諸々がままならない状況で
私はわりと元気に過ごしており
2021年は
お芝居を始めて20周年という節目となりました

20年目の一人芝居を
You Tubeにて配信しております

「言葉を纏ふ」〜纏の三 太宰治『斜陽』〜

いつか舞台で上演出来る事を願って


2015/8/14

みんないってしまう  通り過ぎた日々

今まで多くの教師にお世話になったきたけれど
中でも一番の「恩師」と言えるのは
中学3年の時の担任


社会科の先生で
黒板に地図を描くのがやたら上手かった
教え方も色々と工夫してくれていて
テストの問題がクロスワードパズルになってる事もあった


ほぼ日刊の学級新聞「轍(わだち)」は
卒業後まで発行され
最後は1995年4月20日で第230号
週休二日制が徐々に始まっていた当時
実際に登校していた日数を考えると
もはや日刊を越えていると思う


20年が経ち
当時よりも本を読んだりモノを考えたり
関わった舞台により社会的な知識も増え
今こそ先生とまた話が出来ればと
何年か前から思っていた


同窓会を機に担任に連絡を取ったという知人の話にも後押しされ
20年ぶりに連絡を試みた
卒業アルバムに掲載された住所を頼りに
暑中見舞いを書いた
郵便番号が5ケタしかない事に時代の流れを感じる


宛先不明で戻ってくるかもしれないな
先生からの返事が来たら一番嬉しいな


数日後、実家の方に先生の娘さんから連絡が入った


先生は、私の暑中見舞いが届く2週間ほど前に亡くなられた


今日、先生の自宅を訪ねてお線香をあげさせてもらった
連絡をくれた娘さんも、先生の奥さんも、
お盆の忙しい中に訪ねたにも拘わらず
快く迎えて下さり
先生の話をたくさんしてくれた


私には
先生が私を覚えている、という自信があった
暑中見舞いを見れば「あっ、アベチャンだ!」と思い出す先生が想像出来た

でも先生に暑中見舞いは届かなかった

遅刻の多い生徒ではあったと思うけど
また遅刻してしまった


あと一年
あと一か月
早く連絡していれば
きっと先生と飲みながら話が出来たのに


いつか、いつかと行動しなかった私は
なんとのんきだったのだろう


先生と話がしたかった
うっとおしいほどの話が聞きたかった

先生があの時ああ言ってくれたから
今の私があるんですと
ありきたりだけど心からほんとうの
感謝を伝えたかった



先生の遺したものは多くあるけれど
私自身もまた
先生の遺したものの一つ
伝えられなかった感謝をめいっぱい抱えて



こうして生きている限り
私は遺されていく
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