「さよならは言わないよ」 「俺もだ」





  こちらは HN:やや矢野屋 による
  アニメの感想と二次創作小説・イラスト掲載のブログです
  「宇宙戦艦ヤマト」がメイン 他に「マイマイ新子と千年の魔法」など

2012/9/16

拍手コメントへのレス  拍手コメントへのお返事

2012/7/28 10:21に拍手コメントを下さった紗月さん

ありがとうございます。
阿久悠さんは「西崎プロデューサーが目に涙を浮かべて力説した姿に動かされ、熱に浮かされたように詞を書いた」とおっしゃっていました。
優れた詩人は何とも玄妙な力を持っていらっしゃるものだと、感銘を受けました。

私自身は「ヤマトとは『やがて大人になる存在としての子供』と真剣に向き合った、大人が作ったアニメ」という印象を持っています。
自分のためではなく、誰かのために…あの頃の大人達のように行動できているか。
自分自身を省みると、忸怩たるものがあります。
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2012/9/9

もう何度目かの「さらば」考 from Twitter  宇宙戦艦ヤマト

本日夕方のツイートをこちらにも記録。
たぶんTwitter上では何度か述べてると思うのですが、「第一作沖田艦長と『さらば』の齟齬って別に無いんじゃね?」という話。
異論は当然お有りでしょうが、私の解釈ってコトで。
最後はいつもの斉藤始礼賛で終わっとります(汗)




実写版へのかなりキツイ批判が書いてあると聞き、読んでみたいなと思っていた「ロトさんの本Vol.26」、通販で買いました。まあ「なるほどねえ」というか、同じヤマト第一作を見てたのに、着目点はホントそれぞれ違うもんですねえ。
posted at 15:26:43

あと、あの世代の方々ってどうして「我々はヤマトに対する責任が−」っておっしゃるのか、純粋に不思議。「どんな歳の人がどんなヤマトを観ようと作ろうとイイじゃん別に〜」とか思っちゃう私は不真面目なんですかねーー。
posted at 15:29:40

「さらば」安彦絵になってからは激しく違和感というのは同意ですが、沖田さんがああ言った古代がこうしたというより、それまで映画的だった時間の経過と敵の行動が突然舞台劇調になっちゃったことがキツイです、私は。あそこからイキナリ歌舞伎。まあ「だから安彦絵でないとダメ」なんだろうけど。
posted at 15:32:57

前も言ったと思うんですが、沖田さんは別に「古代お前死んでこい」とは言ってないんですよね。「命ある限り戦え」って言ってんの。「生きていること、それ自体が大きな力なんだ」って。第一作の沖田さんと矛盾しない。その命をどう使うか、それはあくまで第三代ヤマト艦長古代進の判断に任されてる。
posted at 15:36:16

そしてたぶん、「艦長・古代進」の判断を、沖田さんは否定しない。それは古代が既に「艦長」として一人前になっているから。というか、あの時点でヤマトの艦長を務められる唯一の人間であるから。ガミラスで「海に潜れ」と助言した時とは全然違う。
posted at 15:39:48

そういう「沖田と古代の物語」として見ると、第一作と「さらば」はちゃんと一貫してると思うのですよ。そして、実写版も。「さらば」や実写版への批判には、意外と「沖田と古代の関係性」、特に「沖田の導きから脱した古代」という視点が欠けているような気がします。
posted at 15:43:42

古代が「さらば」で体当たり攻撃を選択してしまうのは、別に特攻精神というわけではなく、「それ以外に道が開けない」という状況が一番の要因だとも思うのです。物語がそこまで彼を追い込んでしまった。物語というか、「敵の強大さ」を妥協無く描いた作劇の結果が。
posted at 15:47:01

超巨大戦艦と互角に戦える戦力が残っていたら、というか、あんな反則戦艦が出現したりしなければ、古代だってまだ他の手を考えたでしょう。突然他の乗組員無視して脳内沖田さんに縋ることもなかったでしょう。ああいう展開で他にどうしろと。私ゃ同情しますよ古代進に。
posted at 15:50:59

