夏目漱石は、若い頃にイギリスに留学し、現地の人とうまく付き合えず、自信を失って、精神的な不安に苦しんだ。
この経験から、漱石は「他人本位」とは、自分の作った酒を人に飲んでもらって、
その品評を聞いて、無理矢理「そうだ」と思いこむような、人真似みたいなものだと述べている。
そこで、自らの内面的な要求に従って、自分が主体となり、我が道を切り開く「自分本位」の行き方が必要になる。
漱石は、私の個人主義の中で、「自己の個性の発展を成し遂げようと思うなら、同時に、他人の個性をも尊重しなければならない」と述べ、自分の主張する個人主義とは、自己と他者の個性を共に尊重するものである、と述べている。
しかし、現実の人生の中では、自我の要求の前には、様々な障害が立ちはだかり、それらと戦って、自己の欲求を貫く事には、必然的にエゴイズムが伴う。
小説「こころ」の主人公は、下宿のお嬢さんへの愛と、彼女を慕う友人への友情の板挟みに悩み、友人を出し抜いてお嬢さんに結婚を申し込み、友人を死へと追いやる。
そうした、他人との衝突が避けられない、人間のエゴの相克の中で、自我の追求とエゴイズムの克服との、矛盾した課題に直面した。
人間は、内に相手への敵意を秘めながら、表面では笑みを浮かべて、かろうじて日常生活の均衡を保っている。それは、相撲で、力士が四つに組み、内には相手への対抗心をはらみながらも、力の均衡によって、かろうじて体勢が保たれているようなものだ、と。
その均衡が破れるや、力士が激しく攻め合うように、人間はエゴイズムをむき出しにして争う。
晩年、漱石は、天が与えた運命のままに、自分を委ねる「則天去私」の境地に憧れた。それは、人間の宿命とも言えるエゴイズムを、天の立場から、諦念と冷静さを持って受け容れる、という心境かも知れない。
P.S.
漱石の「予言」を手がかりに、人間とは何か「悩む力」の本。

yoshi

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