを買ったら、おまけで、もう2本サービスして
くれたそうだ。すると隣で豆腐を売っていたオバァが
「ゴーヤには、豆腐を入れなさい」と豆腐を売りつけ、それを
見ていた他のオバァが「モヤシも入れないとダメさぁ」と
モヤシを売り。
その連鎖は暴走して、食後のフルーツのマンゴーまで両手に
持てないほど買ってきたことがある。けっして高く売りつける
ような事はしない。まわりのオバァ同士は仲間であり、
敵なのだ。今では懐かしい思い出の中だけに市場がある。