たぶん、現実的な解決としては「もうちょっと頑張れば勝てそうな程度のラスボスを出す」のが一番良いのでしょう。あんなデッカイのが出てきて「ばばーん!無傷!!」とかせずに。けど、「さらば」スタッフは「ばばーん!!」のインパクトを捨てることは肯んじなかった。
posted at 15:56:14

そしたら他にどんな方法があったのか。「テレサ一人で特攻すりゃイイじゃん」というのは頷けません。地球を守る戦いは、やはり地球人が主体とならねば。テレサはあくまで助太刀。というか、地球人がそこまで戦う気持ちを見せたからこそ、テレサだって身を擲つ決心がついたのでしょう。
posted at 16:00:11

テレサは「たったひとり」で祈っていたのですよ。彗星帝国の侵略行為を止める力が自分にあることは勿論理解していたでしょうが、もし自分が失敗したら、その後の宇宙がどうなるか。後に残る者に対する信頼が無いのに、いわば最後の切り札ともいうべき我が身をそう簡単に滅ぼせるわけがない。
posted at 16:04:10

とはいっても、私は「テレサが冷酷だ」と言いたいわけではありません。誰よりもテレサ自身がそのことを辛く思っていたのではないでしょうか。そして、古代だけでなく地球人類全体に対して信頼の気持ちを持つことが出来たから、彼女もまた笑顔で自らを滅し去る道行きに同道したのではないかと思うのです
posted at 16:08:36

まああれだ、つまり「さらば」は空前絶後のインパクトを最後まで手放すことなくストーリーを終わらせた映画で、その為にはあれ以外の終わり方が遺憾ながら選べなかったという、そういう特殊なジャンルのお話だったと思うのです。そしてそれは「映画の作り方として間違っていない」、とも。
posted at 16:13:03

そして、かなりギリギリの線ではありますが、「ヤマトとしても大きく道を外れない映画」になっていると思います。ラストの時間経過は歌舞伎だけど。まあ人工太陽とか七色星団決戦とか一隻でガミラス本星壊滅とか空間磁力メッキとかも、歌舞伎っちゃ歌舞伎だし。
posted at 16:16:46

まあしかし「さらば」の一番スゴイところは何と言っても斉藤始の描写ですよ!!私以外に騒ぐ人見たことないのが不思議なんですけど、モノスゴイですよ!!二時間ちょいの映画のゲストキャラ、しかも前作には居なかった人物が、あの少ない台詞であそこまで見事に描かれてるって驚きますよマジで!!
posted at 16:26:33

私ら戦後民主主義の申し子は「倫理的政治的に正しい行いをするのが正しいアニメキャラ」と思いがちですが(2199の古代進がああいうヒトになっちゃってるのも多分にその所為ではないかと思っておるのですが)、そういう小賢しさを吹っ飛ばす「丸ごと人間の魅力」がありますよ「さらば」の斉藤始!
posted at 16:29:59

なんで斉藤ってあんなスゴい描写されてたんだろうって、ずっと不思議に思ってたんですが、後に舛田利雄監督が最も思い入れを持っていたキャラだと知って大納得。実写的なんですよね。
posted at 16:35:55

好きなシーンはいっぱいあるんだけど、特に好きなのは湖川作画炸裂の動力炉被弾シーンと(ここコマ送りで見てくださいホントスゴいから!)「慌てず急いで正確にな!」の直前の激痛に耐えてる横顔と、あと都市帝国侵入を申し出て「わかってるよ、新艦長」って古代の肩を叩く場面!!!
posted at 16:39:10

湖川さんの人間臭さ全開の神作画で、心に楔を打ち込まれたみたいになります。「ああ、この人は今生きてるんだ!」って強烈に感じる。あとそれと負傷した土方艦長を抱え起こす場面!真っ先に駆け寄る咄嗟の判断力と運動能力、艦長の傷を見て眉を顰める表情!「人間がそこに居る」って手応え有りまくり!
posted at 16:44:46

