宮古島から東へ45マイル(約90キロ)沖縄本島との
間に宮古島の約2倍程度の大きな曽根(浅瀬)が
南北に横たわっている。
水深は浅いところで28m、深いところで350m。
氷河期以前は大陸とつながっていたとも
いわれている海域がある。
池間島のカツオ船宝山丸がカツオ釣りに行って
発見したことから宝山曽根と命名され
海図にも載っている。
宝山曽根は昔から、高級魚のマチ類、タイ類、
ハタ類等お漁場として池間漁協や宮古島漁協所属の
一本釣り漁船が盛んに利用している漁場である。
その宝山曽根に今から約10年ほど前から
異変が起こった。一本釣り漁船が操業している場所に
中国船籍の大型(100トン規模)のサンゴ漁船
約50隻が集団でサンゴ採集を目的に押し寄せてきた。
池間島出身で、農林水産庁で働いていた
森田さんという人が昭和30年退官後、
琉球政府からサンゴ漁業の許可を受けて、
深海サンゴ(宝石サンゴ)の漁場開拓に乗り出した。
19トンの漁船で11名の乗組員で、与那国近海、
八重山近海、宮古島近海をくまなく
調査したが、4年間成果をあげることはできず、
資金も底をつき、銀行からも見放され、
奥さんから「もうやめて」と懇願されたとき、
昭和34年9月10日ついに宝山曽根で世界に誇る
サンゴの漁場が発見された。
その後すぐ宮古島で一大サンゴブームがまきおこる。
その年のサンゴ採集許可を受けた漁船は
70隻以上にのぼったそうだ。
しかし乱獲によってサンゴは枯渇してしまう。
その場所に中国船籍のサンゴ船が集まってきているそうだ。
