祖父から戦争の話は、あまり聞いたことがない。
子供の頃、おやつにフルーツの缶詰をよく食べた。
ミカン・モモ・パイナップル・・・
パイナップルの缶詰を食べているときに、必ずといって
いいほど出る話があった。
祖父が兵隊から引き上げて家に戻ってきたとき、
リュックサックの中にパイナップルの缶詰がいっぱい
入っていたそうだ。祖父が生きて戻ってきたことよりも、
祖母や家族はそのパイナップルの缶詰の方が喜びが大きかった
ようなことを毎回、パイナップルの缶詰を食べるときに
話していた。
パイナップルの缶詰はほとんど外国製だと思っていたが、
最初にパイナップルの缶詰工場ができたのは、石垣島。
沖縄のおみやげによく売られているパイナップルが沖縄に
伝わったのが、1865年石垣島沖に沈んだオランダ船から
流れ着いたのが始まり。
それから時を経て、1930年(昭和5年)に台湾から苗が
持ち込まれ、1935年、台湾からパイナップル栽培農家が
移住してきて本格的にパインの生産が始まった。
1938年には石垣島にパイナップルの生産工場が出来て、
県外への出荷が始まる。戦争で壊滅的な打撃を受けたものの、
戦後、石垣島では1946年から、そして沖縄本島では
1952年から本格的に生産がはじまり1962年には
サトウキビとならぶ沖縄での二大基幹作物として急成長を
とげる。
海洋博の頃、沖縄本島・石垣島では、チョットした
パイナップルバブルが起きて、儲けた人、全財産を失った人、
色々なエピソードある。
先日、石垣からパイナップルが届いた。
パイナップルの値段は300円〜500円くらい。
