ご存知の通り、去る11月20日、ジェイク・バートン・カーペンター氏が亡くなられました。
(故) トム・シムスと並ぶ、スノーボード界の二大巨匠と言って良いであろう。
元々、日本へバートンを持ち込み、紹介したのは、小倉一男氏と安藤友規氏、
そのボードの販売代理店として、白樺湖の君待荘で、北沢聖吾と坂辺の二人で産声を上げた(82s)?
私はその頃(84)、スノー・サーフィンと呼ばれてたものに出逢い、現在に至る。
ボードも、「バック・ヒル」、「パフォーマー」、「エリート」と、機種・サイズも少ない頃(83s〜86s)、
ゲレンデも、現在のように開放されておらず、一部のゲレンデ、ヤシガミネ(現ロイヤル・ヒル)、エコー・バレー、池の平ホテルゲレンデ内、などで練習した。
当時、そこでよく滑っていた、数少ないボーダーは、北沢聖吾、松島勝美、黒越早苗、古川洋和、牛山基樹、竹内正則、相沢盛夫、永田大嗣、etc.
私と永田さん以外は、後に、プロ・スノーボーダーとなり、第一線で活躍する事になる。
私自身、バートンとの出会いは、ルスツ・ワールドカップ(90s)、小倉さんから、ジェイクですと紹介されたのが初。
年齢は四歳ぐらい上だったと思う。その後、コカコーラカップ(92s)池の平ホテル、
そして、バーリントン、ジェイクのファクトリー・オフィスを訪ねた時(97s)、
ガレージで合板のボードを作っていたバートン(77s)が、いまや、世界的スノーボード総カンパニーになり、アンダー・グラウンドだったスノーボードが、オリンピック競技になり、
誰もが気軽にスノーボードを楽しめる時代を迎え、ジェイク自身、アメリカン・ドリームを成し遂げ、子供のソリ遊び(スナファー)からヒントを得たボードが、市民権を得て、発展、
それを見届けた事に、きっと満足だったと思う。
ご冥福を、お祈り申し上げます。
BURTON 1954−2019 MAHALO
P.S.
バートン・バックルで直滑降しか出来ず、ワンピースが時代を語る、スキーヤー全盛の頃(85s)の私
P.S.2
バートン関係者から連絡有り、12月13日、渋谷の○○ホテルでお別れ会、ジェイクを偲ぶ会が行われる。
P.S.3
バートン自身、初のシグネイチャー2012
スムースハット、自筆サイン入り、貴重品になった
在りし日の若きバートンを偲ぶ(86s)
スノーサーフィンの原点

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