「さよならは言わないよ」 「俺もだ」





  こちらは HN:やや矢野屋 による
  アニメの感想と二次創作小説・イラスト掲載のブログです
  「宇宙戦艦ヤマト」がメイン 他に「マイマイ新子と千年の魔法」など

2012/4/17

「宇宙戦艦ヤマト2l99」の感想めいたもの  ヤマト2l99

そろそろ公開終了も近づいてきたようですので、個人的な感想なんぞ書かせていただきましょうか。
まずはTwitterに書き込みました幾つかの発言を再録しておきます。




yayayanoyaやや矢野屋 12:48
ヤマト2l99の感想を簡潔に述べるよ!上手に塞いだつもりでも別のところにボコボコ穴が空いて最終的に床が抜けたよ!ってことはやっぱりこれもまた「紛う事なきヤマト」なのかな?タグは外しておくよ!

yayayanoyaやや矢野屋 12:53
絵とか色調とかメカとか声とか音楽とか凄く頑張ってるのに、勿体ない……あとやっぱり復活篇に似てる。(違う部分も勿論あるけど)鑑賞しながら復活篇の古代とか大村さんが何度も頭をよぎった。ジーベックだからだろうなー。

yayayanoyaやや矢野屋 13:00
ホント、良いとこはいっぱいあるのですよ、ヤマト2l99。もう少し丁寧かつ慎重に感情の流れやタイミングを組み上げるだけで、見る人のココロを動かせるのに。脚本と演出を何とかしたら、今からでも軌道修正できるのではないでしょうか。

yayayanoyaやや矢野屋 13:04
ヤマト2l99。なんかすごく臆病な作品になっちゃってるなあと思いました。他者とぶつかり合わないし、本気で他者を信じていない。あの重要なシーンを削ってしまったのは、つまりそういうことなんだろうな。ネタバレ回避のため重要なシーンについてはブログで ノシ

それではマイクを戻しますーー。
ブログのやや矢野屋さんーーー?




はいっブログのやや矢野屋です!
えーネタバレ該当箇所ですが、ズバリ申し上げると「ヤマト乗組員の行進シーン」なんですねー。

旧作では、ヤマト乗組員達は整列して沖田艦長の訓辞を聞いた後、地下都市の大通りをパレードしてエアカー乗車場所に向かい、乗り組みを希望しないものはパレードの間に抜けなければならないという、ある意味度胸を試される儀式を経てヤマトに向かうのですが、2l99は「乗り組み希望者は現地集合ね」という親切仕様。
当然、旧作にあった一般人からの野次や祈りの言葉は全てオミットされております。
一方で、旧作では10話のサヨナラ通信や19話の相原脱走話の背景として描かれた「地下都市での暴動」が、第一章の時点で電光掲示板等のニュースとして取り上げられています。
要するに、2l99の地球社会には旧作よりも更に深刻な人心の荒廃がありながら、ヤマト乗組員は彼ら一般人からの言葉を直接浴びることなく旅立っていくのです。

誤解無きように願いたいのですが、私は「旧作からの変更は一切まかりならん」と言いたいわけではありません。
ただ、変更によって見えてくるリメイク制作者の意図には、首を傾げざるを得ないのです。

第一作ヤマトの出発パレードでは、「お前らだけ逃げ出すんじゃないだろうな!」という野次馬に対し、傍に居た別の一般人が「危険な旅に出ようってのに、何てこと言うんだ!励ましてやったらどうなんだい!」って言いますよね。
2l99のスタッフは、ああいう人の存在を信じられないんじゃないかと、そう思ってしまったんです。

市井の賢者、庶民の良心。
昔、小津安二郎監督の「東京暮色」を観た時に、本筋とはまるで関係の無い中華そば屋の主人の台詞に心を揺さぶられて涙したことがあったのですが、旧作のこの場面にはそれと共通した重さが感じられます。
本筋には絡まない、名前すら無い人物にも、人生に学んだ知恵と己を律する倫理観があり、カメラフレームの奥や外側から主要人物を見つめているのです。
主要人物達は、それら「物語の社会」とも呼ぶべき集団と共に彼らの人生を生きている。
最終話で沖田艦長が「古代、お前、独りぼっちだと思っているのか」と問いながら語りかけた「地球で待つ人々との連帯感」は、まさにこのパレードで名も無き庶民が発した言葉によって保障されているのです。

2l99でこの言葉が削られてしまったのは、そうした「庶民の良心」に信を置いていないからではないか。
そして、その暴徒とヤマト乗組員や国連上層部は正面から向き合おうとしない。
「端末の向こうに無知蒙昧で無理解な人々が居る」という「情報」だけを提示する。
そこには、「無理解な人間から理解を得ることなど端から諦めている」昨今の思潮が反映されているのかもしれない。
その意味では、ヤマト2l99は極めて「現代的」な作品となるのかもしれません。

一方で、ヤマトの旅に理解を示し送り出すのは、各国各エリアの首脳達です。
いかにも知性があり洗練された風体のエスタブリッシュメントが、なけなしの電力を送ってくる。
そこに、市井の切実な愛情や、庶民が自らの生活を犠牲にして望みを託したことは語られていないのです。
少なくとも、映像という形では。
「出発パレードをカットする」というのは、つまり、そういう結果を作品にもたらしているわけです。

貴重な電力を奪われ、一方的に生活を圧迫されたヤマト2l99の庶民達を、制作者はどのように思い描いているのでしょう。
ひょっとして、彼らはヤマトの旅立ちを呪いの言葉で見送ってはいないでしょうか。
彼ら地球人の呪詛がヤマトに向かい、やがては地球人自身に向かうとしたら……
旧作終盤の「反乱」エピソードは、今回は別の趣旨で作中に組み込まれることが人物設定からも窺えますが、旧作の沖田艦長が得た「待つ人々との一体感」を切り刻む結果になりはしないかと危惧しております。

おそらくは無邪気な「リアル志向」の産物であり、そうした意図は無いものと思いたいのですが、地球人をエリートと庶民とに分断する2l99の作劇に、私は不安を抱かずにはおれません。

なんか長くなってしまいましたので、他の感想については項を改めます。
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