「さよならは言わないよ」 「俺もだ」





  こちらは HN:やや矢野屋 による
  アニメの感想と二次創作小説・イラスト掲載のブログです
  「宇宙戦艦ヤマト」がメイン 他に「マイマイ新子と千年の魔法」など

2013/1/27

2l99第4章  ヤマト2l99

2l99は、オリジナルの宇宙戦艦ヤマトとは全く違う物語である。

当たり前と言えば当たり前のことなのだけど、それが誰の目にもはっきりわかるようになった第4章でした。
オリジナルヤマトが「鋼鉄で出来た男の船」ならば、2l99ヤマトは「SFガジェットが随所にちりばめられた女神の船」。
オリジナルには超能力やオカルトの要素は無く、物理法則の範囲内で物語が推移するが、2l99はテレパシーによる攻撃やそれを打ち破る特異な力を持つ精神、生き霊の憑依(と呼ぶしかない…)等、オカルティックな要素が物語を動かしている。
(この場合「オリジナル」とはテレビシリーズ第一作26話のことを指し、「永遠のジュラ」は入っていません。発表年の隔たり、アニメと漫画というメディアの違いもありますが、第一作とはあまりにも作風が異なっていますので、喩えて言えば「石津嵐版小説」のような異説として認識しています)
しかし、何よりも大きかったのは、「戦端を開いたのは地球側だった」「しかも沖田十三は提督としてその場に居り、先制攻撃を躊躇したために即時解任されていた」という変更です。

そこで思い起こされるのは、2l99第1章、冥王星会戦(って言わないんだっけ、メ号作戦だっけ)から帰還する沖田の独白、「見ておれ悪魔め、儂は命ある限り戦うぞ!決して 絶望はしない。たとえ最後の一人になっても儂は絶望しない!」 という言葉。
……「悪魔」って、ダレ?
……「最後の一人になっても」って、そもそもそういう事態を引き起こしたのはドナタ?
「いや、奴は大変なものを落としていきましたッ!」という台詞が納谷悟郎さんのお声で響き渡る脳内。

以下、例によってTwitterのまとめです。



どうしても気になっていることを書く。タグは付けずにおく。最後まで読んでもらえたら、けっして一方的な否定でないことは分かっていただけるとは思う。
posted at 20:22:14

遊星爆弾によるガミラスの攻撃は、単に「戦争」で片がつくものではない。ジェノサイドである。そして、沖田十三が開戦時の事実を知る以上、沖田にも責任の一端はある。
posted at 20:24:39

「間違った命令には従わない勇気」、結構。しかし、「間違っている」と知っているのに、沖田はそれを改める為にどんな行動をとったというのか。数十億の人間が虐殺され、かけがえのない地球環境が破壊され続けている、その間に。
posted at 20:32:43

民間人に対する一方的な殺戮、生命の循環を根底から破壊し回復不可能な状態に変えてしまう行為、それは確かに「悪魔」と呼んで然るべき所業であろう。しかし、その切っ掛けを作ったのが何ものか、沖田は知っている。
posted at 20:38:38

誤った選択を行ったのが自分自身ではないとしても、「知る」者としての責任は逃れようもなく彼にのし掛かっているだろう。軍人である前に、一人の人間として、彼は如何にしてその責任を果たそうとしたのか?
posted at 20:39:56

「最重要機密の保持」、それは、数十億の人命と引き換えにすべきことなのか?数え切れない動植物の命が失われ、惑星の命そのものが尽きていくことをも、「仕方のないこと」と諦観してまで守らねばならないことなのか?
posted at 20:45:37

不服従のその先に、沖田がどんな八年間を過ごしてきたのか。それはいまだ描かれていない。また、「数十億の人間を見殺しにしたも同然の責任」という、途轍もなく重い十字架を負わされた今作の沖田十三に、2199の物語はどのような終結点を与えようというのか。
posted at 21:07:46

「嫌なら見るな」という向きもあるやに聞くが、かほどに想像を絶する重荷を背負わされた人間がどのような道を歩んでいくのか、ここまで見てしまった以上、見届けずにはいられない。おそらく「何もかも皆懐かしい」などという予定調和に辿り着くことはないだろう。
posted at 21:18:53

