2015/8/19  12:19

邪馬台国を行く @  


奈良県は桜井市巻向にある”箸墓古墳”が、謎の邪馬台国の女王”卑弥呼”の墓ではないか と言われて久しい。
現在のところ、宮内庁書陵部に記載されている資料では、被葬者は崇神天皇の叔母に当たる”倭迹迹日百襲姫命”という事になっている。

最初にこの箸墓が、邪馬台国の女王”卑弥呼”の墳墓である と言う論文を発表したのは、邪馬台国研究の笠井新也であった。
笠井新也は、卑弥呼も百襲姫もその人物像が巫女としての特徴や事跡を備えているとして、卑弥呼=百襲姫=箸墓 という関連説を説いた。

しかしその説も、信偽の漠然とした記紀の神話を土台にした為に、致命的な欠点を持つ事になってしまったのである。
現在のところ、卑弥呼と百襲姫は同一人物であるという決定的な繋がりは全く無く、卑弥呼=箸墓という考古学上の証拠も無い・・ とすれば、いかに優れた研究でも、笠井新也の説は成り立たない事になる。

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 ( 箸墓古墳 )

倭人伝に、「卑弥呼 以に死す 大いに冢を作る 径百余歩あり」と有るのは、箸墓の事だろうか。
箸墓の実測図を見ると、後円部は5段に築成された事がはっきりと分かるのだが、後方部には築段の造作は見られない。

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 ( 箸墓古墳 朝日新聞記事より出典 )

このことから、箸墓は元々円墳であって、後方部は後世の改築である と言う説を唱える人もあるが、真偽の程は分からない。
何分にも天皇家の陵墓であり、詳しい実体調査が出来ないのだ。

現在、この大きな箸墓古墳について言える事は、3世紀末から4世紀初めにかけて、この墳墓のある桜井市・箸中一帯を支配した豪族で、この土地と深い繋がりを持つ人物である と言う事だけである。

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 ( 箸墓の航空写真 国土地理院HPより出典 )

それが箸中一族の首長なのか、卑弥呼の邪馬台国なのかは、この古墳の中から墓誌と呼ばれる物でも発見されない限り、不可能であろう。

陵墓と言うだけで、頑なに学術調査を拒否し続けている宮内庁の柔軟な対応を、これからは望みたい所である。

続く・・

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