あと初登場時の不敵でカッコイイ顔や、名乗り上げた後ちょっとゲスい顔して楊枝投げ捨てるとこ(掃除してろって言われたコトへの意趣返しなのよね)や、ゆうなぎ艦内で被害者を目の当たりにしてたじろいだり爆風に吹き飛ばされながらもすぐに体制整えて走り出したり、あともちろんテレザートも!
posted at 16:53:02

すいません全部好きです全部スゴいです。
posted at 16:54:50




以上。
いやマジで「さらば」斉藤始の表現は神憑ってますわ。
一切説明されていない彼の来歴や内心が、動作や表情見てるだけで手に取るように分かるんですから。
「ヤマト2」でガトランティスの攻撃により壊滅状態となった11番惑星からヤマトに拾われた空間騎兵も好きなんですけど、「ヤマト2の方が描写が丁寧で納得がいく」というのはちょっと違うと思うんですよ。
「さらば」の空間騎兵にも、彼らなりの自負と屈託があったことはきちんと描かれています。
しかも、あの短い登場シーンで。
前半で述べた沖田艦長にしても、とかく「さらば」は「第一作との乖離が−」とか「人間が描けていなくて−」とか言われがちなんですけど、「いやいや十分に人間模様を味わえる映画になってますよう」ということを申し述べておきたいんですよ。
ま、ファンの欲目があることは否定しませんけどね(・∀・)
けどねー、できるだけ咀嚼して深読みして「供された映像を味わい尽くす」方が、お得な映画の楽しみ方なんじゃないの?とは思うのです。


ところで、「ロトさんの本」のテーマに沿えば本筋の対象は実写版ヤマトですが、できれば後日感想も含めて私の意見を述べたいと思います。
ざっくり言ってしまえば、氷川竜介さんが「ヤマトのテーマ」「ヤマトの本質」と述べていらっしゃることは、ヤマトという作品の一面に過ぎないのではないかということです。
実写版ヤマト脚本の佐藤嗣麻子さんは、氷川さんが着目したのとは別の「ヤマトの本質」に目を向け、物語を再構築したのだと考えています。
以前述べた「家族の物語」がそれに当たるのですが、第一作ヤマトの再鑑賞を通して見えてきたものも加え、次回詳しく振り返ってみたいと思います。
………いつになるかはわかりませんがー(汗)
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2012/7/3

私はたぶん「阿久悠」派  宇宙戦艦ヤマト

かつてヤマトファンの間でよく出ていた話題に、「自分はナニナニ派」ってのがあります。
まあ、他愛も無い話なんですよ、たとえば「作画だったら芦田さん派」とか「ヤマトは音楽で保ってるから宮川派」とか。
近年、迂闊に口に上せると剣呑なことになりかねないのがアレですが、「自分はヤマトのどういうところに惹かれたのか」を象徴的に語るには、便利なキーワードではないかと思います。

というわけで、昔のような気軽なファントークとして読んでいただきたいのですが。
つらつら考えるに、私、「阿久悠さんの詞」にヤマトの本質を感じているような気がします。

ココをご覧になるような方ならとっくにご存知とは思いますが、一応歌詞掲載サイトにリンクを張っておきます。

http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/yamato/uchuusenkanyamato.html
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND2273/index.html

作品への関わりを情報の量に均してしまうならば、主要スタッフの中では最小になるであろう、阿久悠さん。
松本零士さんが描いた設定画の量や、西崎義展さんがブレインストーミングに費やした延べ時間と比べるまでもないどころか、普通のアニメ作品では「主題歌の作詞が誰か」など、そもそも話題になることもほとんど無いのではと思います。
ですが、詩人とは実に偉大なもの。まして阿久悠さんほどの御方となれば。
ちょっとイメージしてみてほしいのですが……
天秤の片方に「ヤマト」というアニメ全体を載せ、一方に主題歌の歌詞を載せたとします。
この天秤、見事に釣り合いませんか?