まあ、ぶっちゃけて言えば、「我が方の責任で始まった同胞へのジェノサイドを止めさせる為に、いったい沖田は何をしたのか?」ということなんですよ。「誤った戦争を止める為」、でもいいですが。彼は「軍人と雖も意志を持たぬ駒に非ず、信念を有する一個人なり」と明言したのですから。
posted at 21:41:40




物語の前提を「真逆」といってもいいところまで引っ繰り返しておいて、沖田の台詞はオリジナルと同じ。
これで「何のフォローもない」とは考えられないので、この件については今後また補足があると思いますが、いったいどういう落としどころを想定しているのか。
劇中のプロパガンダ映画の雰囲気からして、2l99の地球は第二次大戦期の大日本帝国と似通った社会と想定されているようですが、ガミラスへの攻撃は盧溝橋事件との擬えでしょうか。
沖田提督は戦線の拡大を止められなかった帝国軍人なのか。
しかも「我が方に義の無い戦争」と知っている立場。
その沖田がガミラスを「悪魔」と呼ぶのは何故か、同胞がすべて死に絶えても「絶望しない」と繋ぐ希望は何なのか。

シリーズのちょうど真ん中で明らかにされた大ネタですから、当然、後半のストーリーで何らかの解きほぐしが行われるでしょう。
それを見届ける為に、四月以降も映画館に通う羽目になりそうです。
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2013/1/11

「宇宙戦艦ヤマト2l99」テレビ放送決定【追記有り】  ヤマト2l99

朝起きてTwitterをチェックしていたら、いきなり「2l99テレビ放送の時期決定」というツイートを見つけてしまいました。
スポニチのリンクを貼って下さっている方がいたので記事を読むことが出来ましたが……2013年4月の日曜午後五時からなんですね。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/01/11/kiji/K20130111004953460.html

第一章の特別上映から約一年、思ったより早かった感じです。
「マギ」の後番組ってスゴイなーと思いましたが、よく考えたら「ガンダムAGE」の枠ですね。
バンダイがスポンサーにつくでしょうから、当然と言えば当然ですね。
ただ、26話まで放送しちゃうと、もしかして特別上映スケジュール追い越しちゃう?
ワンクール13話までで一旦放送を終わって、後半は2013年秋に再開なのかもしれません。
たしか「ガンダムOO」か「コードギアス」か何かがそんな感じの放映スケジュールだったような……(ウロ)
ともあれ、深夜枠でなかったのは良かったなと思います。
たくさんの若い人がヤマトを見てくれるといいですね。



【追記】
トーノ・ゼロさんの舞台挨拶レポートによれば、「TV放送は2回に分けない。第7章は間に合わせるしかないらしい」とのことです。

http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20130112151304

スケジュール大変そう……
14話までの回にも若干直しが入るようですし、スタッフの皆様、頑張って下さい。
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2012/11/17

組曲「宇宙戦艦ヤマト」より「序曲」鑑賞  レビュー

まずはTwitterの再録。




先週日曜にオーケストラの演奏で聴いてきた「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」は、「序曲」と「誕生」を繋いで一曲に仕立てたものだった。コンサート用の編曲だろうか。
posted at 21:37:40

イントロ部分(「誰もいない街」)を飛ばしてスキャット部分のオーボエ演奏から始まり、序曲の4:20あたりから「誕生」の主題歌イントロへ。電気楽器は入っていなかったけど、パーカッションとは別にドラムスが編成に加わっていた。
posted at 21:39:50

驚いたのは、スキャット無しベース無しだったにもかかわらず、レコードで聴き馴染んでいたサウンドがほぼそのまま再現されていたこと。各楽器の音のバランスがとにかく完璧。子供の頃から「これを生演奏で聴きたい!」と願っていた、そのままの音楽。
posted at 21:43:52

一方で、生演奏でしか味わえない音のダイナミズムも十分に堪能できた。「序曲」3分過ぎからの弦は思いっきりピアニッシモから始まり、クレッシェンドで圧倒的な音圧を浴びた時は体内が沸騰するような感覚に襲われた。弦が、とにかく凄かった。
posted at 21:52:52


前に聴いた時は「歌入り」だったので、「誕生」をオーケストラオンリーで聴いたのはホントに初めて。実はこれもずっと念願だった。
posted at 22:02:37

当たり前のことかもしれないけど、ハープもシロフォンも、とにかく全ての楽器の音が埋没せずに響き合い、ひとつになって聴き手に迫ってくる、心地よい緊張に満ちた素晴らしい演奏だった。もちろん、端正な中にも歌心がきちんと表現されていて。
posted at 22:06:47


