2009/8/14
お盆のお参りもあと少しです。
忙しい、忙しいとブーブー言いつつも、行けば普段はめったに会えない当家の家族方と談笑するのも貴重なご縁です。
また高級なお菓子や畑の野菜なども頂けて、坊サン稼業は食うには困りませぬ。そのお返しにといっては何ですが、坊サンたるもの、世間のヒトビトに「心の糧(かて)」を提供するモンだと思って「説法獅子吼」の毎日です。
ところで以前にお盆のちょうちんや灯篭に、長い房が垂れ下がっていることについて触れましたよね?
「お盆」の語源についての話なのですが、お盆とは茶器を載せるあのお盆とは関係がありませんで、サンスクリット語の【ウラバンナ】が漢語になり【盂蘭盆(ウラボン)】となり、日本語と成って【(お)盆】と略された語であります。
この【ウラバンナ】という言葉がちょっと恐ろしげな意味がありまして、訳せば「逆さ吊り」という意味になります。
お釈迦サマの高弟の目連(もくれん)の母が、生前の行いが悪かったがために「餓鬼道」という苦しみの世界に堕ちていることを知って、その解決法をお釈迦サマに問い尋ねたというところから始まります。「餓鬼道」とは尽きぬ欲望、嫉妬に苦しむ世界です。
目連は亡き母のどのような姿を見たのであるか、・・・それは何と足を上にして縛られ長い髪が垂れ下がって苦悶の表情を浮かべる母の姿なのでありました。・・・その垂れ下った髪を表現するのが、灯篭の長い房だという・・・説です。あくまで説。
盆灯篭の房を見て思うのは、この逆さ吊りになっているのは、実は苦しみあえぐ亡き父母ではなくて、ひょっとしたらこの私の姿なのではないだろうか?と思うことであります。
つまり、@正しいことをしていると思っていても実際は誤っている、A相手を思いやるつもりが実は傷付けている、B結果を先に求めて過程・努力をないがしろにしている・・・。等々。
私たちの生活態度・言動は実に「ウラバンナ(逆さま)」なのではないか、と。
せめてお盆くらいは、日頃の激務に体をいやしつつ、心をリセットして心静かに手を合わせて、仏の智慧を基準点にして逆さまな自分を元に戻す、というふうに理解をしたいのです。
では故人に何をすれば喜んでもらえるのか、それはお寺サンが喜びそうなお供え物をし、子孫が健康で感謝の心を忘れずに、仲良く謙虚な生き方をしてくれることだそうです。私、真光寺秘伝の霊界通信術を用いて聞いてきました
。

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