歌詞の代わりに、たとえばストーリーやキャラクターや音楽を、それぞれ載せてみたとします。
すると、天秤は「ヤマト」の方に大きく傾きます。
ストーリーやキャラは「アニメを構成する部分」なのですから、それは当然のことです。
しかし、優れた主題歌詞はわずか200音余りの情報量でありながら。「作品全体」の重みを受け止め、「宇宙戦艦ヤマト」という長大な映像作品に匹敵するほどの存在感を有しているのです。
あたかも、長歌の後に添えられる反歌のように。

もちろん、全ての歌詞がこれほどの存在感を持つわけではありません。
やはり「宇宙戦艦ヤマト」は別格です。
そして、阿久悠さんも。
その理由は何なのか ―――
以前、「真っ赤なスカーフ」と「夢光年」(「宇宙船サジタリウス」のエンディング)との比較という形で考察してみたことがあります。
その内容を、以下に引用いたします。




阿久悠さんは、1974年放映「宇宙戦艦ヤマト」、1986年放映「宇宙船サジタリウス」の主題歌・エンディング曲を手がけています。
どちらも「宇宙SF」に分類されるTVアニメシリーズではありますが、作品そのものの雰囲気は非常に対照的。
片や、アニメブームの先駆けとなった「宇宙戦艦ヤマト」。
異星人の攻撃により滅亡寸前となった地球を救うため、苦難の旅を続けるヤマトと乗組員を描いた大河ロマンです。
片や、名作アニメの老舗・日本アニメーションが制作した「宇宙船サジタリウス」。
擬人化動物キャラを使って、宇宙での仕事が日常となった時代の哀歓を描く人情SF。
両作品の主題歌は当時のアニソンを代表する名曲ですが、こうした作品の違いが際立って表現されています。

使命を背負って旅立つ男の、決意と雄々しさを歌ったヤマト。
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/yamato/uchuusenkanyamato.html

喝采を浴びることなどない「普通の人」の、ないない尽くしの中で、それでも消えない意地とプライドを歌ったサジタリウス。
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/sajitarius/star.html

後者の歌詞には、ちょっぴり「ヤマト」っぽい世界への皮肉かな?と
感じられる部分もあります(汗笑)

ところが、両作品のエンディング曲は、どちらも「宇宙を旅する者」への独特の美学が感じられ、まったく違う曲調でありながら、何か「一対」として感じられる面白さがあるんです。

真っ赤なスカーフ
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/yamato/makka.html

夢光年
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/sajitarius/yume.html

それを端的に表しているのは、二作に共通して出てくる「かけら」という言葉でしょうか。
宇宙をさすらう人の胸に、かすかにともる「ロマン=夢」の「かけら」。
取るに足りないちっぽけな人の胸にある「かけら」こそが、実は広大な宇宙とも比されるほどに大きな存在であるという、「人間讃歌」。
それが、阿久さんがアニメソングに与えてくれた大きな宝物であるように思います。

「真っ赤なスカーフ」、さらに凄いことに、この歌の主人公はメインキャラの誰でもありません。
物語の主役と目される古代進は、地球を旅立つ時は兄の戦死のショックに支配されており、名も知らぬ女性の振るスカーフにロマンを感じるような精神的余裕はなさそうです。
それ以前に、旅立ちの時点ではようやく少年の域を抜けかかったような青年で、女性への思慕をおぼえるような成熟には至っていません。
また、艦を預かるリーダーであり、ヤマトの象徴ともいえる沖田艦長も、直近の戦闘でただ一人の息子を失い、天涯孤独の身です。
重い病にも冒された身である彼は、任務の成功に執念を燃やしこそすれ、ロマンの欠片を求めることはないでしょう。
この歌にある「旅する男」は、古代進ほど精神に子どもの部分を残してはいず、沖田艦長ほど老成してもいない。
つまり、「物語の中では名もない端役」である、「無名兵士」の心情を歌ったものではないでしょうか。