指揮者は熊谷弘さん。日本で最も多くの映画音楽を指揮した方だそうで、交響組曲ヤマトの他にハーロックや999のサントラ録音でも指揮者を務められたとのこと。
posted at 22:11:25

生演奏を聴き、先週ずっとサントラCDを聴き返して、たしかにこれらの楽曲に熊谷弘さんの個性が表れていると感じた。端正で、どこかストイックで、でも、きちんとコントロールされた感情が頂点を迎える時のカタルシス。
posted at 22:17:23

「宇宙戦艦ヤマト」というアニメの映像が、様々な人の力を結集して作られたように、ヤマトの音楽もまた多くのプロフェッショナルが力を注ぎ込んで編み上げたものなのだろう。
posted at 22:19:36


できれば、熊谷さんの指揮でもっと様々なサントラの生演奏を聴かせていただきたいと思う。ヤマトやハーロック、その他たくさんの映画音楽の。そして、いろんな方が演奏なさるヤマトの音楽を、これからも出来るだけ機会を捉えて聴かせていただこうと思う。
posted at 22:27:07




コンサートの案内チラシはこちら。
http://concert.studio-gaku.com/data/image/o_209-0.jpg


実を申しますと、私は近年「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」に複雑な思いを抱いていたのです。
特に第一作テレビシリーズのサントラCDを聴くようになってからは、「地球を飛び立つヤマト」や「美しい大海を渡る」の融通無碍なノリの心地よさに比べ、交響組曲の演奏を堅苦しく感じるようになり、聴き返すことも少なくなっていました。
しかしこの日、熊谷弘さんの指揮で聴かせていただいた時に、(ちょっと大仰ですが)「交響組曲の演奏の秘密」に触れたような気がしたのです。

以下、音楽についての専門的な知識など無い素人の戯言ですが……

 よく言われているように、交響組曲は楽器編成や曲の体裁からして「クラシックよりもイージーリスニングと呼ぶべきもの」である。

 しかしながら、レコードの企画者・西崎プロデューサーはこの楽曲を「クラシック音楽の流儀に則って演奏する」ことにこだわったのではないだろうか。

 その結果、交響組曲はテンポや音のバランスにおいて限りなくクラシックに近づこうと試み、あのような演奏になったのではないか。


この仮説に妥当性があるかどうかはともかくとして、先日の演奏に触れて「交響組曲には、熊谷さんの指揮者としての個性がかなり濃厚に反映されているのではないか」と思い至りました。
その観点から「交響組曲 キャプテンハーロック」や「交響詩 銀河鉄道999」を聴き返しています。
特に、クレッシェンドで「ばばーん!」と盛り上がった直後に曲がギュッと収束する感じ(ううう上手く表現できない・汗)、共通性があるんじゃないかと思うんですがーー。

なんか中途半端な話でスミマセン(汗)
お読みになった方のご意見、是非聴かせていただきたく思います。ドゾヨロシク。
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2012/10/6

降りそそぐ光のように 〔古代守・真田志郎 2202年〕  二次創作小説

宇宙戦艦ヤマトの二次創作小説です。
二次創作を苦手となさる方はお読みにならないようにお願いいたします。

「新たなる旅立ち」と「ヤマトよ永遠に」との間に位置する話。
真田さんの少年時代も含め、捏造設定がヤマのようにあります……
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2012/9/17

「家族の物語」としてのヤマト  宇宙戦艦ヤマト

以前書いた記事( http://sea.ap.teacup.com/yayayanoya/40.html )で述べていた、「家族の物語としてのヤマト」ですが、ボチボチとりかかってみたいと思います。
まずは過去ツイートを転載。




改めてヤマト第一作の10話見てみると、構成の素晴らしさに驚く。古代と沖田艦長が酒を酌み交わさなければならなかったのと同じように、雪は徳川さんの居るところで家族と会話せねばならなかったのだ。この脚本は本当にすごい。
posted at 20:21:19

