2015/9/13  13:52

邪馬台国を行く E  


上表とは、君主に奉る書き付け・意見書 と辞典にある。

「正始元年 (中略) 倭王 使に因りて上表し 報恩に答謝す」 

上記の如く倭人伝には、正始元年 倭の王(卑弥呼)は、答礼使に上奉文を託け、魏の皇帝に対し深く感謝の意を表した と書かれている。

古代3世紀の日本に於いては、まだ文字の使用は無かった と言うのが、これまでの学界の通説である。

これは、本当だろうか・・・。

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 ( 古代 ”神代” 文字とされる 出雲文字 )

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 ( 同じく 豊國文字 )

文字と言えば、これまでに ”豊國文字・出雲文字・阿比留文字” 等、古代文字と言われる字体が古くから伝えられていたが、すべて後世の偽作とされて、研究の対象とはならなかったのである。

しかし、この倭人伝にある「上表」という言葉は、すでに文字が邪馬台国に於いて、使用されていた事を暗示している様に見える。

つまり3世紀頃であれば、すでにある程度の文字が、倭国において使われていた可能性は、多分に考えられるのだ。

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 ( 大分県 国東町  神代文字である”神宮文字”と”阿比留文字”の組み合わせからなる 巨石に刻まれた 古代文字

”解読文”  そこをやき よきちほれ しもとく ひわのかみのりよ しふきあえす ねつきよだい てむだ 

「この場所を焼き 大地を耕せ 霜害に遭わぬよう太陽神を祀れ これは不合25代天皇の言葉である」 という事らしい )

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 ( 御守に併記された 古代文字の一種 )

学説に言うように、文字としての漢字が、急速に5世紀頃に中国から入って来たとは、俄かには考えにくいのである。

やはり、2〜5世紀頃の朝鮮半島を軸とする交易を通じて、倭国に浸透していったと考えるのが自然であろうと筆者は思う。

元東京大学教授で、中国文学者の藤堂明保氏は、音韻学の研究の中で、万葉集に使用されている万葉仮名の字音は、中国の三国六朝時代の物であると述べられている。

そしてその中で、「余程、時代を控えめに見ても、西暦3〜5世紀には大陸と倭国との間に通行が行われていて、漢字が倭国に入って来た事は確かであろう」 としているのだ。

しかも、7世紀頃の中国の字音と万葉集の万葉仮名の字音とは、古い中国音に基づいているとも述べている。

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 ( 埼玉 行田 稲荷山古墳 )

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 ( 同じく 稲荷山古墳出土 金象嵌された鉄剣 ”ワカタケル大王”の漢字が刻まれている 5世紀  さきたま資料館より出典 )

すなわち、文字としての漢字は以外に古く、古代2〜3世紀頃には倭国に伝来し、多分に用いられていたのではないのだろうか。

それが倭人伝の中に、上表という形で表現されている様に思えるのである。

続く・・

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