それを証明するかのように、地球へのさよならパーティが描かれたTVシリーズ第一作第10話では、遠ざかる太陽系の星々を見つめる無名の乗組員たちが描写され、その場面にかぶさって「真っ赤なスカーフ」の2コーラス目が効果的に使われています。

「真っ赤なスカーフ」は「無名兵士の歌」である―――

もしかしたら、「旅する男」は冥王星や七色星団で命を落としたのかもしれない。
死んでしまった戦友の思い出話を聞いた誰かが、自分の心の中に「真っ赤なスカーフ」を受け継いだのかもしれない。
「必ず帰るから」―――そう胸中に呟いた誰かは、もしかしたら地球には帰ってこず、男の呟きを聞いていた誰かが、彼の代わりにその目に「真っ赤なスカーフ」を認めたかもしれない―――
そんな深いドラマを感じさせる、まさに大人の歌なんですよね、この曲は。

成長してこのことに気付いた時、阿久悠さんの透徹した「大人の精神」に改めて感動することしきりでした。




引用は以上です。
阿久悠さんの歌詞が、作品そのものと同じ重みを持つ理由、わかっていただけましたでしょうか。
阿久悠さんは、主人公や物語を謳っているのではないんです。
物語を内包している「社会」、つまり「人間そのもの」を歌に詠みこんでいるんです。

凡庸なクリエイターならば、「物語の中に社会を描く」ことでしょう。
ヤマトの歌は、そうじゃないんです。
「物語の外に、社会が広がっている」んです。
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2012/4/22

「宇宙戦艦ヤマト」第一作の沖田十三について  宇宙戦艦ヤマト

こないだから考え続けている「第一作ヤマトの沖田艦長」の描かれ方。
今日、なんか閃いた勢いでTwitterに連続投下いたしました。
こちらにも記録として残しておきます。




今はっきり分かった!!最初っから提示されてたのに何て鈍いんだ私は!!!第一作ヤマトの沖田艦長は一話と最終話で決定的に変わってしまってるじゃないか!!!全然一貫してないよでもだからこそ素晴らしいんだよ!!!!!
posted at 09:06:47


と、風呂から飛び出したアルキメデスの如き勢いでツイート。
posted at 09:07:36


第一作一話「たとえ最後の一人になっても、ワシは絶望しない!」……この言葉の持つ絶対的な孤独。つまり沖田はこの時点で、「同胞がすべて死に絶えて沖田ただ独りになっても、或いは他の地球人がすべてガミラスへの帰順を誓った奴隷となっても、ガミラスとの戦いを止めない」って言ってるんだよね…
posted at 09:12:50


「不屈の闘志」といえば聞こえはいいけど、もしかしたらそれって他の地球人にとっては迷惑千万な妄執かもしれない。地球にとってもはや彼しか頼る者のない名将・名艦長の心中に、同胞すべての死すら想定に入れた激しい怨念が渦巻いているのですよ。
posted at 09:22:58


こう書くと「それってただの文学的レトリックだからー沖田艦長最初から立派な人だからー」との指摘を受けることでしょうが、あの台詞は字義的にそのまま受け取った方が第一作ヤマトを面白く観られるので、私はそう思っておきますよー。
posted at 09:26:46


物語の中で二度描写される「沖田艦長の地球への帰還」、「赤い地球を眼前に臨む沖田の後ろ姿」という構図もほぼ同じ画面において、しかし、沖田自身の心情はまったく違うものになっている。これ凄いよホント震えがくるよ!!
posted at 09:32:05


「同胞すべての命よりも、己の非服従を優先させる妄執の人」…私はそうした存在を否定するつもりはない。あくまでも「内心の自由」という範疇において、だが。ただ、それほどの孤独はどんなに辛いものかと思う。だから、第一作ヤマトはそうした沖田の心を救う為の旅であったと思いたい。
posted at 09:40:28



