2015/10/7  9:30

邪馬台国を行く 最終回  


邪馬台国は、いずこに在ったのだろうか?
或る者は、畿内大和(奈良県)と言い、ある者は、北九州という。

古来諸説多く、現在に至るまで、未だに決着を見ない謎の国なのである。

一説に、記紀の中に邪馬台国の暗号が隠されていて、天孫降臨の神話を九州の日向に持って行ったのも、3世紀の九州南部の豪族の子孫が、記紀の編纂された7〜8世紀頃にも残っていて、畿内では何らかの理由で、これを無視出来なかったのかも知れないと言う。

つまり、日向を倭人伝の投馬国として、北部九州を含めた中規模の部族国家連合の盟主が、邪馬台国と考えるのである。

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 ( 魏志倭人伝 紹熙本 原文 )

一方、畿内では巻向遺跡が今日、邪馬台国の1つの比定地として脚光を浴びているが、これとて確実にそうであるという確証は、発見されていないのである。

畿内説を支持する学者や研究者は、盛んにここが邪馬台国の跡であると声高に唱えているが、確証を得られない限り、断定する事は非常に危険だと思われる。

最近のマスコミの報道や、世論の高まりに押される余り、今後疑問を抱く発見や遺物が出土したとしても、それらを公表することが憚られ、以前考古学界を揺るがした、石器ねつ造事件の再来になりはしないかと危惧するのである。

あまりに欲張って比定を急ぐと、返って間違いの起こる可能性は大きくなると言う事を、忘れてはいけない。

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 ( 奈良県 桜井 巻向遺跡 )

邪馬台国論争と言っても、それほど難しい事では無く、権威ある偉い学者が、学閥に分かれて勝手な事を言いあっていると思えばよく、中には随分こじ付けと思われる学説や、強弁を有するものも有って、中々面白いのである。

筆者は、大変大雑把な様だが、邪馬台国は北部九州の何処かに存在していた、と思う。
畿内説には、やはり比定に無理があると考えているのだ。

さて、これから先は、よほど強い考古学上の発見があるか、もしくは決定的な資料でも見つからない限り、畿内説・九州説のどちらも、水掛け論に終始しそうな気配である。

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 ( 大和国中 大和三山を望む )

女王 卑弥呼の君臨した邪馬台国・・・

その謎は、倭人伝の作者 ”陳寿” だけが、知っているのかも知れない。

おしまい

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