もしかして脚本の前にアイデア出した人がいるかもしれないけど、その人もすごい。昔の人マジすごい。
posted at 20:22:20

宇宙戦艦ヤマト第一作10話、「歳を重ねてから徳川さんと雪の通信に大きな感銘を受けるようになった」というのはこれまで何度か書いてきたけど、その内容について少し整理が出来たので、述べてみようと思う。
posted at 20:36:08

徳川さんはまず花瓶や写真の調度について煩く小言を言う。そして孫娘アイ子への慈しみをモニターへの頬擦りで表現し、息子夫婦に「アイ子を育てろ、決して希望を失うな」と強く語りかける。このシーンの意味は、「日常の些細な行為の中にこそ生の意味がある」ということでは。
posted at 20:43:00

裏を返せば、「絶望に抗う術は、日々の些細な行為や一日一日を積み重ねる営みの中にしかない」ということではなかろうか。それを象徴的に体現しているのが「子供」なのだろう。徳川さんは、それを必死で息子達に伝えようとする。齢を重ねた者の責務として、心の底から。
posted at 20:48:29

「まだ伝えなくてはならんことが…」と言いつつ、モニターの前で項垂れる徳川さん……もうね、今はこのシーン、涙なくしては観られないんですよ(´;ω;`)ブワッ
posted at 20:51:41

徳川さんの身内愛を大切に描く演出には、新子とお祖父ちゃんの交流に共通するものを感じる。「祖父ちゃんから孫への思い」だから当たり前っちゃ当たり前なんですけど、こういう健全で自然な身内への愛情って、意外と描かれていない気がします。
posted at 20:59:26

雪の通信では、いきなり「お見合い写真」とか「まさか、そのお年寄りの方が…」とか笑いをとる方向に進むのだけど、雪ママの切なる願いも実は徳川さんと同じ「希望の象徴としての子供」なのだと気づいてハッとする。ここすごい、マジすごいオニすごい。
posted at 21:10:29

さらに言えば、雪こそが雪ママにとっての「希望」そのものなんだよね。その最愛の娘が宇宙の彼方にいて、先の見えない不安に直面してるんだよね。「嘘よ!」と泣き崩れる雪ママ。人類が置かれているギリギリの状況を、これほど痛切に表現しているシーンは他に無いです。
posted at 21:16:24

ヤマトが帰ってこなければ、人類の希望は潰える。雪が帰ってこなければ、雪ママの「希望」は潰えてしまう。ヤマトと地球は、遙かな距離を隔ててなお、同じ未来に向かって進んでいる。その切実さも、徳川さんの通信が先にあるからこそ、観る者に強く印象づけられる仕組みになっている。
posted at 21:22:52

そして通信終了間際の雪の台詞、「楽しみにしてるわ。どれだけお見合いの写真が増えてるか…ママ…」……遠く離れていても、ママと同じ希望を抱き、同じ未来を見つめて生きているわ、って言ってるんだよね雪ちゃん……(´;ω;`)ブワッ
posted at 21:28:04




というわけで、まずは徳川さんと雪ちゃんという「地球に家族がいる二人」の交流。
「子供という希望」をキーワードに、地球に残された人々が置かれた厳しい境遇とヤマトの背負う使命の重さを余すところなく描いています。
ヤマトとその乗組員は「地球に残してきた家族のため」に旅をし、「地球の家族と同じ未来を守るため」に、戦いに身を投じる。
「顔の見える存在」として家族を描くことで、彼らを動かしているものが「自己実現」などという矮小な意識ではなく「過去から未来へと繋がり、広がっていく、大きな命の流れ」であることを示す。
その鍵になっているのが、「希望としての子供」なのだということ。
第一作10話が視聴者に印象づけたのは、そうした「地球との精神的紐帯の存在」であり、だからこそ、遠く宇宙を旅するヤマトであっても、常に地球の人々との同時性が途切れることはないんです。

また、このエピソードでは、徳川さんや雪ママの「愛すべき愚かしさ」とでも言うべき「深み」に唸らされます。
特に、熟練の職業人でありヤマトにおいては沖田艦長に次ぐ重鎮である徳川さんが、舅根性丸出しで調度の乱れに小言を言い、孫娘に相好を崩す姿は、「キャラが立つ」などという浅く一面的な人間理解に終始しがちな私たちの世代には表現し得ないものではないかとすら思うのです。

長くなりました。
この物語の中で「家族を持たない二人」、沖田艦長と古代進については、項を改めてお話ししたいと思います。
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