妄執の人・沖田を一番「痛々しい」と思ってたのは、たぶん沖田艦長の息子さん。だからね、最終話で沖田艦長が涙を流しながら遺影を撫でた時、息子さんは「よかったな、親父」って言いながら沖田さんを迎えたと思うのよ……
posted at 09:45:14


第一作ヤマト一話の沖田には、他の誰にも肩代わりできない使命と、それを果たさずにはおられない強い動機がある。そして沖田は、それを誰かに分かってもらえるとも、分かってもらいたいとも思っていない。怪我を押して司令部内を歩く沖田。周囲と隔絶したその描写の凄惨さを見よ!
posted at 10:02:50


注意深く見ていくと、第一作ヤマトでは沖田艦長はそれほど「立派な人物」として描かれていない。彼なりに目論見の甘いところとか、先を読み切れない神ならぬ身の哀れとか、教え導くことや親しく打ち解けることを不得手とする不器用さとか。
posted at 10:12:55


おそろしく不完全な「異物」として、沖田は古代進や当時の視聴者であった子供たちの前に立ち塞がる。もしかして、今だったら「排除の対象」としか見られないかもしれない。だが、第一作では古代と沖田の両方が変化していく様子を物語の軸として描ききってみせた。
posted at 10:20:24


そこにあるのは、「精神の成長を信じる心」なのではないかと、私は思う。スターシァが与えてくれたチャンスは、「単に種としての生命を存続する」ということではなく、「人類は成長という課題を成し遂げられる種であるのか」という問いかけになっていたのではないだろうか。
posted at 10:27:02


あーそうか、だからイスカンダルでの反乱首謀者は「裏の古代」である藪でなければならなかったんだ!!徳川さんの薫陶を受けていながら、「オヤジさん」の精神に背いてしまった「不肖の息子」として。徳川さんがスターシァに詫びたのは、そういう意味があったんだ……
posted at 11:11:02


第一作の裏古代は藪、「さらば」「ヤマト2」の裏古代は斉藤。
posted at 11:12:29


わざわざ神話を引いてこなくても、ヤマトの物語自体が神話の構造を有していますね。凄いぜヤマト。
posted at 11:16:16
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2012/4/17

「宇宙戦艦ヤマト2l99」感想の続き  ヤマト2l99

さて、これは大勢の人が既に指摘していると思うのですが、2l99は「旧作の穴を塞ぐ」と言いつつまたゴーカイな穴を空けてくれてます(;^ω^)
「結局重力制御してるのしてないのどっちなの!ボーシ脱げるの気にする割に急速転舵しても艦橋回っても平気なのそうなの!」とか、「ちょーっと待って今土方さんが良いこと言ったから静かにして!『ワシの命を奪うかもしれん』なんて言うけどさ、そんなこと言ったら前人未踏の旅に出る乗組員に対して無責任じゃないかなぁ?結局ヤマトが戻ってこれなくなるだけなんじゃないかなぁ?僕の言ってること違うかな?沖田さん!」とか、「今この人コネ人事だって言ったよハッキリ言った!そこんとこどうなの沖田さん!」とか、「なんで大事な幹部候補をあんなヤワいシェルターに集めてんの!どう見てもヤマト本体が一番頑丈でしょナンでそこに入れてやんないの!あそこで迎撃させりゃいいじゃないの人材の無駄遣いだよ!血税を預かる身としてそこんとこどう思ってんの!」とかその他イロイロ、意地悪かもしれませんが田原総一朗氏に免じて許してくださいー>ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

まあ、上のようなことは「愉快なギャグ」として見て見ぬフリできなくも無いですが、私が「ちょっとコレはヤバイんじゃないの(;・∀・)」と思ってしまったのは、何を隠そうコードネームと作戦名。

えーっとね、イスカンダル船が「アマテラス」なら「ウズメ」は回収班じゃなくて囮艦隊でしょ?
「囮艦隊はガミラスをおびき出す役割なのだから、それは違う!」と仰る向きがあるかもしれませんが、「神」と「敵」が同一視されるのは神話構造ではよくあることですから無問題。
踊って踊ってわっはっはーーってやってるトコに大御神が顔を出すんですよ。
そこで大御神をキャッチするのは天手力男神、だから古代と島のコードネームは「タヂカラオ」でないとオカシイ。
神話を引っ張ってきてるにも関わらず、この無神経さはヤバイ。
何がヤバイのかは諸星大二郎の「闇の客人」あたり読んでいただけるといいんじゃないかとかそういうネタは脇に置くとしてですね(汗)、神話に対してそこまで無理解無神経な割に、その神話をなぞろうとしている節があるのが超ヤバイ(脂汗)

まあですね、コードネームの間違いくらいなら土方さんか藤堂さんあたりに「ボクあんまり神話に詳しくないんだーてへぺろ☆」とでも言ってもらえば「お茶目なギャグ」として目を瞑れないことも無い。

しかしですよ、「イズモ計画」と「ヤマト計画」これはヤバイ。
言い訳効かないレベルでヤバイ。

「イズモ計画」―――
計画の内容から、これは「出雲の国譲り神話」を想定しての命名と察します。
ガミラスという天孫が「地球譲れや(゚Д゚)ゴルァ!!」とやって来たから、地球人=大国主命が「チッしゃーねえなあ俺ら別のトコ行かねーと生きてけねーよなあ」って移住するワケです。
公式サイトには何故か最初「ヤヨイ計画」という名称が記されていましたが、今は削除されていますし、公式に本編に採用されたこの命名から読み取れる情報は、どうしても先ほど述べた事情を含んでいると考えざるを得ません。

では、なんでコレがヤバイのか。

キバヤシ< 「ヤマト計画のヤマトは『戦艦大和』ではなく、『カムヤマトイワレビコノミコト』或いは『ヤマトタケルノミコト』を指しているのだよ!」
Ω ΩΩ< 「な、なんだってー!!」

おいおいおい「東征」だよイスカンダルへの航海の意味が変わっちまったよヤバイよどうすんの!!!

……………はい、「考えすぎ」と仰るのはもっともです。
たぶんそこまで深く考えて命名してはいないと思います。
というか、そう信じたいですよ私も。
でも、「神話」というのはそれくらいハンパない深みと広がりを持った存在であり、生半可な擬えで間違った「祭り」を行うのは、マトモな神経を持った人間なら避けて当然だと思うんですよ。
ここに切り込んでいくには、それこそ諸星大二郎か星野之宣クラスの構築が出来てからでないと、大火傷負うんじゃないかと。

実は、これを「杞憂」と思えない理由が、もう一つあるんです。
それは、ヤマト発進の折に「第二次大戦で沈んだ戦艦大和の魂を受け継ぐもの」として描かなかったこと、なんです。
ヤマトを大和と結びつけるのを避けた一方、イズモとヤマトを深い関わりのある事柄として作中に取り上げた。
そうである以上、宇宙戦艦ヤマトは旧海軍の命名慣例に基づいた「旧国名としての大和国」ではなく、天孫降臨や国譲り神話、神武天皇や日本武尊の東征神話との繋がりを濃く反映したものとなってしまった。
私はこっちの方が余程危うい話ではないかと思ってしまいます。

それこそ、諸星星野レベルの構築が出来れば問題ないのですよ。
そういう野心作を作っちゃいけないって法もありませんよ。
ただね、それを「リメイク作品」でやるのは、どうなんでしょうか……
もし本当にそういう物語を紡ぎたいのなら、まったくのオリジナルで挑むべきでしょうし、そうではなくて「なんかそれっぽい名前を神話から借りてきました」っていうんなら、もう少し元ネタの扱いに慎重であるべきではないかと思います。

無粋極まりないツッコミでゴメンナサイね。
でも、どうしても気になって仕方なかったので、ここに書かせていただきました。
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